2025年7月4日から27日まで、ブルゴーニュ地方の町ボーヌ Beaune にて開催された第43回ボーヌ国際バロックオペラ祭 Festival international d’opéra baroque。その最後の週末を飾るかたちで、25日、リベラーティ Chœur et Orchestre Liberati によるヘンデルの『メサイア』が、ノートル・ダム聖堂 Basilique Notre-Dame で演奏された。この公演は、単なる名曲の上演ではなく、18世紀の演奏慣習そのものへの挑戦と再考を促す、極めて意欲的な試みとして注目された。
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歴史と理念が息づく新アンサンブル「リベラーティ」
「リベラーティ」合唱団・オーケストラ Chœur et Orchestre Liberati は、バッハのオルガン作品の全曲録音に取り組むバンジャマン・アラール Benjamin Alard、ソプラノのサスキア・サランビエ Saskia Salembier、クラヴサン(チェンバロ)奏者のマルク・メイゼル Marc Meisel が共同で2022年に設立した。団体名「リベラーティ(Liberati)」は、演奏者の主体性と音楽的自由を重視する理念を表している。
この日の『メサイア』には、約50名の楽器奏者と合唱団が参加。うち一部は音楽祭の合唱アカデミーからのアマチュア参加者であり、教育・実践の場としても意義深いものとなった。
指揮者不在、横並び配置──18世紀の「当たり前」を再現
演奏は、当時の通例に倣い、指揮者を置かずに実施された。合図は中央のヴァイオリン奏者を皮切りに、曲によってはクラヴサン奏者、歌手、管楽器奏者へと移り変わる。こうした交代制のリードは、一人の指揮が全てを司る視覚的統率よりも、お互いが聴き合う聴覚的な対話を促す構造を生んでいた。舞台配置にも注目すべき特徴がある。オーケストラは半円形ではなく階段上に横一直線に配置され、合唱団がその前面に陣取る。クラヴサンは中央に置かれ、演奏者は皆、観客側を向いている。通奏低音がクラヴサンの左右に並び、その後方に弦楽器、さらに管楽器とティンパニが控える(管楽器の一部は前方にいる)構成は、18世紀ロンドンの記録に基づいた再現だ。
テンポ、音色、合唱──現代的均整からの逸脱
全体のテンポは驚くほど速く、序曲(シンフォニア)からすでに速度感のある展開が始まる。テンポの不均一さやアンサンブルのズレも随所に見られたが、それ以上に「流動性」が意図的に保持されていた印象を受ける。とりわけ「ハレルヤ」などで顕著だったのが、合唱の圧倒的な規模とテンポへの対応力である。音楽祭の合唱研修参加者、つまりアマチュア歌手でメンバー数が約3倍に膨らんでいるにもかかわらず、速いテンポが維持され、破綻なく演奏されたことは驚きに値する。音色や声の統一性をあえて追求しないという方針も明確だった。合唱では各声部の個性がむしろ強調され、結果として多様で未整理な「響き」が生まれていた。これは、統一美ではなく個性の共存を重んじた当時の価値観にしたがっている。
資料に基づいた実証的アプローチ
現代の判断基準では決して出てこないこのような演奏は、単なる感覚的な再現ではない。リベラーティでは、ヘンデルの手稿や当時のパート譜に記載された情報に基づき、メンバーにあてて演奏手引書を独自に作成しているという。ヘンデルの記載や当時の資料などに記されている詳細な情報--全曲演奏に要する時間(オルガンコンチェルトを含めて全曲で約2時間)やフレーズ内のテンポの変化の具体的な方法(アッチェレランドやリタルダンドのかけ方やタイミング)などのをまとめ、これをもとに演奏を組み立ているのだ。また、ロンドンの教会には長鍵盤のオルガン(すでに焼失)が存在し、オルガニストが合図を出す役割をになっていたという。奏者はオルガンの両脇で合図が見える範囲にいたのではないかと考えられている。現在ではそのようなオルガンが失われてしまったため、アラールは上階のオルガンを、可視的な確認手段がない中で、耳だけで演奏。下のオーケストラ・合唱団と完全に息があった演奏は奇跡的としかいう他ない。話を聞いたオケの創設メンバーには、当時のような長鍵盤オルガンがあれば…というほのかな夢もあるようだ。こうした文献調査に基づく実験的姿勢は、20世紀半ばの古楽興隆時代のパイオニア精神の現代的継承といえまいか。
リベレイテッド・カンパニーという新たな組織形態
演奏内容だけでなく、運営形態も注目に値する。リベラーティは、フランスでは初となる「リベレイテッド・カンパニー(Liberated Company)」という枠組みを導入。これは、アングロサクソン系の企業コンセプトで、従来のトップダウン型組織ではなく、メンバーが自律的に関与する分散型運営モデル。芸術活動の枠を越えて社会的実験の側面も持っているのだ。
聴くという行為への問い
この『メサイア』の演奏は、多くの聴衆にとって衝撃的だったはずだ。現代の美意識──テンポの安定、響きの統一、構成の明快さ──から逸脱することで、演奏会の「聴き方」そのものを問い直すような体験を提供した。「バロック」という言葉には「いびつな」「レギュラーではない」という意味があるが、まさに字義に沿ったアプローチではないだろうか。これは単なるノスタルジックな復古主義ではない。むしろ、音楽が常に変化する「生きた芸術」であるという前提に立ち、そこから未来を探る実験なのである。
終わりに:伝統を更新する「新しい古楽」
古楽というジャンルが制度化、スタンダード化され、一定の「スタイル」が共有されるようになった今、リベラーティのようなアンサンブルが、原点に立ち戻って演奏そのものを再構築しようとする姿勢は、極めて示唆的である。これまでに『マカベウスのユダ』と『メサイア』というよく知られた作品を通じて、音楽の歴史的条件と現代的受容のギャップを浮き彫りにし、聴衆に「問い」を投げかける。それこそが、今さらに必要とされている古楽・バロック精神ではないだろうか。
演奏会情報
• 日時:2025年7月25日(金)
• 会場:ボーヌ・ノートル・ダム聖堂(バジリカ)Beaune, Basilique Notre-Dame
• 演目:G.F.ヘンデル《メサイア》
• 演奏:「リベラーティ」合唱団・オーケストラ Chœur et Orchestre Liberati ; サスキア・サランビエ Saskia Salembier, soprano, アンテア・ピチャニック Anthea Pichanick, alto, ,マルク・モイヨン Marc Mauillon, ténor, フロリアン・ヒーレ Florian Hille, baryton ; バンジャマン・アラール Benjamin Alard, grand orgue Riepp-Formentelli
• 音楽祭:第43回ボーヌ・バロックオペラ祭 Festival international d’opéra baroque de Beaune