L’Orchestre Les Siècles fêtent ses 20 ans cette année 2023 et effectuent une tournée avec un programme entièrement constitué de musique française. Le 10 janvier, les musiciens se sont posés au Théâtre des Champs-Elysées, le lieu de leur résidence parisienne.…
François-Xavier Roth
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カミーユ・サン=サーンス Camille Saint-Saëns 没後100年の催しの一環で昨2021年秋に上演され、数都市を巡回している1幕オペラ《黄色い姫君 La Princesse jaune 》。同じく1幕もののビゼーの《ジャミレー Djamileh 》と合わせた2本立てだ。 リール郊外トゥルコワン市 Tourcoing のレイモン・ドゥヴォス市立劇場 Théâtre Municipal Raymond Devos で、アトリエ・リリック Atelier Lyrique de Tourcoing のプログラムの一環として、フランソワ=グザヴィエ・ロト François-Xavier Roth がレ・シエクル Les Siècles を指揮して5月末に3日にわたって上演された。 ***** 1870年代の上演背景 筆者が干渉したのは、最終日の5月22日。この稿では主に《黄色い姫君》をレビューするが、その前に作品の成立の背景を見ておこう。 二つの作品は、19世紀半ばから絵画などでとくに好んで取り上げられていたオリエンタリズム(東洋主義)の潮流の中で上演された。《黄色い姫君》の初演は1872年6月12日、《ジャミレー》は同年5月22日というから、ほとんど同時期に世に出された双子オペラと言っても良いだろう。サン=サーンスは、その前年に創設された国民音楽協会の共同発起人だが、1880年代半ば、同協会のコンサートで、外国人作曲家の作品を演奏できることが可決されると(それまではフランス人作品に限られていた)、決議に抗議して協会から離れたという経緯がある。このことから保守的な作曲家というイメージが強いが、実際は全く逆で、フランスで最初に交響詩を作曲したり、パイプオルガンを初めて交響曲に取り入れたり(交響曲ハ短調《オルガン付き》作品78、1886年)、近現代における古楽見直しのはしりとなるラモー全集(デュラン社、1895〜1918)の監修を行ったり、さらに晩年には世界で初めて映画音楽を作曲する(《ギーズ公の暗殺》、1908年)など、生涯にわたって新しいものを積極的に取り入れた。 《黄色い姫君》は、彼の好奇心を物語る作品の一つだ。ジャポニズムが徐々にモードとしてパリを席巻しつつある頃に、フランスで初めて日本を題材に作曲されたオペラが、この作品なのだ。初演から40年ほど経って、サン=サーンス自身、回想録で「日本が大流行して皆日本のことしか口にしなくなったので、日本を題材にした作品を書こうというアイデアがわいた」と語っている。初演された1872年は、プッチーニの《蝶々夫人》(1904)の30年以上前、メサジェの《お菊さん》(1893)の20年以上前である。彼の先進の気風がわかる。 当時さかんに見らた1幕もののオペラ・コミック(歌とセリフが交互に出てくるジャンル)というフォーマットの背景には、普仏戦争に敗北し国中が疲弊していたフランスで、制作費が安くてすむ短い作品を提供することで、手軽に文化を取り戻そうという意図があった。オペラ・コミックなので、専門のオペラ歌手を起用せずとも、俳優が歌の部分を歌って上演できるという利点もあった。 《黄色い姫君》 オランダ経由の日本美術 《黄色い姫君》は若いオランダ人のコルネリスと、その従姉妹でコルネリスに恋するレナの話。コルネリスは日本の屏風に描かれた女性に首ったけになり、女性に息を吹き込むことを夢見て、毎日錬金術まがいの実験をしている。その中で、魔法の薬が希望を叶えてくれるということを知る。薬を作って飲んだコルネリスは幻覚症状にとらわれ、室内は日本風に変わり屏風の女性が動き出したと錯覚する。その女性は実はレナだった。屏風の女性に熱烈な愛を告白するコルネリスの言葉を素直に捉えたレナだが、それが屏風の女性ミン…
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(2018年8月にMixiに投稿した記事に加筆・訂正したものです) フランス文化大臣フランソワーズ・ニッセン Françoise Nyssen 氏は2018年8月21日、イゼール県コート・サンタンドレで開催中のベルリオーズ音楽祭 Festival Berlioz の一環としてルイ11世城で開かれたベルリオーズの《レクイエム》の演奏会に出席し、「ベルリオーズ没後150周年記念祭」を公式に開会した。 音楽祭の芸術監督ブリュノ・メシナ氏 Bruno Messina は昨7月、同記念祭の綜合芸術監督に任命されたばかり。 《レクイエム》はエクトル・ベルリオーズ・ヨーロピアン・ユースオーケストラ Jeune Orchestre Européen Hector Berlioz (JOEHB)、スピリト合唱団 Spirito、ユース・シンフォニー合唱団、オーベルニュ地方合唱団、リヨン・オラトリオ合唱団の、総勢300人が演奏。13世紀から建築されたルイ11世城の中庭に特設された会場では、管楽器が高低4地点に陣取り、ステレオ効果を最大限に生かした大コンサートとなった。指揮は、曲が作曲された時代の楽器を使用して演奏するユニークなオーケストラ、「レ・シエクル Les Siècles」の芸術監督フランソワ=グザヴィエ・ロト François-Xavier Roth氏。ソリストはトビー・スペンス Tobie Spence(テノール)氏、ヴァイオリンソロはフランソワ=マリー・ドリユー François-Marie Drieux 氏。 JOEHBは、メシナ氏がベルリオーズ音楽祭の音楽監督に就任した当時、フランソワ=グザヴィエ・ロト氏とともに、ヨーロッパ中からハイレベルの若い音楽家を集めて、レ・シエクルの「コーチ」のもと、アカデミー形式でペリオド演奏ができるオケ団員を養成しようと企画し発足したオーケストラ。主要となるレパートリーは、ベルリオーズの大規模な作品で、全て当時の楽器(またはそのコピー)での演奏だ。ロト氏がJOEHBについて語っている映像はこちら。 19世紀の楽器の奏法は現代楽器とは大きく異なり、独特の演奏アプローチが要求される。1950年代から始まったバロック音楽の興隆がペリオド楽器奏法の研究を活発化させ、1990年代以降はロマン派、近代の音楽にもこれが波及した。ロト氏率いるレ・シエクルはこれを本格的に演奏の現場で応用した最初のオーケストラの一つで、今では世界的な成功を収めており、2018年度のグラモフォン・ミュージック・アワードの「オーケストラ・オブ・ザ・イヤー」部門にノミネートされている。 21日に演奏されたベルリオーズの《死者のための大ミサ曲 Grande messe des morts(通称レクイエム)》op. 5 は青年時代の作品。1830年の7月革命の記念祭のための委嘱作品で、1837年にアンヴァリッドでフランソワ=アントワーヌ・アブネック François-Antoine…