本日17日、エベーヌ弦楽四重奏団 Quatuor Ebène によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏が終了した。幸運なことに今日はシテ・ド・ラ・ミュージックCité de la Musique(フィルハーモニー Philharmonie de Paris の一部)のコンサートホール Salle des concerts で行われたコンサートを会場で聴くことができた。 ネタを明かしてしまうと、フィルハーモニーのサイトには20時30分からライブとあるが、実は収録は17時から行われていて(フィルハーモニーに限らず、他の「ライブ」コンサートの開始時間も、実は18時とか19時とかいろいろ)、収録したものを編集せずに、またはコンサート以外の部分を軽く編集して、そのまま流している。フランス語で言うfaux direct (「偽ライブ」の意)だ。休憩時間を少々短縮したり、最初や最後のクレジットをタイミングよくうまく入れられるという利点がある。時間をずらしてもライブの性質を生かしている良い例が昨日16日のコンサート。20時30分から聴いたネットライブでは、最後に演奏した16番の途中に何か重いものが落ちたような、ものすごく大きな音が2回も入っているが、そのまま放送されていた。 前回の記事で、なぜ舞台の奥に向かって(観客席に背を向けて)弾いているのだろうかと疑問を持ったが、会場を見て、おそらく撮影の便宜上そうしている可能性がほとんど100%だろうと思った。客席から舞台を照らして効果的な影を作っているということが一つ。画面からはもちろん見えないが、4人の前には半円形のレールが敷かれていて、演奏中、時々カメラが動いている。通常のようにミュージシャンが客席に向かっていて照明を正面から受けるのでは、彼らの前にあるカメラの影が映ってしまうのだ。 音響的には、どちらを向いてもあまり変わらないように思う。舞台は中央までせり出したかなり大きいもので、弾いているのはその先端。位置的にはホール全体の中央からややずれた場所だ。したがって舞台奥まではかなり距離があり(画面ではこんなに距離があるとは想像しにくい)、音が跳ね返る前に空間の中に上がっていく。聴衆のいないホールは残響が長く、配信では聞き取れない音の響きがなんとも味わい深いのだが、舞台奥正面に音が跳ね返っているならばこのような響きは出てこないように思われる。やはり実際の場で聴かないと、いくら感度の高い音響再生装置があっても想像の域を出ないということが今回再確認できた(そんなにいいアンプは持ってないけど)。 さて、演奏。世界ツアーを経た締めくくりとしてのパリシリーズの、本当に最後の演奏会ということもあるのだろう、気迫が感じられた。第一ヴァイオリンのピエール・コロンべは時折音が上ずることがあるが、それは今回に限ったことではなく、熱が入ってきて勢いがつくという感じだろうか。この全曲演奏は彼らの20周年を祝う意味もあり、20年を経てお互いを知り尽くしている* からこその味わい深い演奏が可能となるのだろう。 最終日であるこの日のプログラムは初期のop. 18の5番と4番の後、第12番op. 127。全体を通して印象的だったのは、メリハリのきいたリズム感と、毎回のカデンツの明瞭さだ。とくに4番の1楽章と4楽章で、テーマやモチーフの終わりや次のテーマへの移行部として何度も出てくるカデンツを、ダイナミックという以上に、ある意味でヴァイオレンスをもって演奏する解釈は、ベートーヴェン的な力強さを表して余りある。あとでリプレイで聞いたが、会場で聞いた魂魄のダイナミズム(pとfの対照という意味も含めて)は、残念ながら伝わってこない。それは例えば同じ4番の3楽章でアクセントが弱拍に移動している部分でも同様だ。 個人的な意見だが、ベートーヴェンはアクセントを通常位置からずらすことで音楽への意思を表明したように思えてならないのだが、それをどのように扱うかで、楽器を問わず演奏家の力量が問われるように思う。エベーヌはこれを強烈に強調するが、そこにはしつこさはなく、あくまで音楽の流れに沿っている。エネルギーが内包している場所ではそのエネルギーが徐々に膨らみ、噴出すべき場所で噴出する。彼らの演奏にはそういった物理的な流れがよく感じられる。したがって奇を衒うような解釈はない。音色で遊ぶということはあるが、フランス人に多い他の人と違うことをしよういうような個人的すぎる解釈は一切ない。そういう意味では至極正統派。それでいて新鮮。これも私には、楽譜に表現された、音楽が持つエネルギーをそのままどう引き出すかに腐心する彼らの姿勢が表れているように思われてならない。 次回は楽譜を見ながら聴いてみようと思う。 裏話。他の日がどうだったかはわからないが、この日会場にいた「聴衆」は約25人。カメラに映らないように、舞台の両脇の2階席に陣取って座っていた。会話から、ミュージシャンの家族や知人が多かったようだ。私の近くにいた老年の男性は、二つの作品の間にするヒソヒソ話でもよく通るずっしりとした声で話すので少々うんざり。話題も音楽と関係ないことで、興が冷めるとはこのことか。やはり演奏会では、日常を忘れてどっぷり音楽に浸かりたいものだ。 リプレイはこちらから。6ヶ月間視聴可能。 * ヴィオラのマリー・シレムは2018年に正式にメンバーとなった。創立メンバーだったマテュー・エルゾグが抜けた後、2〜3年間アドリアン・ボワソーが弾いていたが、2017年秋の日本ツアーで、腱鞘炎でこられなくなった彼のピンチヒッターとしてマリー・シレームが登場。ツアー中、音楽的にあまりにも「当然のごとく」あうということで、そのまま正式団員となった。 トップ写真 © Arte Concert 配信画面キャプチャ ホールの様子 © Victoria Okada
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ベートーヴェン
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2018年から1年に1回のペースでベートーヴェン四重奏曲全集をリリースしてきたスペインの俊英カザルス・カルテット。5月15日にヨーロッパでデジタルリリースされた「アポテオーシス」で全曲が完結した。このシリーズでは、第1巻を「Invention」、第2巻を「Revelation」、今回の第3巻を「Apotheosis」と題し、作品をテーマごとにグループ分けしている。各巻は3枚のCDで構成され、ベートーヴェンの創作活動の3つの時期に書かれた作品をテーマごとに分けて収録。「Invention」では、それぞれの時期において「内省を求めるエクリチュールから際立った要素をよりよく引き出す」べく「新しい様式的方向性を打ち出した」四重奏曲を集め、第2巻では「それぞれの時代の初期に描かれ始めた様式的な革新をさらに深めつつ対峙させ」た四重奏曲が収録されているが、その対峙は、第1巻でも見たように「内省を求めるエクリチュールから際立った要素をよりよく引き出す」のだ、とジャン=ポール・モンタニエがライナーノートに記している。カザルス四重奏団の特徴は、新鮮な活力だろう。きわめて温かく、時に肉感のある音と、4人の一体感が生み出す万華鏡のような表現力は見事であり、新コロナウィルスによって将来がいまだ不確実なこの時期に、士気を高めてくれる快心の一枚となっている。 Harmonia Mundi, 1er volume « Inventions » 2018年, 3h01’22 2e volume « Revelations » 2019年, 2h41’25 3e volume « Apotheosis » 2020年, 2h44’47 photo © Cuarteto Casals