パリの国立オペラ・コミック劇場では9月28日から10月8日までレオ・ドリーブ Léo Delibes の《ラクメ Lakmé 》が上演されている。演出はローラン・ペリー。ラファエル・ピションが自らのピグマリオン(オーケストラと合唱)を指揮。主要キャストは、ロールタイトルにサビーヌ・ドヴィエルを迎え、イギリス将校ジェラルド役にフレデリック・アントゥン、ラクメの父ニラカンタ役がステファン・ドゥグー、ラクメの侍女マリカ役がアンブロワジーヌ・ブレ。プルミエ以降全日程が完売という人気で、聴衆のお目当てはなんといってもサビーヌ・ドヴィエルのラクメ。案の定、「鐘の歌」に観客は熱狂し、拍手が鳴り止まなかった。 ***** サビーヌ・ドヴィエルのラクメ サビーヌ・ドヴィエル Sabine Devieilhe は2014年に同じ劇場ですでにラクメを歌っている。この時はフランソワ=グザヴィエ・ロト François-Xavier Roth の指揮で、演出はリロ・ボール Lilo Baur。この時彼女はまだデビュー後間もない頃で、このラクメ役の大成功で一躍キャリアがひらけたといえる。2014年の彼女の歌を今でも覚えている人は多く、筆者もその一人だ)。 ドヴィエルは、クリスタルが光を受けて色彩を放ち透明な声に加え、フランス語の発音が驚くほど明快で、フレージングも音楽性に溢れている。彼女の歌唱においては、一つ一つの音に特有の役割を十分に果たしているがゆえに、どんなレパートリーでも全く違和感がない。バッハのように堅実さが求められるものから、この《ラクメ》のように技巧的な聴かせどころがあるものまで、コンスタントな歌唱が特徴だ。 今回観たのは9月30日の2回目の公演だが、ドヴィエルは28日のプルミエから絶好調で、現在彼女がコロラトゥーラソプラノとして絶頂期にいることを目の当たりにできる。このオペラの一番の聴かせどころ「鐘の歌」では、高音部で玉のように転がる音符を稀な完成度で、しかもかなりの速さで歌い上げる。かつてはマディ・メスプレ Mady Mesplé やナタリー・ドゥセ(デセイ)Natalie Dessay などがレパートリーとしていたこのアリアが、ドヴィエルによってさらに輝きを増している。 ニラカンタに新しい顔を持たせたステファン・ドゥグー 祭祀のニラカンタは、自らの権力維持のために娘のラクメを女神に仕立て上げ、彼女が外界と接触する機会を絶つ。このような人物設定は、台本からは読み取れるものの、実際の上演では、ラクメとジェラルドの悲恋の影で存在感がなくなっているのが。しかし、ステファン・ドゥグー Stéphane Degout はその威厳ある声と真実性で、この人物が物語の中核となっていることを雄弁に示した。ドゥグーのもつ存在感は圧倒的で、今回の上演では、まるでオペラ全体がラクメをめぐるニラカンタのジレンマを描いているかのようだ。 二人の侍従マリカとハージ 侍従であるマリカとハージは、今急上昇中のアンブロワジーヌ・ブレ Ambroisine Bré と、オペラ・コミック・アカデミー出身のフランソワ・ルジエ François Rougier が歌った。…
ラファエル・ピション
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11月11日にオペラ・コミック劇場でプルミエが上演されるはずだったラモーのオペラ『イポリットとアリシー Hippolyte et Aricie』は、10月末に発令した全国的な外出禁止令で中止となり、無観客ライブで上演された。 同劇場では9月末から10月はじめに予定されていたリュリの『町人貴族』がなんと初日の開演2時間前になって上演を中止せざるを得なくなるというハプニングがあった。主要な出演者の一人に、ウィルス検査で陽性反応が出たためだ。当初最初の3公演のみ中止とされていたが結局全公演が中止となり、バロックオペラファンは、次の『イポリットとアリシー』に大きな期待を寄せていた。理想的とも言えるフランス語圏歌手による豪華キャストが注目されていたからだ。 今回の外出禁止令では、前回の都市閉鎖とは異なり、劇場や映画館は閉鎖され上演はできないが、今後予定されている演目のリハーサル、CDなどの録音、動画収録、ネット配信などは可能。オペラ上演には練習とリハーサルに最低でも2ヶ月を要する。『イポリットとアリシー』はその最終段階にあり上演可能な状態だったため、劇場側はライブストリーミングでの上演を決定。11月14日土曜日の20時から、無観客上演で配信されると同時に、ラジオ France Musique でも生中継された。 当日は第一部の最後の方で技術的な問題から配信が中断されるというハプニングが起きた。第二部から再開されたが、時々、一瞬ではあるが画面が固まる状態に何度か陥った。 さて、ライブで見た全体の感想は次の二言に尽きる。素晴らしい歌手陣による音楽的に到達した見事な演奏と、納得できるとは言い難い演出。この二つがあまりにも対照的で、演出を気に入らなかったオペラファンたちがこぞってソーシャルネットワークに「ラジオで聞くだけで十分!」と書き込んだほどだ。 中心人物の衣装はオペラが初演された当時の18世紀風だが、それ以外の人物や舞台は現代風(サファリ用のつなぎにゴム長靴、白シャツにネクタイ、ビキニ、掃除婦など)で、舞台装置は鉄パイプ組み(演出家によるとフェードルの胸郭だそうだ)、エレベーターや自転車まで出てくる。幕が開いてすぐ、狩猟の女神ディアーナと猟師たちが銃を撃ち放つと、白い布に色とりどりのペイントが投げつけられる。女性彫刻家ニキ・ド・サン=ファールが絵の具の弾丸をつめた銃を撃って描いたことにヒントを得て、視覚要素を現代化したというのだが、これがその後の演出につながらない。それぞれの場に取り入れられたアイデアが、全体として一貫性のない印象を与え、終始、繰り広げられる話とはチグハグな感が否めなかった。 余談になるが、時代や国を現代に移し替えることは頻繁に行われているとはいえ、話の主題と音楽の性質をよく踏まえたものでないと、見る側からはすぐに意図が掴めない。二つの時代を同時に取り入れた場合、ミスマッチが意表をついて新鮮で成功する場合と、混乱や不理解を招く場合があるが、今回は後者だったと言わざるを得ない。 さて歌手陣。圧倒的な存在感と深みのある声で全体を牽引したのは、何と言ってもフェードル役のシルヴィ・ブリュネ Sylvie Brunet。テゼー役のステファン・ドグー Stéphane Degout は迫真の声と演技で聴く人を惹きつける。ラインウード・ファン・メヘレン Reinoud van Mechelen(イポリット)とエルザ・ブノワ Elsa Benoît(アリシー)は、それぞれの声質を生かした歌唱の兼ね合いが素晴らしい。そのほか、注目の若手メゾソプラノ、レア・デザンドレ Léa Desandre が歌う最終幕のアリア「恋するうぐいす」は逸品。 アンサンブル・ピグマリオン Ensemble Pygmalion(合唱とオケ)は、色彩に富んでいながら深い統一性があり、指揮のラファエル・ピション Raphaël Pichon の入念な解釈が隅々まで生きている。バレエに相当する部分では、ダンサーがわりに合唱団員が動きを添えていた。 無観客中継ということで、オケピットの位置を舞台の近くまで上げ、オーケストラ団員が歌手たちとアイコンタクトを取りつつ演奏できるようにした他、客席の前方数列まで場所を広げて団員を配置。オーケストラが大きな役割を果たすラモーの音楽を存分に聴かせる工夫が取られた。また、普段は観客がいるため侵入不可能な場所にカメラを配置し、新しいアングルからの撮影も試みた。 ネット配信の音質は、どんなに良い録音・録画機器を稼働させ、音や画面を「忠実に」再現するとされている再生機器で聴いても、実際の劇場での公演には全く叶わない。空間を共有することで歌手やオケの息遣いを感じ、気持ちが高揚して作品の中に入り込むという体験が大きく薄れるからだ。公演が終わって普通なら拍手とブラヴォーの声が飛び交い、カーテンコールが続くはずの時に、静寂の中に無言でたたずむ歌手たちの様子がリアルに画面に映し出される光景はなんとも違和感があり、カメラワークが、逆にある種の気まずさをも演出した形になった。 閑話休題。 多くのオペラ劇場の例にもれず、オペラ・コミック劇場も数年前からソーシャルネットワークを含めたウェブコンテンツに力を入れ、誰もがオペラに親しみを持てるようにさまざまな工夫をこらしている。歌手への一問一答ビデオでは故意にジョーク質問を投げかけ答える方も軽いノリで対応してオペラ全体のイメージを一新。ストーリーがややこしい作品には、事前にレジュメを出したり、1970年代風のフォトストーリーに仕立てている。 『イポリットとアリシー』はこんな感じ(クリックで拡大)。 2〜3年前からは、作品の中の有名な、または覚えやすい合唱をみんなで歌おうと、開演前に30分ほど歌唱指導が行われている。とくに歌を習ったことがなくても楽しくオペラに親しもうという企画。 オペラ・コミック劇場のウェブサイトには、練習・リハーサル中のマスク使用について出演者が語っている短いビデオもアップされており、大変に興味深い発言もあるので、フランス語がわかる人はぜひご覧になることをおすすめする。…