シャトー・ド・ヴェルサイユ・スペクタークル Château de Versailles Spectacles は、2020年に250周年を迎えたヴェルサイユのオペラ・ロワイヤル Opéra Royal での公演を中心に、礼拝堂 Chapelle Royale、鏡の間 Galerie des Glaces などでのコンサートや公演を主催してきました。 2018年には独自のCD・DVDレーベルを立ち上げ、すでに約45タイトルがリリースされていますが、今回、ヴェルサイユ宮殿で収録されたオペラやコンサートの動画を高画質で公開するサイト、live-operaversailles.fr が誕生しました。 サイトは20本のビデオでオープン。作品はジャンル別、収録場所別にカテゴライズされ、このサイトでしか見ることのできないものも定期的に加わっていきます。他ではほとんど、あるいは全く上演されない作品(フランス語によるモーツァルトの『魔笛』、グレトリーのオペラ『リチャード獅子心王』など)や、ヴェルサイユならではの作品(1837年にオペラ・ロワイヤルのために制作されたオリジナルの舞台装置のなかで上演された、フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮によるベルリオーズの『ファウストの劫罰』、「大アパルトマン」で演奏された王の就寝の音楽など)も堪能できます。 6月からは、Château de Versailles Spectacles レーベルから現在発売されているCD音源の全てが加わる予定。これらの音源は、既存のストリーミングのプラットフォームでは配信されていません(アーティストへのギャラがあまりにも少ないことから、意識的に配信していないとのこと)。 独占公開ビデオでは、鏡の間でオペラ・ロワイヤル・オーケストラが演奏したヴィヴァルディとジョヴァンニ・グイドの『四季』、ジョン・コリリアーノのオペラ『ヴェルサイユの幽霊』、ティエリー・マランドラン振り付けのマランドラン・バレエ・ビアリッツによるバレエ『マリー・アントワネット』がすでに配信されています。 2020〜21年の劇場閉鎖を利用して、オペラと礼拝堂では多くのコンサートが音源やビデオに収録されました。これらのビデオに、すでにDVDとして発売されている動画も加えると、100あまりのビデオがあるとのこと。これらも順次公開していきます。 パリ・オペラ座に続いて、フランスのオペラ劇場で2番目の独自のストリーミングサイトとなるlive-operaversailles.fr 。17世紀、18世紀のフランス音楽を中心に、質の高いサービスを提供します。 ストリーミングは1本1ヶ月7ユーロから。近日中に、ダウンロードが可能となる会員制度も始まる予定。
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フランスでは新コロナウィルスで聴衆を交えてのコンサートが禁止されて久しいが、レザールフロリサン Les Arts Florissants も他のアンサンブルと同様、無観客コンサートの収録を何度か行っている。2月28日、屋根と外壁の修復工事の足場が取り払われたヴェルサイユの王室礼拝堂(ニュース記事はこちら)で、シャルパンティエの作品によるプログラムを収録した(フランス語の記事はこちら)。 これまでの無観客コンサートの収録にはジャーナリストと関係者のみが招待されていたが、この日初めて、メセナや「友の会」の会員なども集い、プライベートコンサートのような雰囲気で行われた。 プログラムは聖母へのオマージュをテーマに、フランス・バロック音楽の巨匠としてジャン=バティスト・リュリ Jean-Baptiste Lullyと双璧をなすマルカントワーヌ(マルク=アントワーヌ)・シャルパンティエ Marc-Antoine Charpentier の宗教曲をたっぷり聴かせるもの。 シャルパンティエの宗教曲はその演劇性と絢爛さが特徴。個人の内面の祈りを表現するというよりは、イエスやマリアの優越性を劇的に表現することに重点が置かれている。それはまさに「バロック」という時代の特徴でもある。 ウィリアム・クリスティ William Christie がポジティフ・オルガンから弾き振り。ソロパートは合唱団の団員が歌っているが、直前になって健康上の都合から出演できなくなった歌手の代役として、オペラなどでも精力的に活躍しているマルク・モイヨン Marc Mauillon が登場。彼の音域はテノールだが、この日はバスのパートを歌った。通奏低音のヴィオラ・ダ・ガンバには堅実派の若手、リュシル・ブーランジェ Lucile Boulanger の顔も見られる。 収録は午後3時から。この日は雲ひとつない晴天で、礼拝堂には燦々と輝く太陽の光が入り込み、演出効果も抜群。普段のコンサートは夜のため、礼拝堂がこんなに明るい場所だとは想像できにくい。 そんなコンサートの全貌が、4月9日から QWEST TV (有料)で楽しめる。このインターネットテレビは、ジャズミュージシャンで音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズ Quincy Jones が創設した局で、これまでジャズ、ポップ、ポピュラーなどの音楽を配信していたが、このコンサートでクラシックにも門を開いた。 ビデオの監督はフランスのジョン・ブランチ John Blanch。2年ほど前に、ある音楽コンクールでの配信に参加し、それ以降急激に事業を拡大している、まだ若手のプロデューサーだ。彼の監督によるコンサートやオペラのビデオはすでに数多く、日本の愛好家もどこかで目にしているはずだ。 2021年2月28日、ヴェルサイユ、王室礼拝堂 Chapelle Royale de Versailles プログラム Marc…
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この記事のフランス語版は3月27日付けでCrescendoMagazine.beに掲載されています。 4月3日まで、第3回「フランス=ロシア音楽祭」がトゥールーズのアール・オ・グラン Halle aux Grains* で開催されている。 トゥガン・ソヒエフが芸術監督となって2019年に創設されたこの音楽祭は、翌年、新コロナウィルス拡大の影響で期間を短縮。今年はプログラムを予定より大幅に軽減し、デジタル版にすることで開催を維持した。メインは、トゥールーズ国立キャピトル管弦楽団 Orchestre National de Capitole de Toulouse (ONCT) の4つのコンサート。YouTube, FacebookLive, Medici.tv を中心に、インターネット配信される。他にも、女性指揮者を対象とした「ラ・マエストラ」コンクールとフィルハーモニー・ド・パリとのパートナーシップによる、トゥガン・ソヒエフ氏とサブリエ・ベキロワ氏が率いる指揮アカデミーや、各界の著名人による仏露関係についてのトークなども行われている。これらのイベントはリプレイで視聴可能。 3月19日、アール・オ・グランで行われたONCTのコンサートを聴く機会を得た。ピアノやハープシコード奏者でもある若き指揮者マキシム・エメリヤニチェフ Maxim Emelyanychev は、プロコフィエフ、アタイール、チャイコフスキーというプログラムをタクトなしで指揮。交響曲第1番 ニ長調 作品25「古典」は、通常は軽快でギャラントなイメージが強調されるが、これをエメリヤニチェフは、エネルギーにあふれる至極ダイナミックな作品としてとらえ直している。心地よい軽さの代わりに、各楽章から音を最大限に引き出し、速い楽章ではまるで憑かれたような音への執着さえ感じられる。全体的に、多くの指揮者が普通に設定するテンポよりもずっと速い。実際のところ、私が知っている中では最速だ。第3楽章では、極めて明確なアーティキュレーションが特徴的。一つ一つの音をこれでもかというくらいはっきりと「発音」させ、それは時には音をある形に刻むかのように聴こえるほどだ。この楽章には「ガボット」と表示されているが、宮廷の優雅な舞踏音楽というレファレンスを通り越した大胆な解釈だろう。楽章の最後の方のクレッシェンドは、フルートをはじめとして、花火が打ち上げられるようなまっすぐな勢いで演奏する。フィナーレは非常にリズミカルだが、ベンジャミン・アタイールの世界初演作品にもこのリズム感を見出すことができる。 しかしアタイール作品の前に、アイレン・プリチン Aylen Pritchin がプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番を披露した。彼は2014年のロン・ティボー国際音楽コンクールで第1位、2019年のチャイコフスキー国際音楽コンクールで第4位と聴衆賞・プレス賞を受賞。ロシアの優れた伝統を受け継いだヴァイオリニストだ。音は豊かでおおらかだが、必要ならば、荒い、野生的なの音も自由に鳴らす。第2楽章で聴かせた美しいラインは、ロマン派的なものをはるかに超えており、若さの中に成熟した快活さを保っている。そして、一見かけ離れたテーマやモチーフに一貫性を与えている。
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本拠地のパリ・フィルハーモニーホールからビデオでコンサートを配信し続けるパリ管弦楽団 Orchestre de Paris に、2月11日、エサ=ペッカ・サロネン Esa Pekka Salonen が登場。フィンランド出身の彼が同じフィンランドのシベリウスの音楽だけで構成されたプログラムを指揮。コンサートの模様は Philharmonie Live とMedici.TV で配信され、リプライで視聴できる。 まずは『ペレアスとメリザンド』から「メリザンドの死」。指揮棒を持たずに、まるで音を優しく包み込むかのようにオーケストラを操る。ゆったりと流れるメロディはシンプルながら繊細な情緒にあふれているが、そこには死から連想される悲愴感はない。逆に、美し弦の音色がしみじみと思い出に浸るような感情をわきたたせる。 最後の音を柔らかに閉じるや、休みなく交響曲第6番ニ短調作品104に移る。曲のはじめは指揮棒なしだったが、いつの間にか指揮棒を手にしている。導入部は確かに「メリザンドの死」の延長にあるような和音が続くので、曲を知らないと同じ曲が続いていると錯覚してしまう。サロネンの音の作り方も、楽譜が進むにつれて生まれる動きに生き生きとした効果を持たせ、地面から芽が出るようなイメージを彷彿させる。伝統的な4楽章構成ながら、それぞれの楽章は全く自由な形式で、単なる音階や音型を幾重にも変奏させて展開するこの不思議な音楽を、サロネンは持ち前の精巧な指揮でカレイドスコープのように綴ってゆく。ここでも腕にたくさんの音符を抱きかかえるように、そしてそれを手品師のように自在に操る様子は、それ自体が音楽と言えるほど表情にあふれている。そして指揮によく応えるパリ管。サロネンは、自国の代表作曲家の作品を知り尽くしていることもあろうが、作品の持つ魅力を最大限に引き出していると感じられる演奏だ。シベリウスに馴染みのない指揮者ならば全く違う音楽をつくっていたであろうことは想像に難くない。しかし、そんなことは全く抜きにしても、フィルハーモニーのブーレーズ大ホールで行われた収録に立ち会った関係者は皆、サロネンが醸し出す音色の美しさに一瞬で魅了された。パリ管特有の、まろやかさな弦と、絢爛とまろみを兼ね備えた管楽器群の調和も見事だ。ある意味でフランス音楽の音色に近い。『ペレアスとメリザンド』というテーマも然り(作曲は1905年で、フォーレの劇音楽から7年後、ドビュッシーのオペラから3年後である)。それは配信のビデオでも感じられると思う。 さて、第2部は交響曲第7番作品105。先の第6番から1年後に作曲され、調性はハ短調。よりドラマ性があり、音の層も厚い。1楽章構成でプログラムのない交響詩のような様相をもつが、サロネンはそれぞれのクライマックスに至る盛り上がりや、緩徐部に秘めた隠れたエネルギーを表面化させることに秀で、ここでも魔術師さながらに音色を意のままに構築していく。なんという至福の響き! このコンサートを実際にホールで聴けたことに感謝。
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ヴェルサイユ市立図書館(複数)が、デジタル化された所蔵する書籍や資料を無料公開するプラットフォーム「La Sirène」を公開しました。 閲覧できるのは、手稿、印刷書籍、版画、デッサン、絵画、地図など。 メインメニューは左から Accueil ホーム Supports 媒体(手稿、印刷書籍、イメージ(版画、デッサン、絵画)、写真、地図、物品、硬貨とメダル) Thématiques テーマ Carte 地図(描かれたり写されたりしたヴェルサイユの場所を表示。それぞれの場所をクリックすると該当する写真などを見ることができます) Expositions デジタル展覧会 となっており、その下は「Espace pédagogique 教育スペース」つまり学校などで使える教材です。 「手稿」を見てみると、ルイ王朝下で上演されたオペラや音楽の楽譜が出てきます。 « Atys Tragedie / Mise en Musique Par Monsieur de Lully » « ISIS // TRAGEDIE // MISE EN MUSIQUE // PAR MONSIEUR // DE…
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ロシアのピアニスト、ダニール・トリフォノフ Daniil Trifonov がショパンのピアノ協奏曲第2番へ短調を演奏した様子が、1月31日日曜日に仏独テレビ局 Arte で放映され、音楽家や音楽愛好家の間で話題になった。 2017年4月30日、ドルトムントのコンツェルトハウスでの、マーラー・チェンバー・オーケストラ Mahler Chamber Orchestra の演奏会。オーケストラパートは、ミハイル・プレトニョフ Mikhail Pletnev が新しくオーケストレーションした新版。 ショパンはピアノのパートに集中して作曲したため、オーケストレーションは単にピアノを引き立たせるための伴奏の域を出ず、面白くないというのが一般の認識だ。これを「埋め合わせる」ために、弦楽四重奏版や、コントラバスを加えた五重奏版などの編曲がなされている。最近ではこれらの版を演奏会のプログラムに載せる演奏家も多い。 このような編曲は、家庭などで音楽を楽しむことが広く普及した19世紀後半に、大編成のオケなしで演奏できるように、またオペラも含めて大曲を広く普及させる目的で(出版社が楽譜を売ろうという目的もあった)、頻繁に行われていた。 話を戻そう。第一楽章の出だしからクラリネットがテーマを演奏。全曲を通して管楽器が重要な役割を占めている。放映のはじめの字幕には何の記載もないので、一体どの版かと記憶を辿るが、第一楽章が終わった時点で指揮のプレトニョフとピアノのトリフォノフの短いインタビューがあり、そこで謎が解明。プレトニョフがまさに「ショパンの退屈なオケパートをより面白くしようと、いっそ自分で新しいオーケストレーションを書いてしまおう」と思った、と告白している。プレトニョフは何人ものピアニストにこれを弾いてもらい意見を募ったそうだ。トリフォノフは「オーケストラとピアノとの対話がより効果的になされている」と気に入った様子。 トリフォノフは1991生まれで、この演奏会の当時まだ26歳だったが、その演奏は恐るべき円熟度に達している。曲への入り込みが素晴らしく、一つ一つの音符を自分の感情と完全に重ね合わせて、個人体験として表現している。しかしその表現は個人の域を超えて、誰が聞いても納得いくものに到達している。そのまれな深みは人々の心をつかむ。演奏後のスタンディングオヴェーションがそれを物語っている。 Arteでこれが放映されている間と直後に、ソーシャルネットワーク上でプロのピアニスト、それも名の知れた人たちが、トリフォノフの演奏に対する驚きのコメントを多く残し、意見を交換しあった。「奇跡的」「信じられない」「なんという円熟」等々。絶賛の嵐だ。 ソーシャルディスタンスが定着して1年。ビデオに見られる客席の密さにちょっとした驚きを覚えたのは私だけではあるまい。「普通の」コンサートの様子が異様に映るほど、私たちの音楽生活は制限されている。そしてその制限はまだまだ続きそうだ。ホールを埋め尽くした聴衆が舞台上の演奏家に再び万雷の拍手を贈る日は、いつになったら戻ってくるのだろう。 Arte Concert サイトのリプレイで3月1日まで視聴可能。お見逃しなく。 写真は© Arte Concert の放映画面
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Culture Box (キュルテュール・ボックス)といえば、フランス国営テレビ France Télévision の文化番組をまとめた独立したプラットフォームでした。1年ほど前に新装なった France Télévision の総合サイトに吸収され、Culture Box と呼ばれるサイトそのものはなくなりましたが、名称は文化ページに残っていました。コンサート、オペラ、演劇などを独自に(テレビとは独立して)ライヴストリーミングで中継。これらのライヴや、テレビで放映されたドキュメンタリーなどを3ヶ月、6ヶ月、1年と長期にわたって鑑賞できることから、根強い人気を維持しています。 長期化する文化施設の閉鎖で上演の機会を奪われたアーティストに活動の場を与え、劇場などに通えない観客が文化に触れられるように、再放送やリプレイではない新しいコンテンツを提供しようと、Culture Box がテレビ局に発展することが、今日1月22日に発表されました。 🆕 [ANNONCE] France Télévisions lance Culturebox, une chaîne de télévision éphémère dédiée à la culture, au spectacle vivant et aux artistes. La chaîne sera accessible début…
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2021年9月からパリ管弦楽団 Orchestre de Paris の音楽監督に就任することが決まっているクラウス・マケラ Klaus Mäkelä。1996年フィンランド生まれでもともとチェリストの彼は、その豊かな才能ですでにパリの音楽愛好家のお気に入りとなっている。 1月20日の無観客演奏会*では、パリ管にデビューの予定だったリュドヴィック・モルロ Ludovic Morlot(シアトル交響楽団の名誉指揮者、中華青少年交響楽団の創立メンバーで音楽監督、BBCフィルハーモニックのアソシエイト・アーティスト)がアメリカから渡航できなくなり、マケラが代役で登場した。 成熟したマケラの指揮 マケラの指揮は、丹念な構築力とその場での即興性がよくマッチしており、毎回コンサート終了後の後味が非常にいい。この日のプログラムは「ブーレーズ音楽祭」の一環で、ブーレーズの曲が2曲入っている。もともと組まれていたドビュッシーの『沈める寺』をメシアンの『忘れられた捧げもの』に変更して行われた。プレス用に変更の通知を受け取ったのが1月15日、コンサートの5日前だった。短い準備期間でこれだけ素晴らしい出来にまで仕上げたことは、オケとの相性の良さを物語って余りある。 最初の金管7重奏のためのブーレーズの『イニシアル Initiale 』は、傑出したパリ管の金管セクションの力量が存分に発揮された演奏だった。 パリ管は最近音色がよりふくよかになったと感じるが、無観客の空のホールで聴くのと何か関係があるのだろうか。『忘れられた捧げもの』では、細やかな絹のような弦の音色が傑出した音のテクスチュアを作り出し、メシアン独特の和声を、撫でるように、かつ深い思いに浸るように進めていく。管楽器と打楽器が入る「罪」と題された中間部では、さまざまな音色が火花のように炸裂する。そのコントラストは全く見事だ。最後の部分ではメシアン作品の全体を貫く「祈り」が伝わってくる好演だ。 *フランスは劇場やコンサートホールは閉鎖されているが、テレビやインターネットでの放映やラジオ番組などは行うことができる。パリ管は、通常、同一プログラムの演奏会を水曜日と木曜日に2回行うところを、ライブ中継で1回だけ行なっている(リプレイあり)。コンサートは通常17時または18時から行われ、配信は20時30分からとなっている。曲目によって必要な舞台配置変更の時間などを短縮する以外は、収録したものに手を入れずにそのまま配信している。
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アベル・ガンス Abel Gance の『ナポレオン』(1927年)といえば、全4編の上映時間が12時間に及び、最後のクライマックス場面には3面のスクリーンに映し出す技法でパノラミックな効果を狙ったことで有名な超大作。また初めてカメラを馬や自動車に積んで臨場感あふれるダイナミックな情景を撮影。まだ白黒ばかりだった時代に、独自の色彩技法を取り入れてカラーを実現したことでも知られています。 (下の二つは、クライマックスの3面投影の様子。オーケストラピットでオーケストラが演奏しているのがわかります。当時は劇場をそのまま映画館に転用したものが多く、このような映画館は1960〜70年代ごろまで存続していました。) ガンス自身がいくつものバージョンを公開し、その後何度も行われた修復作業も加わって、全部で20バージョン、またはそれ以上あることが報告されており、これらを整理するために2008年から一般公開がストップされていました。それ以降、フランス全土および世界に存在する『ナポレオン』を詳細に調べて、何度も上演講演会や研究会が開かれてきました。 (カール・デーヴィスの新サウンドトラックで2016年にBFIが発表した修復版 DVD / Blue Ray の予告動画) 1月15日付の国立映画・動画センターの記事によると、ネットフリックスは、すでに始められているこの『ナポレオン』の全面的な修復に、メセナとなって参画することになったそうです。これを機にネットフリックスは「フランスと世界の映画遺産の保存と振興に貢献」したいとしています。 この映画は、2000年代に一度、パリのサル・プレイエルで2日間にわたって完全上演会が開催されたことがあります。確か開演が14時ごろで休憩を挟んで21時ごろ終了だったと覚えています。当時、部分的にかなり傷んでいたオリジナルフィルムが修復され、それを記念しての全編上映だったと記憶しています。空白を埋めて、または故意に埋めずに修復したのが明白な部分もあり、それはそれで歴史を感じさせる上映会でした。シテ・ド・ラ・ミュジック(現在はフィルハーモニーの一部となっています)主催で、小オーケストラ風のアンサンブルが、委嘱された作曲作品を同時に演奏するシネコンサートでした。12時間の歴史的映画を一挙上映するということで、年間プログラムが発表されるやチケットを予約し、両日、いそいそと出かけて行って見た覚えがあります。 ちなみにサル・プレイエルは20世紀にはパリの有数なクラシックホールで、1990年にシテ・ド・ラ・ミュジックができてからはこれに吸収されていましたが、フィルハーモニーのオープンとともに別会社となり、おまけにここではクラシック音楽は演奏してはいけないなどという不可思議な条件がついています。 写真 © DVD専門サイト DVD Klassik の関連記事キャプチャ
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1月5日、アンサンブル・レ・ザパッシュ Ensemble Les Apaches とバリトン歌手ステファン・ドゥグー Stéphane Degout が、オルセーライブで動物を扱った作品を集めたコンサートを披露した。 オルセーライヴは、オルセー美術館内で収録した5つの独自の音楽プログラムを、昨年12月から今年1月にかけて毎週火曜日18時から美術館のサイトとYouTubeで配信したもの。 アンサンブル・レ・ザパッシュは、指揮者ジュリアン・マスモンデ Julien Masmondetと作曲家パスカル・ザヴァロ Pascal Zavaro が若く優れた音楽家たちを集めて結成したアンサンブル。2018年に上演されたザヴァロのオペラ『マンガカフェ』(独占座談会参照)で初めて舞台に登場した。この当時はまだ決まった名もなく、2年後の2020年1月に正式な結成お披露目コンサートをパリのアテネ劇場で行なった。 レ・ザパッシュとは、1900年ごろにラヴェルを中心に音楽家、詩人、彫刻家、評論家などが集まったアーティスト集団。新進の気風に富み、当時支配的だったアカデミズムを破る気概に溢れた芸術家たちがジャンルを超えて集っていた。そんなエスプリ(精神)を21世紀の現代に引き継ぎ、新鮮味あふれる演奏を目指している。 この日のコンサートのプログラムは、12月から5月に予定されていた展覧会「Les origines du monde, invention de la nature(世界の起源 自然の発明)」* にちなんだもの。ダリウス・ミヨーの『世界の創造 Création du monde 』に始まり、ザヴァロの『絶滅動物誌 Bestiaire disparu 』(2013年)、ギヨーム・アポリネールの詩によるフランシス・プーランクの『動物詩集またはオルフェの行列 Le Bestiaire ou Cortège d’Orphée 』(バリトンと7人のアンサンブルのための初版オリジナル版)、ジュール・ルナールの詩にラヴェルが作曲した『博物誌 Histoire naturelle…
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パリ国立オペラの現音楽監督フィリップ・ジョルダンが、ウィーン国立歌劇場へ移籍する前に、最後のプロジェクトとして実現したワグナーの『ニーベルンゲンの指環』四部作。もともとオペラ座350周年のプロジェクトの一環として、Calixto Bieitoの演出で本年4月から11月にかけて上演されるはずだった。これと同時に、ガルニエ宮では5月から9月まで« L’aventure du Ring en France »(フランスにおける『指環』)展が開催される予定で、ファンの期待はいやでも高まっていた。 それが世界的な新コロナウィルス禍による2度のロックダウンと劇場閉鎖で、プロジェクトそのものが暗礁に乗り上げるかと思われた。常に変動する衛生状況の中、演出が除外され、キャストも二転、三転。それでもフィリップ・ジョルダンはじめスタッフもミュージシャンも『四部作』を実現しようと、なんとかプロジェクトを維持するべく動き始める。 今回、四部作をコンサート形式で舞台にかけるとした場合、様々な要素の兼ね合いから1回限りのシリーズ上演は難しく、2回目のシリーズがどうしても必要となった。これをどうやって実現するのか。幸い、国営ラジオ、ラジオ・フランス傘下のFrance Musiqueが協力を提案。当初オペラ座独自のプロジェクトだった『指環』上演は、オペラ座とラジオ・フランスの共同プロジェクトとなり、録音として留められることとなった。その間、2回目の劇場閉鎖によって、本番がたった1回、それも無観客上演を余儀なくされ、11月末から12月初めにかけてバスティーユのオペラ座とラジオ・フランスのオーディトリアムで録音された。 その模様をドキュメンタリーにまとめた Odyssée du Ring (『指環』のオデュッセイア)が、オペラ座の新しい有料配信プラットフォーム Opéra chez soi で24日から無料で公開されている。 録音の順序はまずバスティーユで『ワルキューレ』、ついで『ラインの黄金』、そして『神々の黄昏』の後、最後にラジオ・フランスで『ジークフリート』。それぞれゲネプロと本番の2回分を録音し、少々編集したもの(だが、録音技師によると、手直しは最小限にとどめており、ほとんどライブに近いものだそうだ)が12月26日から1月2日までFrance Musiqueで放送される。同局のサイトでは放送後1ヶ月間聴くことができるが、その後は削除されるそうで、今のところCD化の計画もないという。オペラ座の内部および放送資料として保管されるということだろうか。その場で実際に聴いた人々は、4作品すべてについて気迫のこもった稀な完成度を絶賛しており、いずれ音源が公開されることを期待したい。 実は私も『神々の黄昏』と『ジークフリート』の上演・録音セッションに立ち会うことができた。招待されたジャーナリストや関係者は、毎回多くて20人程度。オペラ座の新総裁のアレクサンダー・ネーフ氏は全回とも姿を見せ、全面的な支援を表明した。そのことはこのドキュメンタリーの最初に本人が語っている。最後のセッションとなった『ジークフリート』にはラジオ・フランス総裁のシビル・ヴェイル氏や、文化大臣のロズリーヌ・バシュロ氏も姿を見せた。 現在最高峰のワグナー歌手を揃えた『四部作』は、声と表現の素晴らしさはもとより、ドイツ語の明瞭さ(ジョルダン氏はドキュメンタリーの中で、「ドイツ語がわからない人が聴いてもイントネーションなどから光景をつかめるように努力した」と発言しているが、全くその通りで感服した)、オケ団員の演奏に対する熱のこもった取り組み、そこから生まれ出る演奏の深みなどが一体化して、聴くものをグイグイと引き込む魔力を放ち、おそらくはワグナー演奏史に名を残すであろう名演が実現した。 フィリップ・ジョルダン氏は、音楽監督に就任した時、2012年のワグナー年、として今回と、3度にわたって『指環』を指揮した。在任中の通算12年の間に彼の『指環』観も変化し、コンサートでべートーヴェンの交響曲全曲演奏会を実現して今回の上演に望んだ。「ベートーヴェンの全曲演奏はプログラムとしてはオリジナリティに欠けているかもしれませんが、オペラ座のオーケストラにとっては初めての経験でした。ワグナーの『指環』を踏破するのに、ベートーヴェンのシンフォニー全曲を弾けずしてどうやって上演できるのか」と語っているほどだ。彼の中でベートーヴェンからワグナーへの繋がりが明確に確立されたのだろう。 最後の音が鳴り終わった時、万感の意を込めてオーケストラの団員たちに向かって感謝を表明したマエストロ。『四部作』というモニュメントとともにパリで開いた一つの章を同じ『四部作』で閉じ、新しい旅路へと向かう。その行き先はウィーン国立歌劇場。オペラ座オーケストラのミュージシャンたちも、豊かな思い出を胸に、新しい総裁、新しい音楽監督とともに、新しいページを綴っていくことだろう。 France Musique ワーグナー四部作放送予定(全て仏時間で20時より): 2020年12月26日『ラインの黄金』、28日『ワルキューレ』、30日『ジークフリート』、2021年1月2日『神々の黄昏』 フィリップ・ジョルダン公式サイト France Musique France Musique『四部作』ルポ トップ写真 : 神々の黄昏の録音風景 © Elisa Haberer-Opéra…
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(2017年12月にMixiに投稿した記事に加筆・訂正したものです) 《春の祭典》といえば、次々と変わる変拍子と楽器のコンビネーションで、指揮者がいてもアンサンブルがうまくいかない難曲。それを指揮者なしで全く見事に演奏するオーケストラがある。フランスのヴァイオリニスト、ダヴィッド・グリマル David Grimal が2004年に創設した「レ・ディソナンス Les Dissonances」だ。 指揮者なしの合奏団や室内オケは今では珍しくないが、「レ・ディソナンス」はシンフォニーオーケストラ。フランスを中心にヨーロッパ中から若いソリスト、室内楽奏者、様々なオケに属する音楽家を集め、演奏する曲によって規模が変わる。核となるメンバーはいるが、それ以外は自由に入れ替えが可能だ。指揮者を取り払うことで、それぞれの音楽家の経験を平等に分かち合いながら「音楽集団」として機能していこうという意図で出発し、稀な成功例として現在に至っている。ちなみにdissonanceとは「不協和音」の意味。オケの名前としては普通は避けるであろうこの言葉を、複数で Les Dissonances と名付けたのは、どういうことなのだろう? 私には、一人一人の個性を大切にしてその凌ぎ合いで音楽を創っていこうというような意気込みが感じられるが、いつかご本人に命名の由来を聞いてみたい。 さて、今日12月24日に、フランスのクラシック・ジャズ専門のテレビ局 Mezzo で放送していた演奏会は、昨10月26日にパリのフィルハーモニーホールで収録されたもの。プログラムは「ダンス」と題して、ベートーヴェンの交響曲第7番と、ストラヴィンスキーの《春の祭典》。この日の演奏会にはあいにく行けなかったが、翌日から演奏を絶賛する批評がいくつも出たのを覚えている。正直言ってこの時はあまり興味をそそられなかった。ディジョンを本拠地(レジダンス)としているこのオケのことは知っているし、グリマル氏の活動についても一通りのことは知っている。プレス用の CD もいくつかいただいて聞いている。グリマル氏は「レ・ディソナンス弦楽四重奏団」もつくっていてそこでも良い演奏をしている。けれど、今日の放送を見るまでは、100人もの団員がここまで情熱的な演奏をするとは想像していなかった。 『春の祭典』(抜粋)ビデオ 画面には、平均年齢が30歳前後と思われる若い音楽家たちが、心から楽しんで音楽に没頭している姿が映し出されていた。ベートーヴェンでは、比較的早いテンポのスケルツォ楽章、会心の終楽章も含め、まさに一糸乱れぬ演奏。ミュージシャン同士が微笑みながら目で合図を取り合っているのがよくわかる。その微笑みは、良い仲間がすでにわかっている心うちを改めて確認するような、安心感に溢れたものだ。《春の祭典》では、皆、自分の楽器に集中しているため演奏中は顔には出さないものの、それぞれのパッセージごとにお互いのことを思いやっているのが伝わってくる。弦が一斉にボウをさばく様子が、バレエ群舞を見ているようで美しい。指揮者に頼ることができないので、自分の耳だけを頼りにするしかなく、それが見事な緊張感を生み出している。しかし緊張によって萎縮するのではなく、その緊張感から常に新しいエネルギーが生まれている。ゆえに当然、音楽にも稀に見る生気がみなぎっている。そして曲が終わると、一人一人の顔になんとも言えない爽やかな笑みが花開き、お互いにその笑顔を投げ合っている。演奏中に表現できなかった賞賛の言葉を笑顔にかえて、讃えあっているのだ。このオーケストラが、本当にみんな一緒になって曲に取り組んできたことを雄弁に物語るシーンだった。サラリーをもらってある意味マンネリ化して演奏をする、一部の既存のオケにはない、素晴らしい創造エネルギーがみなぎっている。 テレビなどの映像でのコンサートの放映では、大抵の場合、コンサートホールに特有の舞台と客席のコンタクトがよく伝わらず、乾燥した印象を持つことが多いが、今夜はまるでその場にいるように、熱気が感じられた。思いもかけないクリスマスプレゼントをもらったようで、とても嬉しい気持ちになった。 オフィシャルサイト(仏語、英語)はこちら