Accueil レヴュー舞台スペクタクル リエージュ 『聖母月』と『修道女アンジェリカ』 伝統の重みと演出の関係

リエージュ 『聖母月』と『修道女アンジェリカ』 伝統の重みと演出の関係

par Victoria Okada

ベルギー、リエージュの王立ワロニー・リエージュ・オペラ Opéra royal de Wallonie-Liègeは、1月末から2月初めにかけて、ウンベルト・ジョルダーノ Umberto Giordanoの『聖母月 Mese mariano』とジャコモ・プッチーニ Giaccomo Pucciniの『修道女アンジェリカ Suor Angelica』を二部作に見立て、5回にわたって上演した。指揮はオクサーナ・リーニフ Oksana Lyniv ラーラ・サンソーネ Lara Sansone の演出は台本の記述を忠実に守った、非常にクラシックな舞台だった。

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今回の「二部作」の話題は、ほとんど上演されることのないジョルダーノの『聖母月』が演出付きで観られることと、指揮のオクサーナ・リーニフが初めてリエージュ・オペラに登場することだった。彼女は昨年(2021年)7月、バイロイト史上初の女性指揮者として、『さまよえるオランダ人』を振ったのでご存知の方も多いだろう。このリエージュ公演では、指揮よりも演出に注意が向かった。そこで、演出を中心に論じてみたい。

 

少年少女合唱団 Maîtrise Mese Mariano (c) J Berger ORW Liège

 

あらすじ

二つともあまり上演機会がない作品なので、まずあらすじから見てみよう。
『聖母月』の題名は日本語ではなぜか『マリアの唇』となっているが、その由来はよくわからない。イタリア語のMese mariano は「マリアの月」の意で、聖母祭がもたれる5月をさす。それはオペラの筋書きからも明らかだ。主人公のカルメーラは、かつて結婚前に夫とは別の男性との間にできた子供を、夫の強い意向でやむなく手放さねばならなかった。復活祭の日曜日に、ふと我が子に会いたくなり、子供が生活している修道院の孤児院にやってくる。しかしその我が子はまさにその日に亡くなっていた。修道院長は、子供は聖歌隊でマリア月のミサのために練習をしているので、会うことができないと面会を断る。カルメーラは次回こそは子供に会いたいと、心を引き裂かれる思いで修道院を後にする。
『修道女アンジェリカ』も、題名が示す通り、修道院が舞台だ。アンジェリカはかつて恋愛におち子供を産んでいた。その罪を償うためにという家族の意向によって修道院に入れられたアンジェリカの唯一の望みは、子供に会うことだった。ある日、高級貴族の叔母がやって来て、貞操なアンジェリカの妹が結婚するので、相続権を破棄する書類に署名をせよと迫る。その際アンジェリカは我が子の知らせを尋ねるが、叔母の沈黙から、子供は亡くなってしまったことを察する。彼女は絶望のあまり自殺を図るが、自死が深い罪の行為であることに気づき、聖母マリアの加護を祈る。天から贖罪の歌声が聴こえて幕が閉じる。

 

聖母月の一場面 M. HEYSE, N. KOWALSKI, J. BAILLY, V. URMANA, A. BUREAU, S. LAULAN, P. DELCOUR, Maîtrise Mese Mariano (c) J Berger ORW Liège

 

演出のスタンス

台本からも分かる通り、二つの作品は同じようなテーマを扱っており、二部作にするにはもってこいだ。作品では宗教の重圧があまりにも前面に押し出されていて、現代のヨーロッパ人の感覚には重すぎる。そこで、二つの選択が考えられる。台本に忠実に、衣装や舞台装置も書いてある通りにするものが一つ。これはわかりやすいかもしれないが、多くの人が感じていた逃げ場のない重さを強調することになる。もう一つは、個人の物語として内面の痛みを表現するもので、直接的な表現を避け抽象的なものにすることが多い。例えば修道院を白い壁で囲まれた広い空間にするなどである。こちらが一般的な傾向だ。しかしサンソーネは「台本と音楽をそのまま尊重」する演出で、修道院という環境を文字通りに表現することを選んだ。このリエージュ・オペラでの演出は、「どのようなスタンスを取り入れるか」を考える上で、大変に興味深い例を示していると思われる。

 

修道女アンジェリカ アンサンブル Ensemble Suor Angelica (c) J Berger ORW-Liège

 

ラーラ・サンソーネの演出の考え方

彼女はプログラムに、今回の演出についての考え方を示す一文をあげている。その中から一部を抜粋してみよう。

「『修道女アンジェリカ』をひもといた時、かなり昔につくられたオペラに、どれだけ私たちの世代に語りかけるものがあるかということに驚きました。台本と音楽を読めば読むほど、他の修道女たちから受ける制約や悔恨をはるかに超えた力が、主人公の胸中の生きたいという願望によってふつふつと湧き出していることが理解できました。その力は、深い抑圧の重苦しい時代にあったあらゆる限界を超越したところで、湧き出ているのです。」
「『修道女アンジェリカ』では台本と音楽をありのままに尊重した演出をしたいと思い、〔中略〕修道女たちの着古された重い修道着と金色の光(1年に3日だけ修道院の回廊に入ってくる太陽の光)を通して、痛苦と蘇生の物語を表現しました。」
「『聖母月』はナポリにある古くからの伝統に深く関連した作品ですが、私は代々ナポリに住む家族の出自なので、ここに表されているサインや気分が手に取るように理解できます。ここでも、きれいなイメージからかけ離れた、ありのままのナポリに物語をおき、台本と音楽に忠実に演出しました。」

つまり、サンソーネにとって、当時の様相を示す修道院や修道着は、どの時代にも通じる普遍性の表現手段だと捉えることができる。これは現在の大きな傾向とは逆行するものであるがゆえに興味深い。

 

修道女アンジェリカ役のS. ファルノッキア S. FARNOCCHIA Suor Angelica (c) J Berger ORW-Liège

 

舞台を現代に移すこと

上にも触れたように、一般に欧州の劇場で上演されるオペラや演劇の演出では、舞台を現代に移すことが多い。それには、大きく分けて次のような理由があると考えられる。一つ目は、過去の演出概念やこれまでの演出のスタンダード性を払拭して、その演出家独自の新しいインパクトを残そうとするため。二つ目は、フィクションではあるが実際に起こったかもしれない展開が、現代的なシチュエーションでも十分にあり得ることを示し、物語の普遍性を強調すること。3つ目として、現代的な視覚要素に史実を想起させるレクチャー(解釈)を採用し、物語が孕んでいる人間や歴史の性(さが)に目を向けさせること。これとは逆に、集団心理のなかにいまだに根深く残っている古来からの感情を取り払うべく、過去のレファレンスを捨て、全く新しい現代の物語として提案する試みもなされている(これは演劇においてより顕著かもしれない)。それぞれに成功例も失敗例もあるだろうが、音楽が伴うオペラでは、その音楽の様式によってどうしても時代背景が強く規定されてしまい、完全に時代を移行することは困難が伴うように思われる。例えばバロックオペラなどの場合、21世紀を表した舞台と音楽とのギャップが大きすぎて違和感を感じるものも多々ある。

余談になるが、その意味では、最近パリのガルニエ宮で上演されたモーツァルトの『フィガロの結婚』は、オペラ座の舞台裏での出来事という設定で成功した好例だと感じた。フィガロは裏方でかつら担当、スザンナは衣装担当で、伯爵や伯爵夫人はこれらの役を歌う歌手としているので、2022年を想定した演出でも「伯爵」という言葉に違和感がない。(筆者による仏語の批評はここから読めます

 

修道女アンジェリカの叔母役のV. ウルマナ V. URMANA Suor Angelica (c) J Berger ORW-Liège

 

話を戻すと、ラーラ・サンソーネの、言ってしまえば古臭い演出が、彼女の意図を完璧に伝えているかどうかは、観る人それぞれの感性によると思うので、評価も個人によってかなり異なるだろう。重苦しい修道着に伝統や「禁止」の文化の重圧を感じる人は多いと考えられる。カトリック教会が長年にわたって隠蔽してきた、児童も含めた性的虐待の事実が、まさに去年あたりから次々と明らかになっているがゆえに尚更だ。とはいえ、見た目には大変に美しく、保守的な演出を多く提供しているリエージュ・オペラの観客層にはよく受け入れられていたようだ。また、ヨーロッパ人のようにキリスト教の伝統の重みに耐えきれないということがほとんどない日本の聴衆には、オペラのできた時代の服装などを見ることで一種の安心感を感じられ、受け入れやすいと推測する。

 

背景にナポリの街が S. FARNOCCHIA, S. LAULAN, V. URMANA – Mese Mariano (c) J Berger ORW-Liège

 

演奏評

演出についての記述が長くなってしまったが、演奏評を一言添えておこう。オクサーナ・リーニフの指揮は休憩後の『修道女アンジェリカ』の方で存分に発揮されていたと感じた。プッチーニの重層的なオーケストレーションを明瞭に聴かせることに成功し、歌手との掛け合いも非常にうまくまとめている。オーケストラも指揮によく応え、均等性のある音色でヴェリスモのドラマ性をよく表現していた。両作品で主役を歌ったのはセレナ・ファルノッキア Serena Farnocchia。上演時間約45分の『聖母月』は、主役歌手のリサイタルとも言えるほどカルメーラ役に集中しているが、物語が進むにつれて動揺が高まるさまを、ファルノッキアは見事に歌いあげていた。『修道女アンジェリカ』では高音部が伸びなかったものの、深みのある中音部でたっぷりと聴かせた。『聖母月』の修道長とアンジェリカの叔母役のヴィオレタ・ウルマナ Violeta Urmanaは、貫禄ある太い音色で役によく見合った歌唱を披露。合唱は子供の合唱団も含めマスクをしていたが、音量にはなんら問題なく、全体としてよくバランスがとれていた。

王立ワロニー・リエージュ・オペラでの『聖母月』と『修道女アンジェリカ』は FranceTV の配信サイト CultureBox で2023年2月18日まで視聴可能。

2022年2月6日鑑賞
演出・衣装 : Lara SANSONE
衣装 : Gabriela SALAVERRI
舞台装置 : Francesca MERCURIO
照明 : Luigi DELLA MONICA
王立ワロニー・リエージュ・オペラ管弦楽団・合唱団
指揮 : Oksana LYNIV
合唱指導 : Denis SEGOND

聖母月 MESE MARIANO 2022年2月6日配役
作曲 : Umberto GIORDANO
台本 : Salvatore DI GIACOMO
Carmela : Serena FARNOCCHIA
Madre Superiora : Violeta URMANA
Suor Pazienza : Sarah LAULAN
La Contessa : Aurore BUREAU
Suor Cristina : Julie BAILLY
Suor Celeste : Chantal GLAUDE
Suor Maria : Natacha KOWALSKI
Don Fabiano : Patrick DELCOUR
Suor Agnese : Réjane SOLDANO
Valentina : Irina BALTA-LES, Chloé LENGELÉ

修道女アンジェリカ SUOR ANGELICA 2022年2月6日配役
作曲 : Giacomo PUCCINI
台本 : Giovacchino FORZANO
Suor Angelica : Serena FARNOCCHIA
La Zia Principessa : Violeta URMANA
La Badessa : Julie BAILLY
La Suora Zelatrice : Sarah LAULAN
La Maestra delle Novizie : Aurore BUREAU
Le Cercatrici : Natacha KOWALSKI, Julie BAILLY
Suor Genovieffa : Louise KUYVENHOVEN
Suor Osmina : Emma WATKINSON
Suor Dolcina : Réjane SOLDANO
La Suora Infirmiera : Béatrix PAPP
Una Novizia : Alexia SAFFERY
Le Converse : Myriam HAUTREGARD, Emma WATKINSON
La Madone : Virginie BENOIST
Un petit garçon : Samuel CARTA
Un Valet : Jérôme JACOB-PAQUAY

 

修道女アンジェリカでのV. ウルマナとS. ファルノッキア V. URMANA & S. FARNOCCHIA Suor Angelica (c) J Berger ORW Liège

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