(2017年12月 にMixiに投稿した記事に加筆・訂正したものです) 昨年のフォル・ジュルネでフレッシュで質の高い演奏を披露したプソフォス弦楽四重奏団が、20周年を迎え、パリの新ホール「バル・ブロメ Bal Blomet」で12月8, 9, 10日の3夜連続でアニヴァーサリーコンサートを行った。 私が行ったのは、最後の日曜日。開演前に急に土砂降りになり、雨に濡れて会場に入ってきた人も多い。 会場のバル・ブロメ Le Bal Blomet は、今年春にオープンしたばかりの新しいホール。ベル・エポックに黒人アーティストが多く出演し「バル・ネーグル Le Bal Nègre」と呼ばれ親しまれていたミュージック・ホール(雑誌『ふらんす』にオープンのニュースを書いたのでこちらの方も参照してください)があった場所に建っている。バル・ネーグルが閉鎖して、数々の運命を経て、現在の所有者兼マネージャー、クリストフ・コルニュ Christophe Cornuさんが建物を購入。全く異なった様相になっていた建物を、大規模な工事によってかつての雰囲気を蘇らせ、ニューヨーク風のジャンル不問のミュージック・ホールとしてオープンした。 さて、プソフォスSQ (Quatuor Psophos : Eric Lacrouts, Bleuenn Le Maître, Cécile Grassi, Gauillaume Martigné) のコンサートは、4人のゲストを迎えて家族的な楽しい雰囲気で繰り広げられた。そう、「繰り広げられた」という言葉がぴったり。 最初の曲はメンデルスゾーンの変ホ長調作品44第3番。これは現メンバー4人による演奏。演奏自体は初めからのっているが、楽器が、聴衆が入ったホールにまだ今ひとつ馴染んでないような響きがする。次はシューベルトの五重奏曲ハ長調。チェロが二つの、50分ほどかかる曲だが、1楽章だけの演奏だ。 最近、フランスでは、特定の楽章だけを取り出して演奏するというプログラムが増えつつある(他の国ではどうなんだろう?)。19世紀には当たり前だったこの形態が、復活してきたとも捉えられる。インターネット時代になって、ストリーミングで好きな部分だけを聴く方法が定着してきたことも無関係ではないだろうし、そういう時代に育った若い演奏家たちが、なんらコンプレックスを感じずに、これまでのコンサート形式から脱するようになったことの反映とも考えられる。 だいたい、1時間以上もする交響曲や、4時間以上もかかるオペラを、教会のミサに列席するように神妙に聴くという慣習は、ワグナーがバイロイトで自作オペラを上演する時に聴衆にこのような態度を要求したことが発端とされている。つい最近の風習なのだ。それ以前の時代の習慣が戻ってきたのは、もっと自由に、特に若い人がクラシックに馴染める形を模索する中で生まれた必然の結果なのかもしれない。
: Auteurs 作曲家・作者
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(2017年12月にMixiに投稿した記事に加筆・訂正したものです) テレビでパリ菅 Orchestre de Paris によるウィンナワルツとオペレッタのコンサートをやっていた(2017年12月17日18時30分〜19時15分)。 パリ・フィルハーモニーホール Philharmonie de Paris のオーケストラ席の客席が取り払われ、オーケストラに合わせて一緒に踊りましょうという、2017年6月8日に行われたコンサート。ホールは満席。オーケストラ側からみた客席には、音楽に合わせて踊る人々が映し出されていた。 そして最後に、オッフェンバック Jacques Offenbach の《地獄のオルフェウス(天国と地獄)Orphée aux enfers》からの有名な『地獄のギャロップ』が鳴り始めると、セルフィーを撮る人、飛び跳ねる人、くるくる回る人、隣の人と肩を組む人などなど、思い思いに体を動かして楽しんでいる。その顔は明るくて、音楽を本当に楽しんでいるのがわかる。 オッフェンバックは、20年ほど前からフランスを中心に、研究者と演奏家が手を取り合って深く取り組み、再評価されているが、まだまだ余興音楽というイメージは払拭されていない。けれどその音楽は、上演を目的に作曲されたものとしては唸るほどよくできているし、オッフェンバックは正真正銘の演劇人間で、観客に受ける効果的なオペラを作り出すことを常に念頭に置いており、受けの悪かった箇所は名曲でも容赦無く削除して新しい曲に入れ替えたという。だからかはわからないが、彼の音楽は、フランス人の地に深く入り込んでいて、音楽が鳴り始めた途端に誰もが嬉しい気分になって、体が勝手に動くのだ。 知ってる人も知らない人も皆一緒に彼の音楽を楽しんでいるのを見ると、音楽はまさにこうあるべき、と深く納得してしまう。 そういう意味で、私は世界最高峰のクラシックの作曲家としてオッフェンバックの名前をあげることに、全く躊躇しないし、機会あるごとにそう主張している。 いわゆる「芸術音楽」はもちろん素晴らしい。しかし、なんの分け隔てもなく人々を純粋に楽しませ心をつなぎ続けてきた音楽は、格別の存在として大切にしていかなければならないと思う。クラシックであれ、ポップであれ、ロックであれ、シャンソンであれ。
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プレイアード六重奏団をご存知だろうか。時代を問わず、その曲が作られた当時に使われていた楽器(またはそのコピー)で演奏して日本でも人気の高いオーケストラ「レ・シエクル」のメンバーの女性6人が2011年に結成した弦楽アンサンブルだ。これまでにない新しい音と新しいコンサートのかたちを求めて、他の音楽家との共演だけでなく、さまざまな分野のアーティストとのプロジェクトにも積極的に参加している。初録音となるこのCDに、彼女たちはベートーヴェンとシェーンベルグを選んだ。 ベートーヴェンは六重奏曲op. 81bかと思いきや、《田園交響曲》。ミカエル・ゴットハルト・フィッシャー(1773〜1829)なる人物が1810年に編曲した知る人ぞ知る版である。私の知る限りでは2003年にケルン六重奏団がこれを録音しているが、それ以降再録音された記録はない。(が、もしケルン六重奏団以外の団体が演奏していることをご存知の方がいらっしゃいましたらお知らせください。) フィッシャーはJ.S.バッハの孫弟子で、ドイツのエアフルトに生まれ、同地の教会のオルガニストを勤めていた。彼の手になる編曲は非常にうまくできている。ちなみにベートーヴェンの交響曲の編曲で有名なのはリストによるピアノ二手または四手用版だが、楽譜にはリストという強烈な個性が強く表れていて、本来ない音を自由に書き込んでいる場所も少なからずある。ただそういうことは音楽史上常にあったこと。現在重要視されている楽譜絶対論(当然どの楽譜に準拠するかという議論も盛んになる)は非常に最近の傾向で、当時は著作権のなかった時代でもあり、音符が違うと目くじらを立てるということもなかった。 フィッシャーに話を戻そう。彼の編曲のどこがよくできているかというと、オーケストラの音符が、たった6つの弦楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ各2)に、かなり忠実にかつ実に効率よく配分されていて、通常、オケ全体に埋もれてよほど注意しないと聴こえないような音が、重みを持って迫ってくる。少々大げさに言えばこの曲の再発見とでも言えようか。聴き慣れた楽譜が全く新鮮に耳に響くのだ。もちろん、レ・シエクルで鍛えられた響きを存分に提供してくれる6人の力量あるアーティストの演奏があってこそだ。弦楽器という同質的な音であるにもかかわらず、音色や厚みがさまざまに変化し、まるでモーツァルト系の小編成オケのようにも聞こえる。例えば第2楽章の有名なカッコウの鳴き声を模した箇所。または第3楽章の中間部の前後。クラリネットやオーボエが確かに聴こえる。ブラインドテストをすれば弦楽器だけだと答える人は何人いるだろうか。そしてその音色は、18世紀から受け継いだ古典楽器(それ自体バロック楽器から受け継いだものだ)と19世紀後半の(幅広いヴィブラート奏法と切っても切り離せない)近代楽器の間に位置する、19世紀初めの楽器独特の音色だ。ライナーノートにはチューニングが幾らかなどの情報は掲載されていないが、6つの楽器が生み出すハーモニーが心地よいのは、音色に加えてチューニングが大いに関係していることは間違いない。 個人的には、こういう楽譜や演奏には大変に興味があるし、ベートヴェンが音楽的にどんな時代背景に生きていたかを知る上で非常に面白いと思う。 2曲目の《浄められた夜》は、ベートーヴェンに比べると魅力が少ないように感じる。ワグナーやマーラーなどの語法にまだどっぷりと浸かっていたシェーベルグ初期の、しなやかな幅広さやドラマ性が少々欠けているように思える。何度か聴いたが、楽器はベートーヴェンと同じではないかと思われる(ライナーに楽器の記述がないのが残念だ)。《田園》の作曲が1808年、《浄められた夜》が1899年なので、両者にはほぼ1世紀の開きがあり、音に対する好みがかなり変わっていると思うのだが、根本的な音色が異ならないように聴こえる。実際のところはどうなのだろう。ある意味では、こじんまりとした音色の同一性が、ロマン的なほとばしりや広がりを抑えているように感じられるのだ。 とはいえ、演奏そのものはインスピレーションに富んでいて完成度が高く、大いに楽しめる。 手元に置いておきたい一枚。 Les Siècle – Les Pléiades (sextuor à cordes) : Beethoven, Schœnberg. NoMad Music, NMM070, 71’14
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1幕オペラ『マンガカフェ』が6月にパリのアテネ劇場 Théâtre de l’Athénée で上演されました。それに先立ち、作品は5月17日にパリ北部近郊のコンピエーニュという街で世界初演されました。台本と作曲を担当した作曲家のパスカル・ザヴァロ氏、指揮者のジュリアン・マスモンデ氏、演出のカトリーヌ・デューン氏、ソプラノ歌手で主人公のトマ役のエレオノール・パンクラジー氏に集っていただき、自由に語ってもらいました。 パスカル 2チャンネルの電車男の話はよく知ってるよ。根本的には嘘だと思ってるけど、どこまで本当でどこまで嘘なのか、誰にもわからない。けれど大事なのは、たくさんの人がこの話が本当だと思っていたことじゃないかな。 全員 そうそう。 エレオノール でもほんとに? その話って嘘だったの? パスカル 誰も確認した人いないし。 エレオノール 私が読んだ電車男の前書きはこの話は本当だって言ってるし、二人が初めて エッチした日付まで書いてあったわよ。 パスカル うん、その時点では本当だったかもしれないね。 カトリーヌ ああ、二人はそこまでいったのね。 パスカル もちろんだよ。これは正真正銘の恋愛物語だから。 ジュリアン そんなこと全然知らなかったよ。 パスカル 僕は日本で生活したことがあるんだ。1986年と87年だった。あの頃はまだ携 帯とかなくて、みんな電車の中ですごく大きな白黒マンガ(マンガ週刊誌・月 刊誌)を読んでたね。そんなものはフランスにはなかったから、とってもびっ くりして見てたんだ。これは自分の中で、日本の強烈な思い出として残ってる。 『マンガカフェ』ができるまで パスカル 僕が2008年に「高校生作曲家大賞 Grand Prix Lycéen des compositions」をもらった時、新しい作曲のために、若い世代に向けて、十分に現代的でインパクトのある、高校生にわかりやすいテーマを探してたんだけど、その時すでに電車男に注目してたんだ。オタクがいろんな手を使って思いを寄せる彼女の気を引こうとして、結局最後はハッピーエンドという、すごくわかりやすい話だよね。それを三重奏曲にしてタイトルは『デンシャオトコ』。ラヴェル音楽祭でラヴェルの三重奏かと思いきや『デンシャオトコ』をやったんだよ。 今回の話は、1年半ほど前にジュリアンから電話をもらったんだけど、バーンシュタインの『ハイチの騒動』とカップリングできる新作オペラを上演したいということだったんだ。それがまた、明日返事が欲しいっていうんだよ。2日後にアテネ劇場の支配人に会うことになっていて、そこで十分説得力のあるプロジェクトを提示したいって言うんだ。あの時、そういう曲としては『電車男』しかなかったけど、これはいいアイデアだと思ったね。テーマは恋愛物語だし、まさに現代が舞台だし。バーンシュタインも、彼が生きていた時代の現代テーマを扱ってて、まあこっちは悲しい話だけど一応恋愛ものだしね。どちらも、今の時代を舞台で表現するということだね。 電車男の虚構性と真実味 パスカル …