そしてロレールの指揮もすごい。この人は、シャンゼリゼ劇場のモーツァルトのオペラシリーズで注目され、今も次々と面白い仕事をしている。自分のオケをつくってプロジェクトを立ち上げ実現しているのも、おそらくこれまでの型にはまらない新しいことをしたかったからじゃないだろうか。そしてそれが成功し、40歳そこそこでグラインドボーン、エクサンプロヴァンス、ザルツブルグなどの世界最高峰の音楽祭にまで招かれるようになったのだから(ちなみに1973年生まれ)、全く敬服する。才能はあるのは当然として、彼の演奏にはいつも、周到過ぎるまで入念に準備していることを感じる。大変な勉強家なのだろう、と勝手に想像している。(そして彼がフランス人だということに誇りを感じる。個人的な愛国心ですが。)
第2幕
第2幕に突入。
第1幕にも増して演出が冴えている。
歌のレッスンの最後に、飛び出す絵本を閉じた時のようにセットが平らにたたまれてしまう。これもすごいアイデア。その風を思いっきりまともに受けるオケの人をちょっと気の毒に思ったりするけど。
ベルタのアリア。キャラづくりが、ムーミンに出てくる文句ばかり言ってる小さなおばさん(名前なんだったっけ?)に似てる。第2キャストでは、オペラ・コミック劇場のアカデミーにいた頃から注目していたエレオノール・パンクラジー Eléonore Pancrazi がこの役を歌っていた。正直、エレオノールの方がうまいと思う。
しかし、いつも思うのだが、この《理髪師》は作品全体が巨大なギャグ漫画だ。バルトロはカモか。この演出ではフィガロはちょっと不良ぽいイカサマ何でも屋で、なんとなくディーラー的な感じ。ロジーナは気の強いやんちゃ娘という設定になっている。その二人とアルマヴィーヴァが、単純でおバカなバルトロとバジリオをまるめこむのだが、そのキャラクターづけが全体にうまく馴染んでいて、数多い《理髪師》の中でも、特別にしっくりくる。音楽も歌も、単に音符を追うのではなく、常に「劇」の視点で演奏されている。どの演出も演奏もそれを前提にしているのだろうが、このレヴェルにまで達するのは稀だろう。
さて話は進んでアルマヴィーヴァが正体を明かす場面。アンゲリーニは最初よりもずっと調子が良い。が、まだテクニックに注意して「歌ってます」という感が抜けない。個人的にはもっと自由でスケールの大きいテノールが欲しい。
今、アルマヴィーヴァが、普通は難しすぎてカットされるアリアを歌い終えた。このアリアを含めたところにも、ロレールの、普段から良いものをとことん追求する姿勢がよくあらわれているように思われる。
カーテンコールになった。白黒で統一された舞台は、一見モノトーン風だが、効果的に取りれた五線譜の象牙色が柔らかみを加えていて、視覚的に美しい。舞台セットは抽象的で、どのシーンも巨大な楽譜でつくられているが、歌手たちの動きは、その抽象さを抽象的に思わせない、よく練られたものだ。
12月のパリは、オペラ・コミック劇場でやはりロッシーニの《オリー伯爵》がかかっていて、これもプルミエを見たが、稀に見る歌手陣(すべてフランス語圏出身で、フランス語が至極明瞭)と見事な演出で、大成功をおさめている。
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[…] Et un autre article, en japonais, sur la distribution I, d’après la retransmission sur le site Arte Concerts est ici. […]