Accueil レヴュー舞台コンサート サン・ミシェル・アン・ティエラッシュ古楽音楽祭2022 その2 

サン・ミシェル・アン・ティエラッシュ古楽音楽祭2022 その2 

ヘンデルvsスカルラッティ ドメニコ・スカルラッティの宗教曲

par Victoria Okada

ドメニコ・スカルラッティは500曲以上にのぼるソナタ* があまりにも有名なため、それ以外の曲はなかなか知る機会がない。サン・ミシェル・アン・ティエラッシュ古楽音楽祭(Festival de Saint-Michel en Thiérache) で、クラヴサン(チェンバロ)の巨匠ピエール・アンタイは、スカルラッティとヘンデルが対決したという有名な伝説をもとにプログラムを組み、一部をその場で曲を選びながら演奏した。
同じくクラヴサン奏者のベルトラン・キュイエは、彼が創設したアンサンブル「ル・キャラヴァンセライユ」を弾き振りして、スカルラッティの《スタバト・マーテル》を演奏。その前に《ミサ・ブレビス》(通称「マドリッドのミサ」)、ソナタK30、二重合唱による《テ・デウム》も披露した。

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ピエール・アンタイによるヘンデル・スカルラッティ「対決」プログラム

Pierre Hantaï, 19 juin 2022, Festival Saint-Michel en Thérache © Robert Lefèvre

ピエール・アンタイ Pierre Hantaï はすでにヘンデルとスカルラッティを「対決」させたCDを出しているが、このコンサートでは、そのコンセプトをベースに、大筋のプログラムに沿ってその場で弾く曲を決めながら進んでいった。クリアファイルに楽譜を入れて自分だけの曲集を作り(おそらくテーマごとにこのようなファイルがいくつもあるのだろう)、その中から選んでいく。
アンタイはリサイタルで解説を入れるのが常だが、この日のプログラムについて「イギリスで活躍したヨーロッパ人ヘンデルと、スペイン音楽を咀嚼したイタリア人スカルラッティ」を想定したと語った。会場で販売しているプログラムには「スカルラッティ、6つのソナタ;ヘンデル、序曲ニ短調、組曲ニ短調;スカルラッティ、2つのソナタ」としか印刷されておらず、詳細はその場にならないとわからないというわけだ。
まず、非常に対照的なヘンデルの序曲ホ長調とスカルラッティのソナタニ短調。次に、ヘンデルの曲を集めてアンタイが「組曲」に仕立て演奏した。当時の慣習に沿ったやり方だが、アンタイはよくリサイタルでこの方法を用いる。
最初のニ短調の序曲(オペラ Il Pastor Fido のフランス風序曲)に続いて、「組曲」を構成するそれぞれの曲もニ短調だ。全体的にどちらかというとこじんまりとした曲想の作品を並べてしっとりとまとめた。
最後にスカルラッティのソナタを5曲。明るい曲を集めたが、時折挿入される装飾音や、テンポ設定が、楽譜に書かれている以上の微妙な効果を誘う。アンタイはここに奏者としての解釈を明確に残している。英語や仏語の「奏者、演奏家」interpreter / interprèteという語には「解釈する者」という意味もあるのだが、それを体現したような演奏だ。その奏者=解釈者のイマジネーションが無限に広がり、たった数分間のそれぞれの曲が持つ歌うような旋律や軽快なリズムが融合してゆく。この日、アンタイは弾き慣れた楽器をわざわざ搬入してこのリサイタルを開いた。奏者としてのこだわりが垣間見られる、「対決」というにはあまりにも友好的な、あまりにも音楽的な、光に溢れた午後のリサイタルだった。

 

ベルトラン・キュイエが指揮するドメニコ・スカルラッティの宗教曲

ベルトラン・キュイエ Bertrand Cuiller は、この日のコンサートのメイン曲である《スタバト・マーテル》を最後に置いたが、実はこの曲は1715年頃にローマで作曲されている。つまり、スペインに定住する前の曲で、この日のプログラムで演奏された曲の中でもっとも早期の作品だ。(《テ・デウム》の作曲年が定かでないので、断言はできないが。)最初に演奏された「マドリッドのミサ」は、スペインの王立礼拝堂にある1754年の手稿楽譜に、編曲版があるという。全体的に厳格だが、「クレド」にはとくに作曲の手際の良さが感じられる。《テ・デウム》はドメニコ・スカルラッティの全作品の中で唯一、二重合唱から成る曲。単声の音楽が時折、祈りを強調するかのように、はたと止まるという劇的な効果が施されている。
さて、キュイエが使用した《スタバト・マーテル》の楽譜は、パリの北にあるかつてのロワイヨーモン修道院(現在は文化施設)のフランソワ・ラング音楽図書館所蔵の手稿である。10声と4つの器楽パートがさまざまな形をとって聖母の痛みを表現する。和声的にもポリフォニー的にもヴァラエティに富んだ音楽が次々と表れ、単調さとは対極にある曲だ。宗教曲という形を借りて、作曲技法や表現法、さらには劇作法までもを最大限に試みているようにも感じられるつくりとなっている。
はじめにゆったりと、しかし緊張した旋律で歌われる「Stabat mater dolorosa」が印象的だ。以後、静と動、暗と明、短調と長調などがほとんど交互にあらわれ、また、独唱、二重唱、三重唱、四重唱、合唱がさまざまに取り合わされて変化を生んでいる。最後の2曲を構成するフーガ、とくに「アーメン」はヴォカリーズのように軽快に進む。10人の歌手は、時には天から降りてくるように、また時には天に昇るように伸びる、空気と一体化するかのような透き通った声を調和させる。慎ましさと豪華さを同時に兼ね備えた見事なハーモニーだ。密につめていったかと思うと急に休止が入り、再びゆっくりと苦悩を表現したりする。キュイエは、そのようなコントラストを見事に創り出し、曲に深いドラマ性を与えている。
器楽パートは決して派手ではないが、単なる伴奏に終わっているわけでは決してなく、声楽パートと同じくらい存在感がある。ポジティフオルガンを演奏しながらル・キャラヴァンセライユ Le Caravansérail を指揮するキュイエは、まさに楽譜を隅から隅まで知り尽くしており、一つの音符もおろそかにしない。このような指揮者の行き届いた注意と、それを存分に表現しようとする歌手やミュージシャンたちの真摯なアプローチが相まって、会場の教会の空間いっぱいに美しい音楽が響き渡った。
最近アルモニア・ムンディから同曲を含むCDをリリースしている。録音も素晴らしいのでぜひ一聴をお勧めする。

Caravansérail, 19 juin 2022, Saint-Michel en Thiérache ベルトラン・キュイエは左から二人目 © Victoria Okada

 

* フランスでは、2018年のラジオ・フランス・モンペリエ=オクシタニー音楽祭で30人のクラヴサン奏者が555曲のソナタを演奏して話題になった。(全コンサートはラジオフランスのサイトで聴くことができる)

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