チェロのヴィクトル・ジュリアン=ラフェリエール Victor Julien-Lafférièreとピアノのアレクサンドル・カントロフ Alexandre Kantorow の初めてのデュオリサイタルは、二人の演奏家の類稀なる才能がとけ合って、「これぞ音楽だ」と叫びたくなるような、新しい年の幕開けにふさわしい素晴らしいコンサートとなった。
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シャンゼリゼ劇場で日曜日の朝11時から随時行われているシリーズ、Concerts du dimanche matin は、その名も「日曜朝のコンサート」。教会でのミサの時間であるこの時間帯にコンサートを定着させた立役者でもあるシリーズで、30年以上続いている。このデュオコンサートはもともと今年のシーズンプログラムにはなかったもので、急遽開催が決まった。その上、衛生パス(ワクチン接種、抗体検査陰性などの証明)が「ワクチン証明パス」(抗体検査陰性証明は無効)となり、一般に観客数の減少が予想されていたにも関わらず、会場は満員。人気のほどが伺える
プログラムはサン=サーンスのチェロソナタ第2番と、フランスのヴァイオリンソナタのチェロ版。
サン=サーンスのチェロソナタは未完の第3番を含めて3曲あるが、どれもあまり知られていない。2番は1905年つまり70歳の時の作曲・出版で、高度な技巧が散りばめられた大曲だ。
ヴィクトル・ジュリアン=ラフェリエール は、一つ一つの音を丁寧に扱いつつ、スケールの大きな演奏でぐいぐいと引き込んでゆく。第一楽章でチェロが奏でた一音がピアノに引き継がれ伸びていく様子は、二人の音楽性がどれだけ近いものかを物語っているだけでなく、擦弦と打弦という全く異なる音の出し方がこんなにも融和するものだったのだと感じさせる力を持っている。第二楽章のスケルツォ変奏曲は有名なパガニーニの変奏曲がちらちらと顔を出すが、二人の演奏では深いドラマ性を引き出しているのが特徴。そのドラマ性は第三楽章「ロマンツァ」の中間部に引き継がれ、はじめに現れるふくよかな夢見るようなチェロのテーマと深い対照をなしている。第四楽章は演奏家のヴィルトゥオーソ性が光る。
続くフランクのソナタでは、第二楽章で急と緩の対比の幅が思いがけないほど非常に広く、軽いショックを受けた。しかしゆったりとした部分でも速い部分でも、見事な伸びがあり、一つ一つの音に生命が躍動している。つまり一音ともおろそかにされていないのだ。全体的に彼らのフランクには、ある意味で後期ロマン派的な濃厚さがあり、マーラーの響きを想起させる。そして、19世紀終わりの交響曲などによく見られるクロマティズムが明快に聴き取れるのだ。フランクの音楽が重厚なのは誰もが感じることであろうが、一作曲家の様式に止まらず、この時代の音楽に貫かれる雰囲気をこれだけよく表現しているのには感心する。
アンコールは2曲で、フォーレのソナタから緩徐楽章と、サン=サーンスのソナタ第2番のスケルツォ楽章を再演。これらも、もっと聴きたいと思わせる快演だった。
ジュリアン=ラフェリエールは懐の深い音色と常に上へ上へと伸びる柔軟性が魅力だ。アレクサンドル・カントロフのピアノは、ピアノパートだけを聴いても完結しているほど優れているが、チェロの音を十分に活かしつつもピアノを存分に聴かせる技は、故意に習得しようと思ってもできるものではないだろう。彼らそれぞれの演奏には明確な意志がある。これほどの才能が共演すると、ぶつかり合いの方が目立ってしまう場合も多々あるが、二人のアンサンブルは一糸乱れることがなく、これが初めての共演とは信じがたい(だた、デュオは初めてだが室内楽ではすでに共演している)。まだ若いこの二人の演奏家が、伝説的な巨匠と肩を並べる一流の演奏家であり、デュオでその才能を相殺するどころか増幅させているのを目の当たりにしたひと時だった。
「これぞ音楽だ。」その言葉以外何もなかった。
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2022年1月9日11時 パリ、シャンゼリゼ劇場
カミーユ・サン=サーンス チェロとピアノのためのソナタ第2番へ長調作品123
セザール・フランク ヴァイオリンとピアノのためのソナタイ長調FWV8(チェロ編曲版)
ヴィクトル・ジュリアン=ラフェリエール(チェロ)
アレクサンドル・カントロフ(ピアノ)
ルノー・キャプソン(vn)とのトリオ。2021年2月のグシュタード音楽祭にて。