二つのファイナルコンサート
7月4日の二つのファイナルコンサートは、いずれもラ=フォンテーヌの人生をたどるもので、午前は王に媚びなかった側面をオルセナ氏の語りを交え、ソプラノがヴァイオリン、テオルボ、クラヴサンとともに演奏。午後は、童話だけでなく書簡やパンフレットなども含めたラ=フォンテーヌのテクストを当時の発音と考えられている方法で朗読するとともに、これらのテクストに対応する音楽を集めて、アンサンブルと合唱でゴージャスに聴かせた。
午前のコンサート
午前のコンサートは11時30分からで、王室という権力よりも友情を選んだラ=フォンテーヌの生き様に焦点を当てたもの。
ラ=フォンテーヌは1658年に王の財政官フーケ Fouquet に仕えるようになる。フーケは1661年にヴォー・ル・ヴィコント Vaux le Vicomte 城でルイ14世に捧げられた壮麗なレセプションを取り仕切るが、そのあまりの素晴らしさに王は嫉妬と危機を感じてフーケを逮捕する。その時、ラ=フォンテーヌは王の権力におもねるよりも友人だったフーケを擁護する詩を発表。一説によると、これがルイ14世の宰相コルベール Colbert の怒りに触れたとされる。プログラムはこのエピソードを彩る音楽を集めているのだが、これがなかなかうまくできている。例えば、ヴォー城の素晴らしさを物語るのに、ラ=フォンテーヌの詩『ヴォーの夢 Le Songe de Vaux』にかけて、ダングルベール D’Anglebertのクラヴサン曲『アティスの快い夢 Les Songes agréables d’Atys』やリュリ Lully のオペラ『アティス Atys 』から「心よき夢」を聴かせた後、芸術礼賛としてマルカントワーヌ・シャルパンティエ Marc-Antoine Charpentier の牧歌劇『レ・ザール・フロリサン(花ひらく芸術)Les Arts Florissants 』からヴィオール、詩歌、絵画、建築、庭園を歌う。また、王の怒りに触れてフーケが没落する様子は、クレランボー Clérambault のカンタータ『メデー Médée 』のアリア「飛べ悪魔よ、飛べ、この宮殿を破壊せよ Volez démons, volez, détruisez ce palais 」で表現。後にコルベールが厳しい検閲で取り締まりを強めたことは、政権を揶揄する歌を集めた「モールパのシャンソニエ Le Chansonnier de Maurepas」から2曲を選んだ。そのうちの一曲は「あの大ブルボン閣下が死んじゃったのかい Il est donc mort ce grand Bourbon」で、これは『怒りの日 Dies Iræ 』のメロディの替え歌。三番はグレゴリオ聖歌さながら、荘厳に歌うさまが笑いを誘う。
このプログラムのセクションごとに、作家であり、経済の専門家であり、庭園についての幅広い知識をもち、さらにかつて政府の顧問でもあった、エリック・オルセナ Erik Orsenna 氏がラ=フォンテーヌの人生を語りかけるように解説。
演奏では、ソプラノのジュリエット・ペレ Juliette Perret の限りなく透き通ったクリスタルのような声が印象的。しっかりした発声に裏付けられたしなやかな高音がとくに心地よい。『レ・ザール・フロリサン』では歌詞に合わせて、詩歌は本、絵画は絵筆、建築は設計図、庭園はバラの花を扱いながら歌う。楽器ではヴァイオリンのアウグスタ・マッケイ=ロッジ Augusta McKay-Lodge の鮮やかな弓さばきと艶やかな音がことさら素晴らしい。アメリカ出身の彼女に、7月4日の独立記念日を祝う光景もあり、和気あいあいとした雰囲気で終了した。
午後のコンサート
午後のコンサートは、ラ=フォンテーヌのテキストの朗読を交え、これに対応する音楽を交互に演奏するもの。朗読は、ダンサーで俳優のピエール=フランソワ・ドレ Pierre-François Dollé が担当。フランス語の発音は、当時のものと推定される発音に従って、現在では読まれない末尾の文字を発音したり、現代語とは少々異なる母音を用いたりしている。さらに、バロックダンスにも見られるジェステュエル(仕草)、とくに手の表現を加え、朗読に動きを添える。テキストは、ラ=フォンテーヌがフヴォー・ル・ヴィコント城での壮大なレセプションの様子を伝える友人のモクロワ宛ての手紙、フーケを擁護する詩、従兄弟だった劇作家ラシーヌ Racine に宛てた手紙、当時のベストセラー、オノレ・デュルフェ Honoré d’Urfé の『ラストレ L’Astrée 』を題材にした同名のオペラ(ラ=フォンテーヌ詩、パスカル・コラス Pascal Collasse 音楽)の初演の様子を伝える『オペラ辞典』の文章、さらにはラ=フォンテーヌが執筆した、リュリに反対する内容のパンフレット。
このパンフレットの背景には次のような事実がある。1674年、ラ=フォンテーヌに、当時まだ新しいジャンルだったオペラをリュリとともにつくる話が持ち上がる。オペラの題名は『ダフネ Daphnée』。結局翌年、リュリはラ=フォンテーヌの台本を拒否し、共作の話は水に流れた。同年、ラ=フォンテーヌはリュリを激しく批判した風刺詩『フロランタン Le Florentin 』(リュリがイタリアのフィレンツェ出身だったことに由来する題名)を発表する。この台本は最終的に1691年に出版されている。
コンサートは『ラストレ』のプロローグに始まり、同曲の第三幕のシャコンヌとイタリア・アリアおよび合唱で終わる。
『童話集 Fable 』から「狼と子羊 Le Loup et l’Agneau」と「水面に姿を映す鹿 Le cerf se mirant dans l’eau 」をそれぞれ、当時知られていた歌の替え歌にし、合唱と器楽用に編曲したものを披露した他、リュリ、ミシェル・ランベール Michel Lambert 、コラスの音楽から数曲を選んでいる。
午前の部と異なり、こちらは器楽合奏8人の室内アンサンブルに合唱12人が加わった大所帯。5声のアリアやオペラからの抜粋など、音の層も厚くなっている。ポール・アグニュー Paul Agnew (フランス語でのインタビューは後日掲載)の指揮はいつものことながら声部を鮮明に生かし、それぞれの声の個性を保ちながらも全体的にバランスがよく取れた好演だ。歌手も器楽奏者も楽しんで演奏しているのがありありと伝わってくる。
このようなプログラムを組む場合、時代背景や特別な出来事などを熟知した上で、どこまで音楽的に納得のいく曲を選び、それをどこまで納得できるように演奏するかが大きな鍵となるが、この日のコンサートはそれに大成功したと言えよう。
フランス人にとって幼少時代から馴染みの深いラ=フォンテーヌ(小学校の授業では、韻踏詩としての童話を暗唱する)を、その時代の音楽に即した新しい観点を提供したレ・ザール・フロリサンのメンバーに、大きな喝采を送りたい。