シャンティイー城で行われた室内楽の音楽祭「レ・ク・ド・クール・ア・シャンティイー Les Coups à cœur à Chantilly 」。 最終日10月2日のコンサートは、朝11時から城の絵画ギャラリーで、「若い芽コンサート」。そして17時からは、音楽祭最後のコンサートが大厩舎ドームで行われた。この稿では朝のコンサートを主にレポートする。 ***** 「若い芽のコンサート」 朝のコンサートには、マルタ・アルゲリッチ Martha Argerich の孫ダヴィッド・チェン David Chen(14歳)と、彼とよく舞台を共にしているアリエル・ベック Arielle Beck(13歳)が登場。二人ともすでに昨年、第1回の音楽祭に出演し、ソロや4手連弾で弾いたほか、アルゲリッチとも共演した。 コンサートではまずベックが4曲、ついでチェンが4曲、それぞれ30分ほどのハーフプログラムを演奏し、最後に二人の連弾で締めくくった。 舞台と客席の距離が遠い「大厩舎 Les Grandes Écuries 」のドームで聴いた昨年とは異なり、絵画ギャラリーはコンサート会場としては小さくサロン的な雰囲気で、彼らの演奏を改めて細部までよく聴くことができた。 アリエル・ベック アリエル・ベックは今年、パリ郊外のサン=モール=デ=フォセ Saint-Maure-des-fossés 音楽院に入学。ちなみにここはパリ国立高等音楽院の前院長で作曲家のブリュノ・マントヴァニ Bruno Mantovani が院長を務めており、活発な教育活動が行われている。 ベックは近年はビリー・エイディ Billy Eidi およびイーゴリ・ラスコ Igor…
フェスティヴァル
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フランス王家ゆかりのシャンティイー城で、昨年から室内楽の音楽祭が行われている。今年は9月末から10月はじめに、3日間にわたって開催れた。 この音楽祭を2回に分けてレポートする。第1回はシャンティイーについて。 ***** フランス王家ゆかりのシャンティイー城 シャンティイー城をご存知だろうか。パリから北へ車で1時間足らずの所にあるフランス王家ゆかりの城で、最初に建築されたのが14世紀半ば。その後、建築、改装・増築を重ね、現在の形になったのが19世紀終わりだ。 のちにヴェルサイユの庭師として壮大な庭園を建造したル・ノートル Le Nôtre は、ここに大運河やフランス風庭園を造営して確固たる名声を築いた。 18世紀半ばには、城主コンデ公が王ルイ14世を迎えて開催した祝祭で、宴席を取り仕切っていた料理人フランソワ・ヴァテル François Vatel という人物が、仕入れた魚が届かなかった為に自殺したという有名な逸話がある。これはジェラール・ドパルデュー Gérard Depardieu 主演で映画『宮廷料理人ヴァテール』(なぜ名前が「ヴァテール」と長音になっているのか理解に苦しむが)にもなっているので、ご存知の方もいるかもしれない。 また、シャンティイー城内にある美術館には、ルーブルの次に重要な絵画コレクションを擁しており、とくにオマール公爵アンリ・ドルレアン(1822〜1897)のポートレートギャラリーは門外不出のコレクションとして世界に知られている。 レ・ク・ド・クール・ア・シャンティイー Les Coup de cœur à Chantilly そんな歴史あるこの城で、昨年から「レ・ク・ド・クール・ア・シャンティイー Les Coups à cœur à Chantilly 」という室内楽の音楽祭が開かれている。訳せば「シャンティイーのお気に入り」などとなるだろうか。 音楽監督はピアニストのイド・バル=シャイ Iddo Bar-Shaï。2020年に第1回を開催する予定だったが、新コロナウィルス対策に伴う劇場など文化施設の封鎖で叶わなかった。昨年2021年に行われた第1回は、6月に限られた聴衆だけに場を公開しつつ、ネット配信で開催された。昨年はマルタ・アルゲリッチ Martha Argerich が80歳を迎えたことから、これをどうしても祝いたいというバルシャイの思いにより開催された。…
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ドメニコ・スカルラッティは500曲以上にのぼるソナタ* があまりにも有名なため、それ以外の曲はなかなか知る機会がない。サン・ミシェル・アン・ティエラッシュ古楽音楽祭(Festival de Saint-Michel en Thiérache) で、クラヴサン(チェンバロ)の巨匠ピエール・アンタイは、スカルラッティとヘンデルが対決したという有名な伝説をもとにプログラムを組み、一部をその場で曲を選びながら演奏した。 同じくクラヴサン奏者のベルトラン・キュイエは、彼が創設したアンサンブル「ル・キャラヴァンセライユ」を弾き振りして、スカルラッティの《スタバト・マーテル》を演奏。その前に《ミサ・ブレビス》(通称「マドリッドのミサ」)、ソナタK30、二重合唱による《テ・デウム》も披露した。 ***** ピエール・アンタイによるヘンデル・スカルラッティ「対決」プログラム ピエール・アンタイ Pierre Hantaï はすでにヘンデルとスカルラッティを「対決」させたCDを出しているが、このコンサートでは、そのコンセプトをベースに、大筋のプログラムに沿ってその場で弾く曲を決めながら進んでいった。クリアファイルに楽譜を入れて自分だけの曲集を作り(おそらくテーマごとにこのようなファイルがいくつもあるのだろう)、その中から選んでいく。 アンタイはリサイタルで解説を入れるのが常だが、この日のプログラムについて「イギリスで活躍したヨーロッパ人ヘンデルと、スペイン音楽を咀嚼したイタリア人スカルラッティ」を想定したと語った。会場で販売しているプログラムには「スカルラッティ、6つのソナタ;ヘンデル、序曲ニ短調、組曲ニ短調;スカルラッティ、2つのソナタ」としか印刷されておらず、詳細はその場にならないとわからないというわけだ。 まず、非常に対照的なヘンデルの序曲ホ長調とスカルラッティのソナタニ短調。次に、ヘンデルの曲を集めてアンタイが「組曲」に仕立て演奏した。当時の慣習に沿ったやり方だが、アンタイはよくリサイタルでこの方法を用いる。 最初のニ短調の序曲(オペラ Il Pastor Fido のフランス風序曲)に続いて、「組曲」を構成するそれぞれの曲もニ短調だ。全体的にどちらかというとこじんまりとした曲想の作品を並べてしっとりとまとめた。 最後にスカルラッティのソナタを5曲。明るい曲を集めたが、時折挿入される装飾音や、テンポ設定が、楽譜に書かれている以上の微妙な効果を誘う。アンタイはここに奏者としての解釈を明確に残している。英語や仏語の「奏者、演奏家」interpreter / interprèteという語には「解釈する者」という意味もあるのだが、それを体現したような演奏だ。その奏者=解釈者のイマジネーションが無限に広がり、たった数分間のそれぞれの曲が持つ歌うような旋律や軽快なリズムが融合してゆく。この日、アンタイは弾き慣れた楽器をわざわざ搬入してこのリサイタルを開いた。奏者としてのこだわりが垣間見られる、「対決」というにはあまりにも友好的な、あまりにも音楽的な、光に溢れた午後のリサイタルだった。 ベルトラン・キュイエが指揮するドメニコ・スカルラッティの宗教曲 ベルトラン・キュイエ Bertrand Cuiller は、この日のコンサートのメイン曲である《スタバト・マーテル》を最後に置いたが、実はこの曲は1715年頃にローマで作曲されている。つまり、スペインに定住する前の曲で、この日のプログラムで演奏された曲の中でもっとも早期の作品だ。(《テ・デウム》の作曲年が定かでないので、断言はできないが。)最初に演奏された「マドリッドのミサ」は、スペインの王立礼拝堂にある1754年の手稿楽譜に、編曲版があるという。全体的に厳格だが、「クレド」にはとくに作曲の手際の良さが感じられる。《テ・デウム》はドメニコ・スカルラッティの全作品の中で唯一、二重合唱から成る曲。単声の音楽が時折、祈りを強調するかのように、はたと止まるという劇的な効果が施されている。 さて、キュイエが使用した《スタバト・マーテル》の楽譜は、パリの北にあるかつてのロワイヨーモン修道院(現在は文化施設)のフランソワ・ラング音楽図書館所蔵の手稿である。10声と4つの器楽パートがさまざまな形をとって聖母の痛みを表現する。和声的にもポリフォニー的にもヴァラエティに富んだ音楽が次々と表れ、単調さとは対極にある曲だ。宗教曲という形を借りて、作曲技法や表現法、さらには劇作法までもを最大限に試みているようにも感じられるつくりとなっている。 はじめにゆったりと、しかし緊張した旋律で歌われる「Stabat mater dolorosa」が印象的だ。以後、静と動、暗と明、短調と長調などがほとんど交互にあらわれ、また、独唱、二重唱、三重唱、四重唱、合唱がさまざまに取り合わされて変化を生んでいる。最後の2曲を構成するフーガ、とくに「アーメン」はヴォカリーズのように軽快に進む。10人の歌手は、時には天から降りてくるように、また時には天に昇るように伸びる、空気と一体化するかのような透き通った声を調和させる。慎ましさと豪華さを同時に兼ね備えた見事なハーモニーだ。密につめていったかと思うと急に休止が入り、再びゆっくりと苦悩を表現したりする。キュイエは、そのようなコントラストを見事に創り出し、曲に深いドラマ性を与えている。 器楽パートは決して派手ではないが、単なる伴奏に終わっているわけでは決してなく、声楽パートと同じくらい存在感がある。ポジティフオルガンを演奏しながらル・キャラヴァンセライユ Le Caravansérail を指揮するキュイエは、まさに楽譜を隅から隅まで知り尽くしており、一つの音符もおろそかにしない。このような指揮者の行き届いた注意と、それを存分に表現しようとする歌手やミュージシャンたちの真摯なアプローチが相まって、会場の教会の空間いっぱいに美しい音楽が響き渡った。 最近アルモニア・ムンディから同曲を含むCDをリリースしている。録音も素晴らしいのでぜひ一聴をお勧めする。 * フランスでは、2018年のラジオ・フランス・モンペリエ=オクシタニー音楽祭で30人のクラヴサン奏者が555曲のソナタを演奏して話題になった。(全コンサートはラジオフランスのサイトで聴くことができる)
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サン・ミシェル・アン・ティエラッシュ古楽音楽祭 (Festival de Saint-Michel en Thiérache) のリポートの第一弾として、セバスティアン・ドゥロンの宗教音楽を集めたコンサートのレビューを、NOTEにアップしました。 6月19日、「ローマとスペインのヴィジョン ドメニコ・スカルラッティの世界 Visions romaines et espagnoles L’univers de Domenico Scarlatti」の総合テーマのもとに開催された3つのコンサートの一つ目で、朝11時から、スペインのアンサンブル、ラ・グランデ・チャページェ(ラ・グランド・シャペル La Grande Chapelle)によって行われた演奏会の模様です。 写真 © Robert Lefevre
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*この記事は2ページ 日本ではまだほとんど知られていなくても、フランスでは古参として名声を誇る音楽祭は多い。サン・ミシェル・アン・ティエラッシュ古楽音楽祭もその一つ。オルガニストのジャン=ミシェル・ヴェルネイジュ氏が音楽監督を務めるバロック・古楽音楽祭で、今年で35回目を数える。最終日となる7月4日、ラ=フォンテーヌ生誕400年をテーマにした、レ・ザール・フロリサンのコンサートを聴いた。 ***** フランス王ゆかりのサン・ミシェル・アン・ティエラッシュ修道院 場所となるサン・ミシェル・アン・ティエラッシュ Saint-Michel en Thiérache は、フランス北部の、ベルギー国境に近い場所に位置するかつての修道院。ここに最初の礼拝堂が建設されたのは693年というから、約1400年の歴史を誇る。現在残っている修道院の建物は教会と回廊で、12世紀に遡る。その後17世紀はじめに、ヴェネツィア出身の修道士ジャン=バテイスト・ド=モルナが、修道院を改修した。ド=モルナは、マリー・ド・メディシス(メディチ)がフランス王アンリ4世と結婚しフランスにやってきたとき、その宮廷の一員として王女に同行し、アンリ4世と後継のルイ13世の相談役となった人物。この改修の際、教会に古典様式のファサードと身廊が加えられ、現在に至っている。 教会の内部は響きが良いことで知られており、バロック音楽の録音も度々行われている。 選りすぐりの音楽家を迎えて質の高い演奏会を提供 さて、サン=ミシェル音楽祭では、毎年6月から7月にかけての土曜と日曜に、午前と午後に2つないし3つのコンサートが行われる。昨年は新コロナウィルスで一部のコンサートのみ無観客配信となったが、今年は6月6日から7月4日まで、日曜日のみ2つのコンサートを、時間帯を若干変更して開催された。 音楽監督のジャン=ミシェル・ヴェルネイジュ Jean-Michel Verneiges 氏は6月、筆者のインタビュー(仏語)に答えて、今年は長く中止されていたコンサートがやっと再開できるようになったばかりで、プログラミングは政府が提示してくると考えられるコンディションに基づいて、いくつかのヴァージョンを想定。35回目となる今年の音楽祭では、無観客となった去年の分も取り戻すべく、選りすぐりの演奏家を迎えて、質の高い演奏会を提供することに心を砕いた、と語っている。メゾソプラノともコントラ・アルトともいえる独特の深い声をもつリュシール・リシャルド Lucile Richardot、日本でも人気のフィリップ・ジャルスキー Philippe Jaroussky、ハンガリーの実力派ソプラノでヨーロッパでは人気を誇るエモケ・バラット Emőke Baráth とアンサンブル・イル・ポモドーロ Ensemble Il Pomo d’Oro、実力派のソプラノ、サンドリーヌ・ピオー Sandrine Piau とヴェロニク・ジャンス Véronique Gens の「対決」、ヴァンサン・デュメストル Vincent Dumestre 指揮ル・ポエム・アルモニーク Le Poème Harmonique によるヴェネツィアの音楽と歌。そしてフランス学士院会員の作家エリック・オルセナ…
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ラ・フォル・ジュルネの運営機関SAEMの総ディレクター(ゼネラルマネージャー)が本日3月12日、突然辞任しました。 事の発端は、今年1月末に、ナント氏が出資している女性の権利を促進するある機関に不正会計が発覚したことでした。この機関のディレクターであるジョエル・ケリヴァン Joëlle Kerivin 氏はSAEMの総ディレクターでもあることから、両機関の間に財政的な関係がないかを確認するため、ナント市が監査を依頼していました。本日発表された監査結果で、音楽祭の財務状況にも不正があることが明らかになりました。監査結果には、「ゼネラルマネージャーの給与や接待費の前払い額に、正当化された実際の会計記載を大きく上回る金額が確認された」とあります。このため、ケリヴァン氏は即時辞任しました。 ナント市は「明らかに、少なくとも運営上のミス」となる「重大な欠陥が見られる」として、ナント検察に苦情を申し立てました。またSAEMも同様に苦情の申し立てをしています。 音楽祭の芸術部門を一手に引き受けるCREA(ルネ・マルタン René Martin 氏がディレクター)は、この監査結果とゼネラルマネージャーの辞任を伝えられて、「ラ・フォル・ジュルネを存続して開催するために全力で動員する」とのコメント寄せています。またマルタン氏は、ウエスト・フランス紙に、SAEMとCREA*はそれぞれが独立した機関で、会計も別であることを明記し、「CREAはアーティストの出演料をきちんと支払っており、毎年監査人による会計審査を受けている」と述べています。またル・フィガロ紙には「SAEMはCREAとは完全に独立した法人で、私は口座にアクセスすることができず、会計を見ることもない。知っていたのは、収支のバランスが取れているかだけです」と語っています。 ナント市で当初2月5〜7日に行われるはずだった今年のラ・フォル・ジュルネは、新コロナウィルスのために4月に延期開催される予定でしたが、3月12日、再度5月または6月に延期されることが伝えられました。現在日程などを調整中だということです。 ソース France Musique, Diapason Mag, Le Figaro, Ouest France * CREAはルネ・マルタン氏が音楽監督を務める全ての音楽祭のアーティスト招聘およびプログラミングを一手に引き受けているアート・ディレクター機関。
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(2018年6月12日他サイトに投稿した記事に加筆・訂正したものです) リール・ピアノ・フェスティヴァル Lille Piano(s) Festival レポート第二弾。 セドリック・ぺシャ Cédric Pescia は1976年ローザンヌ生まれの、スイスを中心に活動するスイスとフランスの国籍を持つピアニスト。ローザンヌとジュネーヴの音楽院に学んだ後ベルリン音楽大学でクラウス・ヘルヴィッヒに師事した。2003年から2006年には、コモ湖国際ピアノアカデミーに選ばれ、ドミトリ・バシキーロフ Dmitri Bashkirov、アンドレアス・シュタイアー Andreas Staier、レオン・フライシャー Leon Fleisher、フー・ツォン Fou T’songなどの教えを受けている。2012年からジュネーヴ高等音楽院の教授として後進の指導にもあたっている。 バッハ、モーツァルト、シューマンなどドイツものを主に、ケージやメシアン、シュトックハウゼンなどまで幅広く手がけているが、彼のレパートリー・リストにはショパンやリストが見当たらない。これは国際的に活躍するピアニストとしてはかなり稀なケースだろう。決して華美な面に走らず、自分の弾きたいものを慎重に選んで深く掘り下げていくタイプで、それはコンサートでの演奏にもはっきりと表れており、いつも好感を持って聞くことができる。 さて、今年のリール・ピアノ・フェスティヴァルでは、そのぺシアがバッハの《平均律クラヴィーア曲集》を2日にわたって全曲演奏するという。この音楽祭では、数年前に彼が確か《フーガの技法》(《ゴールドベルグ変奏曲》だったかもしれない)を演奏したのを聞いた。緻密に構築された対位法が厳格でいて生き生きと奏でられる様子に、大変に感銘を受けたのを覚えている。曲目が定かではないのは、演奏そのものの印象があまりにも強かったからだ。 あの時のリサイタルでも楽譜を見ながらの演奏だったが、今回も同様に楽譜つき。 余談だが、最近は若いピアニストでも楽譜を見ながら弾く人が多くなっている。リストの時代に始まり、今まで当然と考えられてきた暗譜演奏への疑問から、楽譜を見ながらでもいいと結論する演奏家が増えているのだ。他の楽器の演奏家は楽譜を見てもいいのに、なぜピアニストだけ暗譜を強要されるのかという疑問である。さらに、暗譜という行為には個人差があるため、自分にとって最良のコンディションで弾きたいと希望し、楽譜を置いて演奏する人があちこちで出てきている。(ちなみに私がまだピアノ学生だった頃、あるコンサートで楽譜を見て弾いてあとで「先輩」にこっぴどくお説教をされた記憶がある。時代は変わったというべきか。) 6月9日土曜日の朝11時から第1集、翌10日の10時から第2集を、リール音楽院ホールでそれぞれ2時間余りにわたって休憩なしで弾く。ぺシアの演奏はどちらかというとドライで、感情移入よりも音楽の構造を整然と聞かせていくというシフトだ。だからといって冷たいのでは全くなく、リズム感に溢れ、それを強調するかのように鋭く打たれる鍵盤から発する音が鮮烈。時にはまるでポップミュジーックを聞いているような感覚に襲われる。嬰ホ長調BWV876のプレリュードなどのような優雅な曲では一転して音そのものの美しさが光っている。演奏では、一見矛盾するかのようなこれらの性格が微妙に溶け合って、不思議な効果を出している。複雑なフーガも、彼の手にかかると至極明快。それはまるでもつれた糸が難なくほどけていくようなイメージだ。プレリュードは、曲によって変わるさまざまな性格が見事に表現されている。こうやって通して聞くと、ぺシアのアプローチはピアノという楽器上でのアプローチであることがよくわかる。その解釈は、バッハ後に生まれたさまざまな音楽の流れを踏襲した、21世紀の現代的解釈だと感じた。それゆえ、聞く側もポップやロックのような要素を感じ取れるのだ。バッハの時代の通例だったと考えられている演奏法にはとくにこだわらず、しかしながら様式感はしっかりと保ちながらの解釈。そんな彼の演奏を聴きながらなぜか、芯となる何かがすっとまっすぐに伸びているというイメージが何度も思い浮かんだ。 バロック期の作曲家の鍵盤曲をピアノで弾くということの是非については、昨今活発に論じられているが、バッハの作品はどの楽器にもたえられるもので、現代ピアノという楽器の可能性をも存分に引き出せる。そしてそれがバッハの音楽をさらに普遍たるものにしている。だから仮に、あるピアニストがクラヴサンやクラヴィコードでの演奏を全く知らなかったとしても、現代的な解釈だけでも十分に成り立つ。第一、バッハ自身、楽器を特定して作曲するというよりも、音楽のつくりそのものを表現しようした場合が多く、それをどの楽器で演奏するかは演奏者に委ねられる割合が大きい。そういう意味では、純粋に現代のフルコンサートピアノの機能を存分に駆使した《平均律》の演奏は、それだけで美しい。 これまでにもピアノの巨匠たちが多くの名演奏を残している《平均律クラヴィーア曲集》。リールでのぺシアの演奏はそのリストに名を連ねると言っても過言ではない、素晴らしいものだった。 Photo © Ugo Ponte / ONL
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(2018年6月12日に他サイトに投稿した記事に加筆・訂正したものです) 6月8日金曜日 開幕コンサートと「ザ・ボーイズ」プログラム フランス北部の中心都市リール。かつては炭鉱で栄えたが(近郊にあるボタ山とその周辺がユネスコの文化遺産に登録されている)、現在はパリとブリュッセル、アムステルダムをつなぐ一大文化都市として発展を遂げている。 このリールには、リール国立管弦楽団 Orchestre national de Lille がある。指揮者のジャン=クロード・カサドシュ氏 Jean-Claude Casadesus が40余年前にマンネリ化が激しかった小オーケストラを受け継ぎ、地方内の至るところに出向いてゆく地域密着型オケとして立て直し、「国立」にのし上げたオケだ。至るところというのは、町、村から小村までという地理的な意味だけではない。学校、病院、刑務所をはじめ、公民館、サーカス、体育館、集会所、教会など、当時はクラシック音楽の演奏会場として全く想像もできなかった場所をまさに「どさ回り」し地域全体を歩き潰して聴衆を獲得したのだ。そうやって活動を開始して数年間で定期会員の定着率がフランス国内で1・2位を争う驚異の団体に成長。学校コンサートで子供がクラシック音楽に興味を持ち、親を演奏会に連れ出して、一緒に定期会員になるというケースも多々見られ、クラシックを普及させることに大きく貢献している。 ジャン=クロード・カサドシュ氏は、日本でも根強いファンが多いロベール・カサドシュ Robert Casadesus (1899-1972) を輩出した家系に生まれた。母親のジゼル Gisèle さんは実力派女優として100歳を超えても舞台にたち(昨年2017年に享年103歳で亡くなった)、娘のカロリーヌ Caroline Casadesusさんはメゾソプラノ歌手、その息子であるダヴィッド・エンコ David Enhco、トマ・エンコ Thomas Enhco 両氏は、ジャズトランペッター、ジャズピアニストとして世界に名を馳せている。一族には、今年2月に急死したジャズヴァイオリンのディディエ・ロックウッド Didier Lockwood や、ハリウッド俳優オーランド・ブルーム Orlando Bloom などもおり、ジャン=クロードさんは数代続く芸術家一族の現在の棟梁とも言える存在だ。 (ジャン=クロードさんは自伝的な本を2冊書いており、地方活性化秘話や、家族・音楽家たちの裏話など色々盛りだくさんで面白い。翻訳のプロジェクトを複数の出版社に打診したが、今のところ出版元が見つからず計画は止まっている。どなたか出版にたどりつける可能性をお持ちの方、アイデア大歓迎です。) さて、リール・ピアノ・フェスティヴァル Lille Piano(s) Festival はそのジャン=クロードさんが立ち上げた音楽祭で、リール国立管弦楽団の本拠地であるル・ヌーヴォー・シエークル Le Nouveau…
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毎年6月の第二週末にフランス北部の中心都市リール Lille で開催されているリール・ピアノフェスティヴァル Lille Piano[s] Festival。新型コロナウィルスのため当地での開催が不可能となり、100%デジタル版の音楽祭を YouTube で配信することになった。 6月12日金曜日19時から14日日曜日22時まで、20ほどのコンサートがプログラムに上がっている。 ベートーヴェン生誕250年の今年はやはりベートーヴェンが中心だが、金曜日20時30分からのオープニングコンサートは、オール・ブラームスプログラム。演奏は昨年のチャイコフスキーコンクールで優勝したアレクサンドル・カントロフ Alexandre Kantorow。23歳になったばかりだがその成熟した音楽性は巨匠の演奏にも全く引けをとらない。 音楽祭はクラシックとジャズが大きな2本の柱だが、子供も交えて家族で聴けるコンサートや、ジャンル不問のコンサートもあり、さらにトークや解説を通して聴衆とのコミュニケーションも忘れない。 曜日ごとにプログラムを見てみよう。 オープニングコンサートに先立って、前座的に二つのコンサートが組まれている。まず19時にジャズの Xavi Torres Trio がアメリカから40分間、ベートーヴェンの有名なソナタをモチーフに自在に音楽を展開する。次に20時からトランペットのリュシエンヌ・ルノーダン=ヴァリー Lucienne Renaudin-Vary がアコーデオンのフェリシアン・ブリュ Félicien Brut と共演。 リュシエンヌは1999年生まれで、10代前半から演奏活動をはじめ、2016年にはヴィクトワール・ド・ラ・ミュージック賞の新人賞を受賞している。ワーナークラシックスからすでにアルバム(それぞれリール国立管弦楽団、BBC管弦楽団との共演)を2枚出している期待の若手。20時30分からのカントロフのリサイタルはブラームスのバラードop.10 とソナタ第3番へ短調op.5。そのあと21時30分から30分間、ジャン=フランソワ・ジジェル Jean-François Zygel がベートヴェンによる即興を行う。ジジェルはジャズとクラシックの間を行き来しつつ、クラシック音楽普及活動と呼べる演奏会やテレビ番組を多く手がけており、フランスの音楽愛好家にはおなじみの顔だ。彼は三夜続けて即興を行う(土曜日20時、日曜日18時30分)。金曜日最後のコンサートはジャズで、22時からエリック・トリュファーズ Erik Truffaz のトランペットと、ピアニストで作曲家のエストレイラ・ベッソン Estreilla Besson。22時50分からはリール国立管弦楽団 Orchestre national de Lille(リールピアノフェスティヴァルの主催機関)の音楽監督で指揮者のアレクサンドル・ブロック Alexandre…
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(2018年8月に仏サイトに投稿した記事の和訳ダイジェスト版です) ベルリオーズ没後150周年の公式行事の音楽監督に任命されたばかりのブリュノ・メシナ氏が、来年よりメシアン音楽祭の音楽監督をつとめることが発表された。 メシアン音楽祭は、メシアンの音楽をこよなく愛するガエタン・ピュオー Gaëtan Puaud 氏が1998年に4つのコンサートで始まった。ビュオー氏は音楽畑の人物ではなく、メシアンの音楽への強い思い入れから音楽祭を創設。現在ではフランスおよびヨーロッパでも有数の音楽祭となっている。フランスアルプスの名峰、メイジュ岳を臨む雄大な環境のもと、毎年7月末から8月初めにかけて9日間の日程で開催。1948年生まれのピュオー氏は音楽祭20周年の今年で退任し、最終日の8月6日、フランスソワーズ・ニッセン文化大臣臨席のもと、後任にブリュノ・メシナ Bruno Messina 氏を任命したと発表した。
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来年はベルリオーズ没後150周年。 7月20日付けの文化省のプレスリリースにて、フランスワーズ・ニッセン文化大臣は、公式記念行事の芸術監督に、現在ベルリーズ音楽祭の芸術監督であるブリュノ・メシナ Bruno Messina を任命したと伝えた。 メシナ氏は1971年ニース生まれ。パリ国立高等音楽院で学んだ後、ジャズ、ジャワ島のガムラン、民族音楽学を学んだ。2004年から2008年までパリ西郊ナンテール市のメゾン・ド・ラ・ミュジックの音楽監督。2009年からは、ベルリオーズの生誕地であるコート・サン・タンドレで開催されているベルリオーズ音楽祭の音楽監督を務めている。 今年のベルリオーズ音楽祭は8月18日から9月2日まで。詳細はこちら(英語 仏語)