今年も、フランス西部ヴァンデ地方の小村、ティレで行われているレ・ザール・フロリサンの「ウィリアム・クリスティの庭で Dans les Jardins de William Christie」夏の音楽祭に行ってきた。今年は12回目を数え、8月19日土曜から26日土曜の8日間にわたって開催された。恒例の池の上に設けられた舞台でのオペラ上演は、例年のごとく2演目。最初の週末に、2年毎に行われているアカデミー「ル・ジャルダン・デ・ヴォア Les jardin des voix」(「声の庭」の意)の若い歌手たちが上演するパーセルの『妖精の女王 The Fairy Queen』が、次の週末には、レ・ザール・フロリサンの常連歌手を迎えて、モンドンヴィルの『ティトンとオロールTiton et l’Aurore』が上演された。
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パーセルの『妖精の女王』
今年の「ウィリアム・クリスティの庭で Dans les Jardin de William Christie」夏の音楽祭では、恒例となっている水面上の特設舞台 (Miroir d’eau) で上演されるオペラの演目として、モンドンヴィル Mondonville の『ティトンとオロール Titon et L’Aurore*』とヘンリー・パーセル Henry Purcell の『妖精の女王 The Fairy Queen』が組まれていた。レ・ザール・フロリサンによる『ティトンとオロール*』は、これまでにパリのオペラ・コミック劇場などで上演され、御伽の国のような素晴らしい演出で大好評を博している。今年の音楽祭では第2週末に上演されることになっており、こちらも観たいところだったが、毎回素晴らしい若手を排出しているアカデミー「ル・ジャルダン・デ・ヴォア Le jardin des voix」の今期生による『妖精の女王』の方を聴きたいという思いの方が強く、第1週末に当地に赴いた。
この公演は演出がとくに素晴らしかったので、本稿ではこれを中心に述べてみたい。
*原題のAuroreに定冠詞がついてL’Auroreとなっているので、『ティトンと暁の神』という訳が最も適切だと思われる。(「アムール」を「愛の神」、「ヴェルテュ」を「徳の神」などと訳すのと同様。)
ストリートダンスを取り入れたムラッド・メルズキの演出
『妖精の女王』演出はムラッド・メルズキ Mourad Merzuki。ヒップホップやブレイクダンスなどのストリートダンス出身で、その分野では非常に有名なアーティスト。数年前からクラシック界とのコラボレーションで目を見張る仕事をして注目されている。レ・ザール・フロリサンの共同音楽監督ポール・アグニュー Paul Agnewとの協議のもと、密接に関わっているシェークスピアの『真夏の夜の夢』の要素をあえて排除し、純粋に独立した作品として捉えた。この作品はもともと、演劇の幕間に上演される余興的要素の強い「マスク劇」で、シェークスピアの本筋とはあまり関係がない。一般的にも、マスク劇には一貫性がないことが多いことから、『真夏の夜の夢』から切り離しても十分成り立つという判断だ。
歌とダンスに境界を設けないコンセプト
その演出は、最初から最後まで踊りで貫かれており、歌とダンスに境界を設けず、登場人物に新しいキャラクター観を与えて、斬新なショーに仕立て上げているという点で突出している。あえて言えばリリック・バレエと言えないだろうか。指揮のポール・アグニューとは、リハーサル期間中毎日、綿密な話し合いを重ねて1日ごとに演出を組み立てていったという。
歌とダンスに境界をなくすというコンセプトは、歌手にもある程度の動きを要求することによっても実現している。また、フィナーレの合唱にはダンサーも参加するなど、歌手とダンサーの境界も無くしているのだ。
アーティストが自分の分野を超えたパフォーマンスを要求されそれを見事にこなすには、さぞ入念な稽古とリハーサルが行われたのだろうと思いがちだが、実は、制作チームもアーティストも、ティレに来てから初演まで、ほとんどゼロから始めてたった2週間ほどの間に仕上げたというから驚きだ。
白紙からの演出
初演の翌日、ポール・アグニューとムラッド・メルズキにインタビューの機会を得た。メルズキは、今回は稽古に入る前には作品について特別に情報を集めることはせず、毎日の新鮮な発見の中から次々とアイデアを湧かせて構築していったという。アグニューはそんなメルズキを「白紙からこれほどまで素晴らしい演出を組み立てられる才能にはただただ脱帽する。彼の場合は、稽古前までは音楽さえもあまり知らなかったが、練習に際して集中的に聴くことで生まれる閃きが恐ろしいくらい的を得ていて、感心の連続だった」(趣意)と絶賛。メルズキは、「ストリートダンスはほとんどが2拍子系。クラシック音楽には3拍子系がたくさんあり、今回とくに多くの再発見があった。これに振り付けるのはなかなか苦心したが、同時にとてもエキサイティングだった。じっと音楽を聴いていると、それだけで自然と動きが見えてくる」と語った。
ダンスと歌が見事に溶け合った素晴らしい舞台
舞台は、ダンスと歌が本当に見事に溶け合った稀に見る素晴らしいものだった。ダンサーは、メルズキのダンスカンパニー「カフィグ Käfig」で今回特別に募ったという。また、ニューヨークのジュリアード・スクールとレ・ザール・フロリサンが芸術協定を結んでいることもあり、ジュリアードでクラシックバレエを学ぶ学生が2人参加していた。振り付けを組み立てていく過程で、それぞれのダンサーの持ち味を最大限に活かすべく多様なスタイルのダンスを取り入れ、なおかつダンサーたちが即興的に自由に踊れるようにもしたという。舞台では、一つ一つの動きがさまざまな文化やバックグラウンドの出会いによって生まれたものであることがよく感じられる。クラシックバレエの動きも一つの要素と捉え、時に思いがけない展開を見せる。全てが絶妙に統合されていて、誰が見ても新鮮かつ違和感なく出来上がっている。
完成度の高い歌手たち
すでに高い完成度を誇る「Le jardin des voix」の若手歌手たちは、それぞれが見事な声色と技術を兼ね備えている。今回のように、シェークスピアを取り払い、歌手も踊るといった演出の中では、全体的な美が要求されるが、歌手たちの均衡の取れた声色と技術を存分に引き出す演出によって、一人一人の長所がよく生かされた公演になっていたように思う。
皆が素晴らしいのだが、その中でもとくに心に残る場面があったので記しておこう。酔った詩人を演じたバリトンのヒューゴー・ヘルマン=ウィルソン Hugo Herman-Wilson は、歌唱力もさることながら、その演技力で聴衆を魅了。第二幕の幕開けでは、バスのベンジャミン・シルペロート Benjamin Schilperoort がアリア Hush no more ! をア・カペラで非常にゆっくりと歌い上げた。メゾソプラノのジュリエット・メイ Juliette May は深くかつ適度に明るい音色が魅力的で、アリア Let’s me weep を繊細に歌い上げた。また、メゾのジョージア・ブラシュコ Georgia Burashko は、オーケストラを離れて舞台に出てきたヴァイオリン・ソロのアウグスタ・マッケイ=ロッジ Augusta McKay Lodge(彼女は今回、他のコンサートでもヴァイオリン・ソロを弾いていた)と大変に美しいディオを披露した。
指揮のポール・アグニュー Paul Agnew は、歌手がソロを歌っているときは、指揮をせずにそれに聴き入り、演奏しながらも音楽を存分に楽しんでいるようだった。
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The fairy Queen
Opéra (masque) de Henry Purcell (1659-1695)
指揮 Paul Agnew
演出・振り付け Mourad Merzouki
ジャルダン・デ・ヴォア・アカデミー共同ディレクター Paul Agnew / William Christie
言語コーチ Sophie Daneman
振り付けアシスタント Rémi Autechaud
レペティター Benoît Hartoin / Florian Carré
衣装 Claire Schirck
照明 Fabrice Sarcy
出演
Paulina Francisco ソプラノ
Georgia Burashko / Rebecca Leggett / Juliette Mey メゾソプラノ
Rodrigo Carreto / Ilja Aksionov テノール
Hugo Herman-Wilson バリトン
Benjamin Schilperoort バリトン・バス
ダンスカンパニー「カフィグ」ダンサー
Samuel Florimond / Anahi Passi
Ian Debono* / Joey Gertin*
レ・ザール・フロリサン オーケストラ
ヴァイオリン
Augusta McKay Lodge, premier violon
Catherine Girard / Jeffrey Girton / Ravenna Lipchik*
Tami Troman / Amandine Solano / Michèle Sauvé
ヴィオラ
Lucia Peralta / Simon Heyerick
ヴィオラ・ダ・ガンバ
Myriam Rignol(通奏低音)
チェロ
Félix Knecht(通奏低音)/ Elena Andreyev / Magdalena Probe
コントラバス
Joseph Carver(通奏低音)
リコーダー
Sébastien Marq
オーボエ
Pier Luigi Fabretti / Nathalie Petibon (リコーダー持ち替え) / Yanina Yacubsohn (タイユ・ド・オーボア)
バソン
Evolène Kiener
トランペット
Serge Tizac / Jean Bollinger
リュート
Sergio Bucheli(通奏低音)*
ティンパニ
Marie-Ange Petit
クラヴサン・オルガン
Benoît Hartoin(通奏低音)
* ニューヨーク、ジュリアード・スクール学生
The Fairy Queen は8月30日のユトレヒト公演を皮切りに、今シーズン末まで世界ツアーを行っている。詳細はこちら。
また、Les Arts Florissants は11月末に韓国(仁川、11月25日)と日本(東京、オペラシティ、11月26日)でバッハのヨハネ受難曲を演奏する。