フランスでコンサートホールが再開してまもない6月14日、アルカディ・ヴォロドス Arcadi Volodos が待望のリサイタルを行った。主催はPiano ****。プログラムはシューベルトのソナタト長調op. 78 D 894 とブラームスの『ピアノのための6つの小品』op. 118。今回もヴォロドス特有の染み入るようなピアニシモが心に残る名演だった。
独特の世界
シューベルトとブラームスはヴォロドスが最も得意とする作曲家。音楽の美しさもさることながら、彼のリサイタルに足を運ぶ人々は、詩情と音の暖かさに包まれた、日常を離れた美に浸ることを望んでいるのではないだろうか。回を重ねるごとにその度は増し、ヴィルトゥオーソとして鳴らしたデビュー当時とは全く異なった、独特の世界をつくりあげている。
ヴォロドスがロマン派とその前後以外のレパートリーを弾くのは稀だ。彼のプログラムは、クラシックファン、ピアノファンなら誰でも知っている曲で構成されている。それはある意味で大きなリスクを伴う。過去・現在の巨匠たちによる名演がいくつもあり、どうしても比較される運命にあるからだ。
そういうリスクを負いながらも、あえてこれらの曲を弾く。そして、彼の演奏をその場で聴いた人々は、今まで知っていた曲が思いがけない新しい面を持っていることに気づき、驚く。ここはこんな響きを持っていたのか、あのパッセージはこんな風に弾くこともできるのか、このメロディはこんなにも叙情的だったのか…… そんな「再発見」が次から次へと繰り広げられ、リサイタルが終わる頃には、今度は彼の視点に感服している自分を「再発見」するのだ。
内面性が心に残るシューベルトのソナタ
この日もそうだった。まず、内面性が心に残るシューベルトのソナタ。第1楽章は、遅いテンポで、まるで何もない和室のような質素さで進む。質素ではあるが、つくりはしっかりとしている。その縁側から清楚な庭を見つめながら、胸の中で深い思いに浸るような音を重ねてゆく。そこにあるのは静寂。限りないピアニシモが心に染みる。時おり動きがあっても、その動きが一種のヴァイオレンスを漂わせていても、それはその後にくる静寂をさらに強調するためであって、決して動き自体が主体ではない。第2楽章でもその印象は変わらないが、動的で外に向けられた要素が加わっている。その度合いの微妙さはヴォロドスならでは。続く第3楽章は、「メヌエット」と題されているものの、苦悩と喜びを交互に表現するような、やはり内面的なものを感じさせる演奏だ。フォルテでも決して強くなりすぎず、繊細さを保っている。トリオには束の間のやすらぎのような、また天上にいるかのような、なんとも言えない安心感が漂っている。そして終楽章。左手の連打和音と、何度も繰り返されるモチーフが、一度もマンネリに陥ることなく、常に新鮮に次から次へと湧いてでる。内面的な性格は失われてはいないが、光を浴びて喜ぶ子供のような、純真な喜びが溢れている。それとも、子供時代の幸せな思い出に浸っているのだろうか? 中間部の抑揚を聞くと、人生を回顧しているようにも感じ取れる。ゆっくりしたコーダはその人生に満足しきった雰囲気がある。繰り返しが多く、一律的になりがちなこの長大なソナタで、常にこのような感覚を抱かせるヴォロドスの力量には、全く驚かされるばかりだ。
1曲ごとに物語を感じさせるブラームス
続いてのブラームスの「ピアノのための小品」は、重厚な音が印象的。ブラームスの重層的な書法ももちろんだが、決して重くならず、重なる音の精髄をダイレクトに聴かせる。柔さ、優しさ、愛おしさと同時に、絶妙の加減でふと感じられる深刻さや陰もあり、その感性の深さと細やかさに脱帽するばかりだ。ここでもピアニシモが雄弁だ。それは6曲の一つ一つで異なった顔を見せている。シューベルトがそうであったように、彼のブラームスには、1曲ごとに物語を感じさせるのだ。その物語は、一方的に語られるものではなく、ともに分かち合おうと提案されるものだ。物語がどのようなものであれ、その語りぶりがあまりにも美しいので、聞く人は納得せざるを得ないのだ。
4曲のアンコール
プログラムが終わった後、ピアノによる語りに納得した聴衆は、最大に温かい拍手でアーティストに敬意を示した。その敬意に、4曲のアンコールで答えるヴォロドス。最初の3曲はリサイタルの延長で、ブラームスの間奏曲op. 117から変ホ長調、シューベルトのソナタ イ長調D959から第2楽章、同じくシューベルトのソナタ イ長調D334からメヌエット。そして最後に、モンポウのピアノ曲集『風景』から「湖」。半ばはにかむような優しい表現が印象的。ここでヴォロドスが聴かせたピアニシモと繊細な音は、この世とも思えない美しさだった。
2021年6月14日20時 パリ、フィルハーモニー ピエール・ブーレーズ大ホール