シャンティイー城で行われた室内楽の音楽祭「レ・ク・ド・クール・ア・シャンティイー Les Coups à cœur à Chantilly 」。 最終日10月2日のコンサートは、朝11時から城の絵画ギャラリーで、「若い芽コンサート」。そして17時からは、音楽祭最後のコンサートが大厩舎ドームで行われた。この稿では朝のコンサートを主にレポートする。 ***** 「若い芽のコンサート」 朝のコンサートには、マルタ・アルゲリッチ Martha Argerich の孫ダヴィッド・チェン David Chen(14歳)と、彼とよく舞台を共にしているアリエル・ベック Arielle Beck(13歳)が登場。二人ともすでに昨年、第1回の音楽祭に出演し、ソロや4手連弾で弾いたほか、アルゲリッチとも共演した。 コンサートではまずベックが4曲、ついでチェンが4曲、それぞれ30分ほどのハーフプログラムを演奏し、最後に二人の連弾で締めくくった。 舞台と客席の距離が遠い「大厩舎 Les Grandes Écuries 」のドームで聴いた昨年とは異なり、絵画ギャラリーはコンサート会場としては小さくサロン的な雰囲気で、彼らの演奏を改めて細部までよく聴くことができた。 アリエル・ベック アリエル・ベックは今年、パリ郊外のサン=モール=デ=フォセ Saint-Maure-des-fossés 音楽院に入学。ちなみにここはパリ国立高等音楽院の前院長で作曲家のブリュノ・マントヴァニ Bruno Mantovani が院長を務めており、活発な教育活動が行われている。 ベックは近年はビリー・エイディ Billy Eidi およびイーゴリ・ラスコ Igor Lazko に師事、またロンドンでスティーヴン・コヴァセヴッチ Stephen Kovacevich のレッスンも受けている。2018年にはスイスのジュニアショパンコンクールで1位大賞を得ており、時々演奏活動も行なっている。 彼女のプログラムはショパンのバラード第1番、ラヴェルの《鏡》から「洋上の小舟」、これらと交互に彼女自身の作曲による《マルタへのマズルカ Mazurka pour Martha》と《規則正しい感傷、外交的なインヴェンション D’une sentimentalité régulière – Invention extravertie 》の2曲を弾いた。 最初のショパンを聴いた時点で、13歳でこれだけ弾きこなすとは驚くべき才能だと、強い印象を受けた。音そのものに芯があり濁りがなく、しかも隣の音に触れたり音を間違うことも全くない。歌うべきところでは自然なフレージングで歌い、ところどころ隠れたメロディラインを際立たせる。若い演奏家がこのような解釈をする場合、教師のアイデアをそのまま真似していると思われることが多いのだが、彼女の演奏はそうではなく、彼女自身が曲を緻密に分析した上で全体を組み立てているのがよくわかる演奏だ。ショパンのバラード1番は有名であるがゆえに、ある意味でこれを弾くピアニストの実力が露呈する曲だが、彼女の演奏を聴きながら、ふと、すでにプロとして活躍している数多のピアニストたちの中で、これだけ完成度の高い演奏をできる人は何人いるだろうかとさえ思ったほど、のちの大器を想像させるにあまりある弾きぶりだった。ラヴェルでは音楽の流動性が十分に表現されていた。 自作の2曲は、どれも彼女の分析力と構成力をよく物語っている。《マズルカ》は完璧にショパンのスタイル。全く知らない人に彼女の曲とショパンの曲を続けて聴かせれば、おそらく同じ作曲家による音楽だと思うだろう。センスのある転調を利用した高貴な曲となっている。 《規則正しい感傷、外向的なインヴェンション》は、シェーンベルグが無調音楽を作曲し始めた頃のスタイルで書かれた10分弱の作品。こちらも、シェーンベルグの知られざる作品といって紹介しても通用するようなものだ。これにベルグのような叙情的な要素も多く見られ、感受性に跳んだ秀作となっている。曲の最後には小フーガもあり、エクリチュールをすでに高いレベルでマスターしていることがうかがえる。ここでも演奏は非常に自然で、音楽性が滲み出るようなものだが、同時に明晰性も兼ね備えており、この二つのバランスがちょうどよく取れている。 この2曲は、彼女がどれだけそれぞれの音楽様式を消化する能力を持ち合わせているかをよく示している。若きメンデルスゾーンが14歳ですでに作曲のテクニックを極めていたという逸話や、実際に何度も聴いた作曲家・オルガニストのティエリー・エスケッシュ Thierry Escaich の、話をする時に次々と言葉が出てくるように音が流れ出る即興演奏(それぞれの作曲家のスタイルでの即興も含む)などを思い起こさせるといっても過言ではない。今後どのように独自の作曲語法を展開していくかが楽しみだ。 ダヴィッド・チェン ダヴィッド・チェンは2008年生まれ。母方の祖母はマルタ・アルゲリッチ、父方の祖母は武蔵野音楽大学で教鞭を取っていたこともあるエレーナ・アシュケナージ Elena Ashkenazy (有名なヴラディミール・アシュケナージの妹)。父はピアニストで作曲家のヴラディミール・スヴェルドロフ・アシュケナージ Vladimir Sverdlov Ashkenazy(エレーナの息子)。ラフマニノフの《舟歌》op.10-3と、ショパンの《幻想即興曲》、《子守唄》、《練習曲》op.10-1を弾いた。まだショパンの影響が色濃いラフマニノフでは、すでにピアノをよく歌わせる術を得ていることがわかるが、次の幻想即興曲で、彼の才能を垣間見た思いがした。中でも特筆すべきは、この曲に内包するドラマ性を掘り起こしていくような解釈だ。音を追うのではなく、音の後ろに隠れた作曲家の意図が、演奏を通して垣間見えてくる。子守唄も、左手の定型モチーフの上に展開される右手の変奏は自由かつエレガント。練習曲はアルゲリッチの火のような性格をそのまま受け継いだような演奏だ。駆け巡る音符の合間にふっと息を抜くなど、持って生まれた作りものではない音楽を聴かせる。明らかに血筋を超えた何かを持っている。この日は疲れていたのかそれとも緊張していたのか、ショパンのうち2曲でいわゆる「暗譜がとんで」しまったが、その場をなんとか繋げて状況を脱した。真剣にピアニストとしてのキャリアを考えているならば、このような経験を今聴衆の前で積むのも有益であろう。 最後は4手連弾でビゼーの《子供の遊び》から、2曲ずつプリモとセコンドを交代して4曲弾いた。二人の個性が突きあうかと思ったが、かなり無難な演奏に終わった。しかし音楽に強い躍動感があるのは確かだ。聞けば、すでに二人は室内楽をする決まった仲間がおり、ともにレパートリーを広げているらしい。 彼らのように、子供の頃から音楽的に非常に恵まれた環境で、早熟な才能を伸ばしてゆける音楽家は数少ない。聴く側としては10年後、20年後にどのような音楽家に成長しているかを見てみたいと強く思う。スポイルされずに研鑽できる時間をもち、十分に個性を発揮できるようにと望むばかりである。 マルタ・アルゲリッチを囲んで 17時からのコンサートには、マルタ・アルゲリッチを囲んで、音楽監督のイド・バル=シャイ Iddo Bar-Shaï、テオドシア・ヌトコウ Theodosia Ntokou(ピアノ)、テディ・パパヴラミ Tedi Papavrami、ルノー・カピュソン Renaud Capuçon(ヴァイオリン)、リダ・チェン=アルゲリッチ Lida Chen Argerich(ヴィオラ)、エドガー・モロー Edgard Moreau(チェロ)が出演。アルゲリッチは最初と最後に演奏した。 サーカスのような円形の会場を利用して、ベートーヴェンのトリオでは3人がお互いに向かい合って円を描くように座り、バランスのとれたハーモニーを聴かせた。アルゲリッチを交えてのベートーヴェンのピアノ四重奏曲には、第1楽章に、のちにピアノソナタ第3番の第1楽章に挿入されるモチーフが、そして第2楽章には、のちにピアノソナタ第1番の第2楽章に取り入れられるモチーフが認められる。まだモーツァルト的な要素が残るこれらの曲を、アルゲリッチは自宅で仲間うちで楽しむかのように演奏した。テンポは早めだが焦燥感は全くない。 昨年の音楽祭では杖をついて入退場したアルゲリッチだが、今年は、歩くのが辛そうではあるが杖はなかった。音楽的には全く健在で、若者のような活力ある演奏が満杯の会場を喜ばせた。 来年の音楽祭はマリア・ジョアン・ピレシュ Maria João Pires を迎えて春に開催される。また、年間を通していくつかのコンサートも組まれる予定。 プログラム 11時 アリエル・ベック ・ショパン バラード第1番 op. 23 ・ベック 《マルタへのマズルカ》 ・ラヴェル 《鏡》より「洋上の小舟」 ・ベック《規則正しい感傷、外交的なインヴェンション》 ダヴィッド・チェン ・ラフマニノフ 舟歌 op.10-3 ・ショパン 《幻想即興曲》 ・ショパン 子守唄 ・ショパン 練習曲 op.10-1 連弾 ビゼー《子供の遊び》より 17時 ・バッハ=リゲティ《神の時こそいと良き時(Gottes Zeit ist die …
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フランス王家ゆかりのシャンティイー城で、昨年から室内楽の音楽祭が行われている。今年は9月末から10月はじめに、3日間にわたって開催れた。 この音楽祭を2回に分けてレポートする。第1回はシャンティイーについて。 ***** フランス王家ゆかりのシャンティイー城 シャンティイー城をご存知だろうか。パリから北へ車で1時間足らずの所にあるフランス王家ゆかりの城で、最初に建築されたのが14世紀半ば。その後、建築、改装・増築を重ね、現在の形になったのが19世紀終わりだ。 のちにヴェルサイユの庭師として壮大な庭園を建造したル・ノートル Le Nôtre は、ここに大運河やフランス風庭園を造営して確固たる名声を築いた。 18世紀半ばには、城主コンデ公が王ルイ14世を迎えて開催した祝祭で、宴席を取り仕切っていた料理人フランソワ・ヴァテル François Vatel という人物が、仕入れた魚が届かなかった為に自殺したという有名な逸話がある。これはジェラール・ドパルデュー Gérard Depardieu 主演で映画『宮廷料理人ヴァテール』(なぜ名前が「ヴァテール」と長音になっているのか理解に苦しむが)にもなっているので、ご存知の方もいるかもしれない。 また、シャンティイー城内にある美術館には、ルーブルの次に重要な絵画コレクションを擁しており、とくにオマール公爵アンリ・ドルレアン(1822〜1897)のポートレートギャラリーは門外不出のコレクションとして世界に知られている。 レ・ク・ド・クール・ア・シャンティイー Les Coup de cœur à Chantilly そんな歴史あるこの城で、昨年から「レ・ク・ド・クール・ア・シャンティイー Les Coups à cœur à Chantilly 」という室内楽の音楽祭が開かれている。訳せば「シャンティイーのお気に入り」などとなるだろうか。 音楽監督はピアニストのイド・バル=シャイ Iddo Bar-Shaï。2020年に第1回を開催する予定だったが、新コロナウィルス対策に伴う劇場など文化施設の封鎖で叶わなかった。昨年2021年に行われた第1回は、6月に限られた聴衆だけに場を公開しつつ、ネット配信で開催された。昨年はマルタ・アルゲリッチ Martha Argerich が80歳を迎えたことから、これをどうしても祝いたいというバルシャイの思いにより開催された。 マルタ・アルゲリッチと仲間たち そして今年は、10月の最初の3日間、昨年に引き続きマルタ・アルゲリッチをメインアーティストに迎え、彼女の家族や彼女と親しいアーティストたちが共演。家族では娘のヴィオラ奏者リダ・チェン=アルゲリッチ Lida Chen Argerich、その息子(マルタ・アルゲリッチの孫)でピアニストのダヴィッド・チェン David Chen (14歳)、アルゲリッチのもう一人の娘アニー・デュトワ Annie Dutoit。仲間では元夫でピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィッチ Stephen Kovacevich、チェリストのミッシャ・マイスキー Micha Maisky、次の世代以降ではヴァイオリンのテディ・パパヴラミ Tedi Papavrami、ピアノの海老彰子と児玉桃、ヴァイオリンのルノー・カピュソン Renaud Capuçon、チェロのエドガー・モロー Edgard Moreau などの顔が並ぶ。一番若い世代ではダヴィッド・チェンと同年のピアニスト、アリエル・ベック Arielle Beckもいる。全員が3日間通じて出演するわけではなく、その日によって変わるのだが、名前を見るだけでわかるように、どの日を取っても質の高い演奏を聴くことができる。 筆者は最終日10月2日の二つのコンサートを聴いた。次回はそのレビューを紹介する。
par Victoria Okada -
パリの国立オペラ・コミック劇場では9月28日から10月8日までレオ・ドリーブ Léo Delibes の《ラクメ Lakmé 》が上演されている。演出はローラン・ペリー。ラファエル・ピションが自らのピグマリオン(オーケストラと合唱)を指揮。主要キャストは、ロールタイトルにサビーヌ・ドヴィエルを迎え、イギリス将校ジェラルド役にフレデリック・アントゥン、ラクメの父ニラカンタ役がステファン・ドゥグー、ラクメの侍女マリカ役がアンブロワジーヌ・ブレ。プルミエ以降全日程が完売という人気で、聴衆のお目当てはなんといってもサビーヌ・ドヴィエルのラクメ。案の定、「鐘の歌」に観客は熱狂し、拍手が鳴り止まなかった。 ***** サビーヌ・ドヴィエルのラクメ サビーヌ・ドヴィエル Sabine Devieilhe は2014年に同じ劇場ですでにラクメを歌っている。この時はフランソワ=グザヴィエ・ロト François-Xavier Roth の指揮で、演出はリロ・ボール Lilo Baur。この時彼女はまだデビュー後間もない頃で、このラクメ役の大成功で一躍キャリアがひらけたといえる。2014年の彼女の歌を今でも覚えている人は多く、筆者もその一人だ)。 ドヴィエルは、クリスタルが光を受けて色彩を放ち透明な声に加え、フランス語の発音が驚くほど明快で、フレージングも音楽性に溢れている。彼女の歌唱においては、一つ一つの音に特有の役割を十分に果たしているがゆえに、どんなレパートリーでも全く違和感がない。バッハのように堅実さが求められるものから、この《ラクメ》のように技巧的な聴かせどころがあるものまで、コンスタントな歌唱が特徴だ。 今回観たのは9月30日の2回目の公演だが、ドヴィエルは28日のプルミエから絶好調で、現在彼女がコロラトゥーラソプラノとして絶頂期にいることを目の当たりにできる。このオペラの一番の聴かせどころ「鐘の歌」では、高音部で玉のように転がる音符を稀な完成度で、しかもかなりの速さで歌い上げる。かつてはマディ・メスプレ Mady Mesplé やナタリー・ドゥセ(デセイ)Natalie Dessay などがレパートリーとしていたこのアリアが、ドヴィエルによってさらに輝きを増している。 ニラカンタに新しい顔を持たせたステファン・ドゥグー 祭祀のニラカンタは、自らの権力維持のために娘のラクメを女神に仕立て上げ、彼女が外界と接触する機会を絶つ。このような人物設定は、台本からは読み取れるものの、実際の上演では、ラクメとジェラルドの悲恋の影で存在感がなくなっているのが。しかし、ステファン・ドゥグー Stéphane Degout はその威厳ある声と真実性で、この人物が物語の中核となっていることを雄弁に示した。ドゥグーのもつ存在感は圧倒的で、今回の上演では、まるでオペラ全体がラクメをめぐるニラカンタのジレンマを描いているかのようだ。 二人の侍従マリカとハージ 侍従であるマリカとハージは、今急上昇中のアンブロワジーヌ・ブレ Ambroisine Bré と、オペラ・コミック・アカデミー出身のフランソワ・ルジエ François Rougier が歌った。 ブレは懐の深いメゾソプラノで、2017年にナディア&リリー・ブーランジェ国際コンクールの歌とピアノ部門でグランプリを受賞、2019年にはヴィクトワール賞新人賞にノミネートされるなど、内外で注目度を増している。マリカが登場するのは第一幕のみだが、もしかすると「鐘の歌」以上に有名なラクメとの「花のデュエット」(最近は日本でもヨーロッパでもテレビ広告などで使用されているため)が聴かせどころ。ドヴィエルの透き通った声と、よく座った彼女の声が見事に溶け合う素晴らしいデュオとなった。 ラクメが赤ん坊の頃からずっと見守ってきたというハージを、フランソワ・ルジエがまるで我が子を愛おしむかのような慈しみ溢れる表現で感動的に歌いあげたのは、今回の上演の大きな驚きだった。彼の歌いっぷりを聴けただけでも、足を運んだ甲斐があったと断言できるほどだ。ルジエは様々なオペラ劇場で二次的な役を多く歌っているが、聴くたびごとに表現に磨きがかかっており、今後がさらに楽しみだ。 英国人たち 今回の上演の特徴は、初演当時の形態であるオペラ・コミック、つまり歌とセリフが交互に出てくるバージョンを採用しただ。セリフは英国人たちにあてがわれ、彼らがラクメたちとは全く異なる文化圏に生きていることを表している。と同時に、コミカルな場面が作品に程よい軽さを加えている。このような、原典にできる限り近い形を採用する試みは、オペラ・コミック劇場のDNAともいうべきものだ。過去には、オーケストラピットで指揮者が舞台に背を向けていたという史実に基づいて(ミュージシャンが舞台に向いて演奏することになる。これはドガの『オーケストラの音楽家』に見られるとおりだ)、この形態での上演も行われた。 英国人に話を戻すと、これらは三次的な役柄であるにも関わらず、ミレイユ・ドランシュ Mireille Delunch、フィリップ・エステフ Philippe Esthèphe など主役級の歌手も名を連ねており、キャスティングが入念に行われていることが伺える。 ジェラルド さて、ラクメと恋に落ちる英国人のジェラルド役は、2014年にすでにドヴィエルとコンビを組んでいたフレデリック・アントゥン Frédéric Antoun。しかし残念なことに、ドヴィエルのレベルについていっていないという印象が強く残った。声質自体は艶あって美しいが、伸びがなく、特に高音部は、演奏困難とはいえ無理をしているのが伺える。前回が素晴らしかったので今回も同じ顔ぶれで、ということだったようだが、8年の歳月を経て、ドヴィエルが他の追随を許さぬくらいに進化していると考えて良いかもしれない。 インド色を払拭した演出 演出はローラン・ペリー Laurent Pelly。プログラムによると、二つの相容れない世界を表現するためにインドのイメージをできる限り払拭したとある。どこか特定できない、どこにでもあり得る想像上の世界を想定しているということだが、アジア的な要素は残している。例えば、日本や中国の風景画にインスピレーションを受けた和紙のようなマチエールを使った装飾が現れたり、ラクメの「鐘の歌」では歌の中の物語を影絵で表現している。また、ラクメの最初の衣装は日本の着物や韓国のチマチョゴリに似ている。 ラクメは、「黒子」に引かれた竹の檻に入って登場するが、これは、彼女がニラカンタによって人々の手の届かない存在として祀り上げられているものの、自由がないことを表していると読み取れる。一方で英国人たちは19世紀末の装束で、現実性を帯びている。これは、同時期に上演されていたベルギーのリエージュ・オペラでの演出が、衣装や舞台セットに実際のきらびやかなインドの要素を用いて地域性を強調したことと全く対照的で大変に興味深い。 絶好調、ラファエル・ピション指揮ピグマリオン 手勢ピグマリオン Pygamlion(オーケストラ・合唱)を率いて精力的な活動を続けるラファエル・ピション Raphaël Pichon は、この日も独創的でアイデアに溢れた演奏を聴かせた。全体的にテンポを速めに取った結果、物語が良いリズムで進んでいる。通常、見せ場とされている第二幕のバレエを削除しているが、それは、インドというコンテクストを借りただけの、完全に息抜き的なディヴェルティメントとしてのこのバレエは、悲劇である《ラクメ》には存在理由がないからだという。 ドリーブの音楽では、それぞれのアリアに独特の音色が与えてられている。伴奏がフルートとハープのみ、オーボエとクラリネットのみという具合に、楽器と声の絡みを聴かせどころとしているものがあるのだ。このような、言うなれば室内楽的な部分と、厚みのあるオーケストラの部分を巧みに分けながら、なおかつそれぞれの色合いを織り成して一貫性のある抒情詩として聴かせるピションの力量には全く恐れ入る。 また、現在フランス最高峰の合唱団の一つに数えられるピグマリオンの合唱団は、終始非常に安定しており、見事の一言に尽きる。 ***** サビーヌ・ドヴィエルを本格的に世に出した2014年のラクメに勝るとも劣らぬ2022年版《ラクメ》は、演出面でも音楽面でも、その魅力を存分に堪能できる贅沢なひと時を贈り、フランス19世紀末オペラの醍醐味を味わわせてくれる傑作に仕上がっている。 * 10月6日の上演は Arte Concert で生中継、音声録音が10月22日20時より France Musique で放送。 (10月22日、放送分のリンクと以下のビデオを追加しました) なおシャンゼリゼ劇場では、来たる12月14日、サビーヌ・ドヴィエル主演で演奏会形式の《ラクメ》が上演される。ジェラルド役はシリル・デュボワ、ロラン・カンプローヌ指揮モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団・合唱。こちらもレポートする予定。
par Victoria Okada -
ドメニコ・スカルラッティは500曲以上にのぼるソナタ* があまりにも有名なため、それ以外の曲はなかなか知る機会がない。サン・ミシェル・アン・ティエラッシュ古楽音楽祭(Festival de Saint-Michel en Thiérache) で、クラヴサン(チェンバロ)の巨匠ピエール・アンタイは、スカルラッティとヘンデルが対決したという有名な伝説をもとにプログラムを組み、一部をその場で曲を選びながら演奏した。 同じくクラヴサン奏者のベルトラン・キュイエは、彼が創設したアンサンブル「ル・キャラヴァンセライユ」を弾き振りして、スカルラッティの《スタバト・マーテル》を演奏。その前に《ミサ・ブレビス》(通称「マドリッドのミサ」)、ソナタK30、二重合唱による《テ・デウム》も披露した。 ***** ピエール・アンタイによるヘンデル・スカルラッティ「対決」プログラム ピエール・アンタイ Pierre Hantaï はすでにヘンデルとスカルラッティを「対決」させたCDを出しているが、このコンサートでは、そのコンセプトをベースに、大筋のプログラムに沿ってその場で弾く曲を決めながら進んでいった。クリアファイルに楽譜を入れて自分だけの曲集を作り(おそらくテーマごとにこのようなファイルがいくつもあるのだろう)、その中から選んでいく。 アンタイはリサイタルで解説を入れるのが常だが、この日のプログラムについて「イギリスで活躍したヨーロッパ人ヘンデルと、スペイン音楽を咀嚼したイタリア人スカルラッティ」を想定したと語った。会場で販売しているプログラムには「スカルラッティ、6つのソナタ;ヘンデル、序曲ニ短調、組曲ニ短調;スカルラッティ、2つのソナタ」としか印刷されておらず、詳細はその場にならないとわからないというわけだ。 まず、非常に対照的なヘンデルの序曲ホ長調とスカルラッティのソナタニ短調。次に、ヘンデルの曲を集めてアンタイが「組曲」に仕立て演奏した。当時の慣習に沿ったやり方だが、アンタイはよくリサイタルでこの方法を用いる。 最初のニ短調の序曲(オペラ Il Pastor Fido のフランス風序曲)に続いて、「組曲」を構成するそれぞれの曲もニ短調だ。全体的にどちらかというとこじんまりとした曲想の作品を並べてしっとりとまとめた。 最後にスカルラッティのソナタを5曲。明るい曲を集めたが、時折挿入される装飾音や、テンポ設定が、楽譜に書かれている以上の微妙な効果を誘う。アンタイはここに奏者としての解釈を明確に残している。英語や仏語の「奏者、演奏家」interpreter / interprèteという語には「解釈する者」という意味もあるのだが、それを体現したような演奏だ。その奏者=解釈者のイマジネーションが無限に広がり、たった数分間のそれぞれの曲が持つ歌うような旋律や軽快なリズムが融合してゆく。この日、アンタイは弾き慣れた楽器をわざわざ搬入してこのリサイタルを開いた。奏者としてのこだわりが垣間見られる、「対決」というにはあまりにも友好的な、あまりにも音楽的な、光に溢れた午後のリサイタルだった。 ベルトラン・キュイエが指揮するドメニコ・スカルラッティの宗教曲 ベルトラン・キュイエ Bertrand Cuiller は、この日のコンサートのメイン曲である《スタバト・マーテル》を最後に置いたが、実はこの曲は1715年頃にローマで作曲されている。つまり、スペインに定住する前の曲で、この日のプログラムで演奏された曲の中でもっとも早期の作品だ。(《テ・デウム》の作曲年が定かでないので、断言はできないが。)最初に演奏された「マドリッドのミサ」は、スペインの王立礼拝堂にある1754年の手稿楽譜に、編曲版があるという。全体的に厳格だが、「クレド」にはとくに作曲の手際の良さが感じられる。《テ・デウム》はドメニコ・スカルラッティの全作品の中で唯一、二重合唱から成る曲。単声の音楽が時折、祈りを強調するかのように、はたと止まるという劇的な効果が施されている。 さて、キュイエが使用した《スタバト・マーテル》の楽譜は、パリの北にあるかつてのロワイヨーモン修道院(現在は文化施設)のフランソワ・ラング音楽図書館所蔵の手稿である。10声と4つの器楽パートがさまざまな形をとって聖母の痛みを表現する。和声的にもポリフォニー的にもヴァラエティに富んだ音楽が次々と表れ、単調さとは対極にある曲だ。宗教曲という形を借りて、作曲技法や表現法、さらには劇作法までもを最大限に試みているようにも感じられるつくりとなっている。 はじめにゆったりと、しかし緊張した旋律で歌われる「Stabat mater dolorosa」が印象的だ。以後、静と動、暗と明、短調と長調などがほとんど交互にあらわれ、また、独唱、二重唱、三重唱、四重唱、合唱がさまざまに取り合わされて変化を生んでいる。最後の2曲を構成するフーガ、とくに「アーメン」はヴォカリーズのように軽快に進む。10人の歌手は、時には天から降りてくるように、また時には天に昇るように伸びる、空気と一体化するかのような透き通った声を調和させる。慎ましさと豪華さを同時に兼ね備えた見事なハーモニーだ。密につめていったかと思うと急に休止が入り、再びゆっくりと苦悩を表現したりする。キュイエは、そのようなコントラストを見事に創り出し、曲に深いドラマ性を与えている。 器楽パートは決して派手ではないが、単なる伴奏に終わっているわけでは決してなく、声楽パートと同じくらい存在感がある。ポジティフオルガンを演奏しながらル・キャラヴァンセライユ Le Caravansérail を指揮するキュイエは、まさに楽譜を隅から隅まで知り尽くしており、一つの音符もおろそかにしない。このような指揮者の行き届いた注意と、それを存分に表現しようとする歌手やミュージシャンたちの真摯なアプローチが相まって、会場の教会の空間いっぱいに美しい音楽が響き渡った。 最近アルモニア・ムンディから同曲を含むCDをリリースしている。録音も素晴らしいのでぜひ一聴をお勧めする。 * フランスでは、2018年のラジオ・フランス・モンペリエ=オクシタニー音楽祭で30人のクラヴサン奏者が555曲のソナタを演奏して話題になった。(全コンサートはラジオフランスのサイトで聴くことができる)
par Victoria Okada -
サン・ミシェル・アン・ティエラッシュ古楽音楽祭 (Festival de Saint-Michel en Thiérache) のリポートの第一弾として、セバスティアン・ドゥロンの宗教音楽を集めたコンサートのレビューを、NOTEにアップしました。 6月19日、「ローマとスペインのヴィジョン ドメニコ・スカルラッティの世界 Visions romaines et espagnoles L’univers de Domenico Scarlatti」の総合テーマのもとに開催された3つのコンサートの一つ目で、朝11時から、スペインのアンサンブル、ラ・グランデ・チャページェ(ラ・グランド・シャペル La Grande Chapelle)によって行われた演奏会の模様です。 写真 © Robert Lefevre
par Victoria Okada
ピアニスト、ボリス・ベレゾフスキの発言について、フランスの報道の経過を踏まえてNOTEに記事を書きました。 日本でもノーマン・レブレヒト氏のブログなどを引いて素早く報道されたので、ご存知の方も多いと思いますが、ベレゾフスキのエージェントの拠点の一つはフランスで、このエージェントを通して弁解がありましたので、こちらも合わせて一部を抜粋しました。 記事はこちらです。
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スイスのヴェルビエ音楽祭 Verbier Festivalで、7月19日から30日の間に5回のリサイタルでモーツァルトのソナタ全曲演奏の快挙を成し遂げた藤田真央さん。 東京では今年から3年をかけて行われる全曲演奏会ですが、ヴェルビエのツィクルスは、藤田さんが知らないうちに音楽祭音楽監督のマーティン・エングストローム Martin T:son Engstroem が決定していたそうです。 ***** 音楽祭中の7月20日、真央さんが滞在していた山小屋でお話を伺いました。 お会いしたのは、1回目のリサイタルの次の日の朝。このリサイタルで、ある箇所をほんのちょっと間違って弾いてしまった真央さん。かなり緊張していたとのことで、その日少し体調を崩してしまったそうですが、お会いした時にはもう元気になっていました。 さて、どんなお話が出てくるでしょうか? [Podcast] 藤田真央「モーツァルトっていろんなことができるんです」 藤田真央さんの5回の演奏会は、Medici.tv のリプレイで視聴することができます。(日本のファンに宛てたメッセージビデオもあります) (写真はクリックで拡大) ヴェルビエならではのエピソードを一つ。「ゴミをどこに捨てたらいいのかわからなくて、溜まりっぱなしになってるんです〜」と言っていた真央さん。ヴェルビエでは道に大きな円形のコンテナがあって、そこに自分で捨てに行くようになっているのですが、「遠いんですよね〜」。確かに、一番近いコンテナでもかなり距離があり、溜まって重くなってしまったゴミを捨てに行くのはちょっと大変かも。あのあと、どうしたのでしょうか? 音楽祭では、7月28日に予定されていたアルカディ・ヴォロドスのピンチヒッターとして、急遽(前日に)アレクサンドル・カントロフ Alexandre Kantorow のリサイタルが決定。奇しくも、2019年のチャイコフスキーコンクールのピアノ部門1位と2位が再び集うことになりました。 Voir cette publication sur Instagram Une publication partagée par 藤田 真央 (@maof1128)
par Victoria Okada -
日仏バイリンガルインタビューの第一弾として、根本雄伯さんにご登場いただきました。 1990年代からフランスを本拠に活躍する根本雄伯さん。日本での少年時代より編曲に興味を持ち、東京藝大時代にはできる限りの授業を履修して、垣根を超えた総合的な音楽家を目指されました。 渡仏後もエコールノルマル音楽院、パリ高等国立音楽院で総合的に学び、ホルン奏者として、指揮者として、作曲家として多角的かつ精力的に活動していらっしゃいます。その豊かな活動の様子はこちらでご覧になれます。 フランス北部のオパール海岸(コート・ドパール)沿いで、ムジカ・ニゲラ音楽祭を開催している根本さん。昨年秋の再度の劇場閉鎖の直前に縮小版を開催することができました。また、今年3月には、パリのアテネ劇場で、ご自身が編曲したオッフェンバックとシェーンベルクの作品を二部作として披露。当初、数回の公演予定が、劇場閉鎖中ということもあり、主にプロや関係者のみを招いて1回につき30人という観客数制限の中、ゲネプロと本番の計2回の公演を行うことができました。 コロナ渦のフランスでは、秋の一時期を除いて、昨年春から約1年にわたって劇場などの文化施設が閉鎖されていましたが、来たる5月19日から再開、段階的に観客数を増やしていくことを4月末に政府が発表。再び活気が戻りつつあります。根本さんとムジカ・ニゲラも、これを機会に新たな活動を展開されることが期待されます。 ムジカ・ニゲラの最新の2枚、 Ravel と Chausson のCDは、フランスでは批評家からも愛好家からも非常に好意的に受け入れられました。(クリックで拡大) * インタビューは同じ質問をフランス語で、次に日本語で投げかけ、それに答えていただく形にしていますが、下のコメント欄にご意見をお残しください。今後の参考にさせていただきます。
par Victoria Okada -
1幕オペラ『マンガカフェ』が6月にパリのアテネ劇場 Théâtre de l’Athénée で上演されました。それに先立ち、作品は5月17日にパリ北部近郊のコンピエーニュという街で世界初演されました。台本と作曲を担当した作曲家のパスカル・ザヴァロ氏、指揮者のジュリアン・マスモンデ氏、演出のカトリーヌ・デューン氏、ソプラノ歌手で主人公のトマ役のエレオノール・パンクラジー氏に集っていただき、自由に語ってもらいました。 パスカル 2チャンネルの電車男の話はよく知ってるよ。根本的には嘘だと思ってるけど、どこまで本当でどこまで嘘なのか、誰にもわからない。けれど大事なのは、たくさんの人がこの話が本当だと思っていたことじゃないかな。 全員 そうそう。 エレオノール でもほんとに? その話って嘘だったの? パスカル 誰も確認した人いないし。 エレオノール 私が読んだ電車男の前書きはこの話は本当だって言ってるし、二人が初めて エッチした日付まで書いてあったわよ。 パスカル うん、その時点では本当だったかもしれないね。 カトリーヌ ああ、二人はそこまでいったのね。 パスカル もちろんだよ。これは正真正銘の恋愛物語だから。 ジュリアン そんなこと全然知らなかったよ。 パスカル 僕は日本で生活したことがあるんだ。1986年と87年だった。あの頃はまだ携 帯とかなくて、みんな電車の中ですごく大きな白黒マンガ(マンガ週刊誌・月 刊誌)を読んでたね。そんなものはフランスにはなかったから、とってもびっ くりして見てたんだ。これは自分の中で、日本の強烈な思い出として残ってる。 『マンガカフェ』ができるまで パスカル 僕が2008年に「高校生作曲家大賞 Grand Prix Lycéen des compositions」をもらった時、新しい作曲のために、若い世代に向けて、十分に現代的でインパクトのある、高校生にわかりやすいテーマを探してたんだけど、その時すでに電車男に注目してたんだ。オタクがいろんな手を使って思いを寄せる彼女の気を引こうとして、結局最後はハッピーエンドという、すごくわかりやすい話だよね。それを三重奏曲にしてタイトルは『デンシャオトコ』。ラヴェル音楽祭でラヴェルの三重奏かと思いきや『デンシャオトコ』をやったんだよ。 今回の話は、1年半ほど前にジュリアンから電話をもらったんだけど、バーンシュタインの『ハイチの騒動』とカップリングできる新作オペラを上演したいということだったんだ。それがまた、明日返事が欲しいっていうんだよ。2日後にアテネ劇場の支配人に会うことになっていて、そこで十分説得力のあるプロジェクトを提示したいって言うんだ。あの時、そういう曲としては『電車男』しかなかったけど、これはいいアイデアだと思ったね。テーマは恋愛物語だし、まさに現代が舞台だし。バーンシュタインも、彼が生きていた時代の現代テーマを扱ってて、まあこっちは悲しい話だけど一応恋愛ものだしね。どちらも、今の時代を舞台で表現するということだね。 電車男の虚構性と真実味 パスカル 電車男の話にはいっぱい伏線とか飾りがついてるよね。でもオペラにするにあたって、そういうものは全部取り払って、ほんとに中心となることだけを取り出した。面白いと思うのは、第三者がナレーション的に語るんじゃなくて、主人公が自分に起こったことを語っているということ。自分ではなんとでも言えるから、実際、その話が本当かどうかはわからない。それが、もともとの電車男の話とクロスしてる。ネットで電車男をフォローしてた人は、その話が本当かどうかわからなかった。さっきも言ったけど誰も「電車男」その人を見た人はいないからね。僕はそれをオペラの最後に出したんだ。主人公の語る物語が真実なのかハッタリなのか… 第一、この恋愛物語が本当だったかというかを、実は僕は疑ってるんだ。電車男もエルメスも。 ヴィクトリア (エレオノールに)エルメス役はあなた? エレオノール 違うのよ〜。私の役は男の子。オタクの主人公。 パスカル そうそう。でもオペラでは電車男っていう名前じゃなくて、トマっていうんだよ。 エレオノール 電車男って、ある意味、神の存在みたいなものよね。誰も会ったことなくて、実際にいるのかどうかわからないのに、信じている人はいっぱいいる。それでもっていろんなことの根本・中心になってるっていう… ジュリアン ほんとだね。証拠がないものを信じてるっていうケースは多いよね。 エレオノール この恋愛もそうよね。自分はこの娘が好きだっていってるけど、一体何をもって好きだっていうのかしら? でもってネットでフォローしてる人たちはいるにせよ、恋愛って二人の人間の間のものでしょう? 外からは二人が一緒にいるように見えても、実際深いつながりで結ばれているのか、愛し愛されているのか、それともただ一緒に同じ場所にいるだけなのか、それは第三者にはわからないわよね。そういう意味では、嘘って私たちが考えているより何かもっともっと深いものがあるように思うわ。 ヴィクトリア そういう曖昧さが話の中心になっているということ? パスカル そう。二つの読み方ができると思う。一つは、ネットでの話が本当か嘘か。もう一つは、恋愛が本物かそうじゃないか。プルーストだったかが、愛情の対象を自分で作り出していたって言ってたよね。自分が恋していたいのか、恋愛の対象となる人がそれ相当の人なのか。そうやってつくり出した人に、自分の理想を投影するのかどうか。 カトリーヌ 恋に恋してるってことね。 パスカル まさに。 エレオノール 『ハイチの騒動』は物質的な幸福で成り立っているカップルの話だから、そういう意味では『マンガカフェ』とのバランスが取れているわよね。カップルはうまくいってないのに、出てくるフィクション映画に自分たちの逃避の場所を見出すという… パスカル 映画があって幸いだったよね… エレオノール そう。そういうフィクションの要素が二つのオペラの橋渡しみたいになってるよね。 ヴィクトリア こうやってお話を伺っていると、随分哲学的なアプローチもありですね。 全員 (大笑い)ほんとだね〜。 おとぎ話としてのストーリー パスカル これってある種のパラダイムかな。おとぎ話? 嘘や噂を信じたいということだね。中世の16世紀には嘘や噂を信じて、人々を火あぶりにまでした例もあるよね。魔女狩りとか。あれって全部、ただの噂が誇大の極地に達してあそこまでいったんだと思うと、虚構ってむちゃくちゃ強力なものなんだよ。人の想像力って、場合によっては真実に優ってしまうんだ。 ヴィクトリア ジャン・トゥレ Jean Teulé の本で『Mangez-le si vous voulez(お食べになりたいのならどうぞ)』っていう本ありますね。 カトリーヌ あるわね。実話を小説化した本なんだけど、中世フランスの小さな町で、市(いち)が立った日に、ちょっとしたきっかけでデマが広がって、それがもとである人物が群衆に追い詰められるの。最後にはそれを食べた人がいるっていう話。 ヴィクトリア それもたった2時間の間の出来事。夏の暑い日の。 パスカル それって、人は何か真実を超えた噂を信じたい欲求にかられるっていう顕著な例だね。で電車男の話に戻ると、あれだけ話題になったのは、この話を信じたいっていう人がいっぱいいたからだね。 エレオノール ある人がメトロの中である人に出会うって、実際にはあり得る話でしょ。だからそれが論点じゃないのよね。私だって今までにメトロで何人もの人に電話番号聞かれたことあるし、私がその人に興味をもってたならば出会いはあったわけでしょ。それは平凡なことなのよ。電車男で平凡じゃないのは、この人物は根本的に「負け犬」「負け組」なのよ。 カトリーヌ その通り。 エレオノール で、彼女の方はそうじゃない。 パスカル もちろん! エレオノール 彼女はエルメスで働いている。でも彼の方はノー・ライフ。携帯から離れることがないでしょ。社会層の違いっていうか。 カトリーヌ …
par Victoria Okada
フランスのストリート・アーティストJRは、世界中の観光スポットや都市の壁、山などに制作した巨大なコラージュで有名。 5月19日から、エッフェル塔がキャニオンのような岸壁の上にせり立ち、真下に幹線道路が通っているだまし絵(アナモルフォーズ)が披露され、話題になっています。現在工事中のトロカデロ宮の大テラス(ここからはエッフェル塔を真正面に見渡せます)の地面と、工事用の囲いを利用したもの。 Voir cette publication sur Instagram Une publication partagée par JR (@jr) 🇫🇷 #Paris : la #TourEiffel au bord du gouffre avec une œuvre de #JR #StreetArt #Trocadero pic.twitter.com/iVf63TafIZ — TV5MONDE Info (@TV5MONDEINFO) May 21, 2021 数年前にはルーブル美術館のピラミッドを「消滅」させたり、同じピラミッドを岩盤の上に聳え立たせたりするだまし絵で話題をさらいました。 Voir cette publication sur Instagram Une publication partagée par JR (@jr) Voir cette publication sur Instagram Une publication partagée par JR (@jr) 2020年7月には、医療関係者の肖像写真をバスティーユのオペラ座の正面いっぱいに並べて、新コロナウィルス患者の方々を守ろうとする彼らの献身に敬意を表しました。 Voir cette publication sur Instagram Une publication partagée par JR (@jr) (彼の Instagram や Twitter アカウントでいろいろな作品を見ることができます)
オルセー美術館は、チュイルリー公園に位置するオランジュリー美術館とともに総体をなしており、その正式名称は Etablissememnt public du musée d’Orsay et du musée d’Orangerie (オルセー・オランジュリー美術館)ですが、これに故ヴァレリー・ジスカール=デスタン大統領の名前を足したものが正式名称になることが、3月29日に発表されました。 #CommuniquédePresse | En accord avec @EmmanuelMacron, @R_Bachelot annonce que le nom du Président Valéry Giscard d’Estaing sera ajouté à la dénomination de l’établissement public du @MuseeOrsay et du @MuseeOrangerie. ➡️ https://t.co/62y4ilpAaP pic.twitter.com/yOdihxgi3V — Ministère de la Culture (@MinistereCC) March 29, 2021 フランス政府文化省の公式コミュニケの全文はこちら。 コミュニケによると、この名称は3月25日、国会の満場一致で採択されました。 現在のオルセー美術館はもともと駅だったことは有名ですが、建物を解体して高級ホテルを建築するという計画が持ち上がっていたものを、ポンピドゥー大統領が日本で重要文化財に相当する建築物として登録。解体を免れました。旧駅舎を改装して19世紀芸術に特化した美術館とすることを、ジスカール=デスタン大統領が1977年に正式に決定。1986年12月1日、フランソワ・ミッテラン大統領によって杮落としが行われ、同月9日に一般に公開されました。 一方、モネの『睡蓮』で有名なオランジュリー美術館は、2010年にオルセー美術館と運営面で合併し、「オルセー美術館・オランジュリー美術館公共施設 Etablissement public du musée d’Orsay et du musée d’Orangerie」として再出発しました。 コミュニケでは速やかに政令を発布し、今後の正式名称を「ヴァレリー・ジスカール=デスタン オルセー美術館・オランジュリー美術館公共施設 Etablissement public du musée d’Orsay et du musée d’Orangerie – Valéry Giscard d’Estaing」に変更するとしています。
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Le chef d’orchestre japonais Yo’ichiro Omachi 大町陽一郎 était décédé le 18 février dernier. La nouvelle a été rendue public ce 3 mars. Il avait 90 ans. Né en 1931 à Tokyo, il obtint d’abord le diplôme à l’Université des Arts de Tokyo avant d’entrer à l’Académie de Musique et des arts du spectacle (l’actuelle Université de Musique et des arts du spectacle) de Vienne. Il y étudia la direction d’orchestre avec Hans Swarowsky et Franco Ferrara. Il suivit ensuite des enseignements Herbert von Karajan et de Karl Böhm. Dès son retour au Japon en 1960, il fut invité à de nombreux orchestres. L’année suivant fut nommé le chef permanent de l’Orchestre philharmonique de Tokyo, Pendant les dix années qu’il occupa ce poste, il établit l’âge d’or de l’Orchestre. En 1968, il devint chef permanent de l’opéra de Dortmund. En 1980, il fut le premier Japonais à diriger à l’Opéra d’État de Vienne (Madama Butterfly). Il y fut ensuite chef résident de 1982 à 1984. Entre-temps, il fit ses débuts américains à l’Orchestre de Cleveland. En 1992, à l’occasion des 20 ans de la normalisation diplomatique sino-japonaise, il dirigea à l’Opéra de Shanghai Turandot de Puccini uniquement présenté par des artistes chinois. En 1995 et 1996, il réitéra l’expérience avec l’Opéra de Pékin, ce qui lui valut le post du conseiller honoraire à cette institution. Réputé comme un grand chef d’opéra, il dirigea de nombreuses productions non seulement d’opéras et d’opérettes mais également de ballets et de comédies musicales. Spécialiste de Johann Strauss et des compositeurs de sa famille, il fut un membre fondateur de la Société Johann Strauss au Japon, …
par Victoria Okada -
Au Japon, l’Orchestre symphonique de Tokyo (fondé en 1945) est connu pour la diffusion de ses concerts sur une plateforme qui Niconico, dont l’utilisation reste très inhabituelle pour la musique classique. Pour son concert du Nouvel An diffusé le 6 janvier, l’Orchestre se produit dans le cadre de l’exposition Spirit of Japan conçue par Danny Rose studio. Il s’agit du mapping « Japon Rêvé » à l’Atelier des Lumières à Paris (février 2019-janvier 2020). Le programme du concert est, pour les oreilles occidentales, hautement « japonisant ». Il est constitué de pièces traditionnelles japonaises que l’on entend toujours à l’occasion du Nouvel An, des œuvres du compositeur Takashi Yoshimatsu et des improvisations sur la flûte shakuhachi, ainsi que des extraits d’œuvres de Debussy et de Satie. 《オーケストラコンサート in #浮世絵劇場》をまだ観てない方へ、無料視聴は1月12日まで!https://t.co/nOoEgKF3sz 東京交響楽団がミュージアムの展示室内で、映像に合わせて生演奏をするという唯一無二のスペシャルプログラム。@Tokyo_Symphony @Kadokawa_Museum @dozan72 @LeonoKoto https://t.co/0RPGvmFZW5 pic.twitter.com/KlC7Sui4Mv — 🐯KEITARO HARADA🎻原田慶太楼🎾 (@KHconductor) January 9, 2022 Vous pouvez visionner la vidéo gratuitement jusqu’au 12 janvier. L’orchestre est placé dans la Grande Galerie (plus de 1100 m²) du Kadokawa Culture Museum ; les images animées ont été projetées sur les murs et sur les panneaux qui entourent l’orchestre. On imagine la difficulté de jouer avec les lumières colorées qui changent tout le temps, mais après le concerts, certains musiciens ont fait part, sur les réseaux sociaux, de leurs impressions positives de cette « expérience unique ». Au moment de la diffusion en direct sur internet, les commentaires de spectateurs sont incrustés sur l’écran du vidéo. Le défilement horizontal et vertical des lettres, parfois avec des effets, peut être extrêmement gênant, mais c’est la spécificité de cette plateforme qui fait son succès. Tokyo Symphony Orchestra (TSO), l’un des neuf …
par Victoria Okada -
Daniel Barenboim donne en ce moment même trois récitals à Tokyo, du 2 au 4 juin, avec des Sonates de Beethoven. En tant que pianiste, il y retourne pour la première fois depuis 16 ans. Sa dernière apparition à Tokyo remonte aux 13 et 15 février 2005 ; il a joué l’intégrale des deux livres du Clavier bien tempéré de J.S. Bach. A l’époque, c’était déjà un grand événement, car Daniel Barenboim n’y était pas revenu depuis 15 ans ! En fait, il n’a effectué que trois tournées japonaises en solo, y compris celle de cette année. Ses premiers récitals tokyoïtes ont eu lieu en 1987, du 14 mars au 1er avril, où il a joué les 32 Sonates de Beethoven. Puis, les 8 et 9 avril, il a dirigé l’Orchestre de Paris (Debussy : La Mer; Albenis : extraits d’Ibéria ; Stravinsky : Le Sacre du printemps / Wagner : extraits de Parsifal ; Schubert : Symphonie n° 9 dite La Grande). Les récitals de cette année à Suntory Hall ont été annoncés le 7 avril dernier. Initialement prévu pour deux soirées, les 3 et 4 juin, une troisième soirée (2 juin) a finalement été ajoutée pour satisfaire ses fans, dont certains ne l’ont jamais entendu en concert ! Voici le programme : A. Les premières Sonates, n° 1 à 4. B. Les dernières Sonates, n° 30 à 32. Et les prix sont à la hauteur de l’attente enthousiaste des amateurs de piano : S (optima) : 22 000 yens ; A (catégorie 1) : 18 000 yens ; B (catégorie 2) : 14 000 yens ; P (derrière …
par Victoria Okada -
[L’instant présent #3 – interview bilingue franco-japonais #1] Le chef d’orchestre Takénori Némoto, directeur artistique de l’Ensemble et du festival Musica Nigella, nous parle de son parcours et ses activités en tant que chef, corniste, directeur artistique, transcripteur et compositeur. Né au Japon, Takénori Némoto s’est installé en France au début des années 1990. La dernière édition de son Festival Musica Nigella (en côte d’Opale) a pu se tenir à l’automne dernier en format réduit, juste avant la re-fermeture des lieux de spectacle. En mars dernier, il a pu présenter au Théâtre de l’Athénée-Louis Jouvet son dernier spectacle Quand le diable frappe à la porte, un diptyque Offenbach/Schœnberg. En effet, le théâtre a maintenu deux représentations devant un public de professionnels, soixante personnes au total. Il est conscient de ses opportunités dans ce contexte particulier et se considère comme chanceux ! Tout en analysant les difficultés propres à une région rurale, il livre son espoir. Ses propos, recueillis en mars dernier, restent d’actualité à quelques jours de la réouverture des salles. Portrait fascinant d’un musicien complet. Interview réalisée à Paris, le 24 mars 2021. Les derniers disques de Musica Nigella sous sa direction réunissent ses transcriptions d’œuvres de Ravel et de Chausson pour petites formations ont attiré de nombreux éloges tant chez les critiques que chez les mélomanes ! * Le format de l’interview (questions et réponses en alternance en japonais/français) peut évoluer ! Merci de donner votre avis sur la zone de commentaire en bas de la page. * Deux erreurs se sont glissées sur la générique du vidéo, il faut lire [L’Instant Présent #3] (et non …
par Victoria Okada