6月7日日曜日、野外で行われる予定のバロック音楽のコンサートが、あやしい天気のため、ラ・マトリス La Matrice に場所を移して行われた。 ここは前回、ピアニストのアダム・ラルームがリサイタルを行なった場所。今回のコンサートはパーセルを中心としたイギリス音楽で、演奏はメゾソプラノのリュシル・リシャルド Lucile Richardot とクラヴサンと室内オルガンのジャン=リュック・オー Jean-Luc Ho。オーは外出制限後初めて聴いたコンサートでエピネットを演奏していた。 リシャルドはセバスティアン・ドゥセ Sébastien Daucé が主催するアンサンブル・コレスパンダンス Ensemble Correspondances と共演する機会が多く、アルモニア・ムンディからルイ14世紀が踊った絢爛たる《夜のバレエ Ballet de la Nuit》を蘇らせたCD・DVDや、イギリス17世紀エリザベス朝の音楽を集めたアルバムPerpetual Nightなどが発売以来息長く好評を博している。 コンサートはまずクラヴサン独奏で《ディドとエネアス》からDance for chinese man & womenのあと、リシャルドがアリア「ああ、ベリンダ」を歌う。そのあとリシャルドがプログラムを告げる(観客にはパーセルの音楽とだけ伝えられ、詳細は知らされていなかった)のだが、しみじみと心のひだに入って歌い上げる曲が多いにも関わらず、その口調は楽しげ。彼女の人柄もあるのだろうが、ユーモアたっぷりの話には、歌うことそのものの喜びと聴衆の前で歌えることの喜びが溢れているように感じられた。 オーは、クラヴサンの横に置かれた足つきの譜面台の両端のろうそくを灯し、曲に応じて相対して置かれたクラヴサンと室内オルガンの間を行き来しながらの演奏で、鍵盤の位置が高いオルガンは立ったまま弾いている。リシャルドは二つの楽器の周りを移動しながら、時にテクストに沿ってジェスチュアを交えて歌う。表現方法として自然と出てくるのだろう。歌手たちは往往にして口達者、芸達者な人が多いが、彼女もその一人。話には淀みなく、聴くひとを惹きつける魅力がある。彼女の声はアルト、メゾ、コントラルトなど、さまざまに記される。一度でも彼女の歌を聞いたことがある人ならわかると思うが、声質が独特で、密度と暖かみがあるうえに肉感的でもあり、曲によってはカウンターテナーのアルトと混同しそうになる。クライマックスは「Since from my dear Astrea’s sight」で、テラスの上からドラマチックに歌い上げる。 Since from my dear Astraea’s sight…
ジャン=リュック・オー
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5月下旬の日曜日の午後、2ヶ月ぶりにデジタルではなく実際に演奏家が目の前で演奏しているコンサートに行ってきた。 フランスは2月下旬からまず5000人以上、次に1000人以上の大規模な集会が段階的に禁止され、ついに3月17日に外出制限令が敷かれた。5月11日以降徐々に制限が緩和されているが、コンサートを開催するには観客の間に十分な距離を置くことが要求されるため、少人数でも難しいのが現状だ。それはおそらく世界中どこでも同じだと思うのですが、個人宅や野外でごくごく少数の聴衆を対象に小さなコンサートを開く音楽家も出始めた。その一人、クラヴサン(またはハープシコードまたはチェンバロ)奏者のジャン=リュック・オー Jean-Luc Ho が企画した「Passer la mélancolie」は、パリとパリ地方の個人宅や建物の中庭、アトリエ、公園などで行う小規模コンサートシリーズ。 ジェネリックタイトルの「メランコリーを晴らして」というのは、フローベルガーのクラヴサン曲 Plaincte faite à Londres pour passer la melancolie に由来している。このタイトルの和訳は《ロンドンで憂鬱を吹き払うために書いた不平》と Wikipedia にある。 シリーズ最初のコンサートは、5月24日日曜日、パリ東駅すぐそばの個人宅で17時と19時の2回行われた。このアパルトマンの主、イタイ・ジェドリン Itay Jedlin もバロック音楽の演奏家で、あるコンセルヴァトワールでトラヴェルソを教えている。この日の朝にはサンジェルマンデプレ協会で再開されたミサでパイプオルガンを弾いてきたそうだ。また、コンセール・エトランジェ Concert étranger というバロックアンサンブルを主催しており、音楽祭などで演奏を披露している。このコンサートシリーズは、前代未聞の状況下で演奏活動を続ける方法を模索する中で、ジャン=リュックとイタイが共同で練り上げたものだとか。 5月24日のコンサートはジャン=リュックの弾くエピネットとニマ・ベン=ダヴィッド Nima Ben David のヴィオラ・ダ・ガンバのデュオで、ルベーグ、フォルクレー、フランソワ・クープラン、フローベルガー(フランス語読みではフロベルジェ)、マレ他の作品を1時間弱にわたって演奏(プログラムは下に別記)。プログラムの中のフローベルガーは上に記した《ロンドンで憂鬱を吹き払うために書いた不平》。フォルクレーの組曲第1番には《ラ・クープラン》と題された曲があるが、その後にクープランの《ラ・フォルクレー》を演奏するなど、エスプリ溢れる構成になっている。その空気を通して、また床や壁を介して伝わってくる一つ一つの音の振動は、やはりその場でないと体験できないもの。それを再び肌で感じられるのがなんとも新鮮な1時間だった。報酬は、サロンコンサートによくあるように、終了後、帽子(なぜか帽子が通例)に投げ銭というシステム。 こういったごく小規模のプライベートな雰囲気のコンサートは、演奏家にとっては通常の舞台への腕慣らし的な場である一方、聴衆にとってはネットを通じない実際の音を聴く格好の機会。こういう場がどんどん増えていってほしい。 プログラム Nicolas Lebègue : Chaconne grave Jean-Baptiste Forqueray :…