フランスでは、昨年3月以降一般に閉鎖されていた(昨秋に大幅な観客数制限で一時オープン)コンサートホール、映画館、劇場、美術館などが、今日5月19日、一斉に再オープンした。パリのフィルハーモニーでは19時からアレクサンドル・タローのピアノリサイタルが行われた。 パリのフィルハーモニー、一般観客を交えての活動を再開。初コンサートはアレクサンドル・タローのピアノリサイタル 5月19日、パリのフィルハーモニーも一般観客を交えての活動を再開した。オペラ座や劇場などは、出演者のスケジュール調整やリハーサルなどとの兼ね合いから、今日ではなく、5月末から6月いっぱいにかけて再オープンするところも多いが、コンサートホールは、閉鎖期間中に開催できなかった公演を再調整しているところが多いようだ。アレクサンドル・タロー Alexandre Tharaud のピアノリサイタルも、昨年11月4日に行われるはずのものを何度も日程を変更して、今日やっと実現となった。通常は20時30分開演のところを、21時からの外出制限に合わせて、19時開演となっている。 プログラムでは、彼がとくに好んでいる作曲家3人の作品が取り上げられた。まずマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調の有名な第2楽章をタロー自身がピアノ用に編曲したもの。次にラフマニノフの『幻想的小曲集』op. 3。そして最後はラヴェルの『鏡』。彼が舞台に現れるなり、大きな拍手。「暖かい拍手」という言葉が深い真実味を持って迫ってくる。観客もコンサートホールで生の演奏を聴けることを待ちわびていたのだ。 写真はクリックで拡大 音の層が畳み掛けるマーラー『アダージェット』のピアノ編曲版 最初の、マーラーの『アダージェット』は、ピアノという楽器の特性を存分に駆使した秀作で非常に興味深い編曲。さまざまな楽器(声部)とその音色が妖艶に絡み合い、オーケストラがふくよかさを増して幻想的な、もっと言えば偏執的な雰囲気を醸し出す様子を、独特のテンポの揺れとともに紡いでゆく。音の層があちこちから畳み掛け、異なる楽器を彷彿とさせる点、タローの感受性がよく発揮されている。しかしこの日の演奏ではそれらの層が平行線で終わっているような感が否めなかった。全体的なヴィジョンの上に立って細部を構築して弾くというよりは、細部を積み重ねて形にするというように感じられた。それはもしかしたら聴いていた場所と、ホールの観客数にも関係しているのかもしれない。 というのも、文化施設再オープン後の当面の観客数は収容人数の35%という規定にしたがって、この日の聴衆の数は最大でも700人程度。人がまばらなホールは、満席の場合と比べると格段に響く。だからピアノという楽器はよく鳴っている(ように聞こえる)。その影響だろうか、音が一つ一つ鳴り響き、それだけで完結してしまい、他の音符との関連性において共鳴(音響的な意味ではなく、音楽として)していないというのが、全体を通してずっと抱いた印象だった。 タローのピアノは、テクニック的には全く非がないが、音は硬質でどこか大理石のような冷たさがある。音楽のつくりも非常に理知的で、私には理論で押し切るような印象を強く感じる。そのためかどうかはわからないが、マーラー特有の大編成オーケストラの懐の深さは、硬質なピアノの音ではなかなか出てこなかった。 次のラフマニノフも、最後のラヴェルも同様の印象を持った。この上なく安定した技術を強みに、音の作り方に表情がないわけではない。ホールのコンディションに加え、音に対するタロー自身のコンセプトも、あのような音色を生み出しているのだろう。 さらにラヴェルでは、数ヶ月ぶりに再び聴衆の前で演奏できる興奮に突き動かされて、急ぎ気味になり、余裕を持った呼吸が取れていない感も残した。 「観客のいないアーティストは、小さな火に焼かれて少しずつ死んでいくようなもの」 タローはラフマニノフの前にマイクをとり、感慨深げに、聴衆の前で演奏できることがどれだけ幸せなことかと語りかけた。「皆さんも幸せだと思います」との言葉に、会場全体から大きな拍手と賛同の声が上がった。そしてこの1年間、何度かカメラを前に空のホールで演奏したが、「観客のいないアーティストは、小さな火に焼かれて少しずつ死んでいくようなものです」と、心境を披露。ラヴェルの前には、「芸術家を対象としたフランスのフリーランスシステムは、世界で最も手厚く芸術家を保障するシステム。欧州でも他の国では、かなり有名な音楽家でも生活のために職業を変えたり、音楽を放棄せざるを得ないケースが至る所にあり、最悪では自殺に追い込まれた人もいる。その点、フランスのシステムは大きな援助を実現している。しかし、フランス人アーティストでも、外国での公演が多く、国内での規定活動時間に満たない人(筆者注:法律が定める規定では、契約を結んで公式に芸術活動に費やす時間がフランス国内で年間500時間以上でなければ、フリーランスとしての社会保障などが適用されない)は保障を受けることができず、大変な窮地に立たされている。」と説明。その上で、「とくに、演奏家としての活動を始めたばかりの若い人々を取り巻く状況は非常に厳しいので、ぜひ彼らのコンサートに行ってください。パリだけでなく、郊外や地方の、小さなホールで行われているコンサートにもどんどん出かけてください。すでにCDを出しているのであれば、ストリーミングで聴くだけではなく、現物を買ってください。それも大型オンラインショップではなく、街の個人経営などの販売店で。小さなレーベルから出ているCDも買ってください。そうすることで業界全体が活性化し、アーティストは支援されていると肌で感じることができるのです。」と訴えた。 アンコールは2曲。まずバッハの『コンチェルト』ニ短調BWV974からアダージョ楽章を、やはりタロー自身が編曲したもの。右手で演奏される旋律の随所に装飾音を挿入している。タローはこれまでにもラモーやクープランをピアノで演奏し録音も出しているが、バロック音楽の特性をモダンピアノに生かした演奏だった。 その後再びマイクを取り、「自分自身で感染対策をきちんとして、ワクチン接種をしてください」と訴えた後、ジャズの定番となったガーシュインの 『The man I love』を演奏。最初の音符が鳴り響くと、ジャズクラブのように、あちこちから拍手があがった。しかしそれを制止する人も多かったのが残念。クラシックも、もっと自由に聴けるようになればいい。 余談ではあるが、本日5月19日にはシャンゼリゼ劇場でプリティ・イェンデ(ソプラノ)とバンジャマン・ベルネイム(テノール)のデュオリサイタルが開かれ、大盛況だったようだ。 ********** アレクサンドル・タロー ピアノリサイタル 2021年5月19日 水曜日 19時 於 パリ、フィルハーモニー ピエール・ブーレーズ大ホール プログラム グスタフ・マーラー アダージェット 交響曲第5番嬰ハ短調 第2楽章、アレクサンドル・タロー編曲 セルゲイ・ラフマニノフ 幻想的小曲集 op.3 I. 悲歌(エレジー)変ホ短調 II. 前奏曲 嬰ハ短調 III. メロディ ホ長調…
パリ・フィルハーモニー
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(2017年12月にMixiに投稿した記事に加筆・訂正したものです) テレビでパリ菅 Orchestre de Paris によるウィンナワルツとオペレッタのコンサートをやっていた(2017年12月17日18時30分〜19時15分)。 パリ・フィルハーモニーホール Philharmonie de Paris のオーケストラ席の客席が取り払われ、オーケストラに合わせて一緒に踊りましょうという、2017年6月8日に行われたコンサート。ホールは満席。オーケストラ側からみた客席には、音楽に合わせて踊る人々が映し出されていた。 そして最後に、オッフェンバック Jacques Offenbach の《地獄のオルフェウス(天国と地獄)Orphée aux enfers》からの有名な『地獄のギャロップ』が鳴り始めると、セルフィーを撮る人、飛び跳ねる人、くるくる回る人、隣の人と肩を組む人などなど、思い思いに体を動かして楽しんでいる。その顔は明るくて、音楽を本当に楽しんでいるのがわかる。 オッフェンバックは、20年ほど前からフランスを中心に、研究者と演奏家が手を取り合って深く取り組み、再評価されているが、まだまだ余興音楽というイメージは払拭されていない。けれどその音楽は、上演を目的に作曲されたものとしては唸るほどよくできているし、オッフェンバックは正真正銘の演劇人間で、観客に受ける効果的なオペラを作り出すことを常に念頭に置いており、受けの悪かった箇所は名曲でも容赦無く削除して新しい曲に入れ替えたという。だからかはわからないが、彼の音楽は、フランス人の地に深く入り込んでいて、音楽が鳴り始めた途端に誰もが嬉しい気分になって、体が勝手に動くのだ。 知ってる人も知らない人も皆一緒に彼の音楽を楽しんでいるのを見ると、音楽はまさにこうあるべき、と深く納得してしまう。 そういう意味で、私は世界最高峰のクラシックの作曲家としてオッフェンバックの名前をあげることに、全く躊躇しないし、機会あるごとにそう主張している。 いわゆる「芸術音楽」はもちろん素晴らしい。しかし、なんの分け隔てもなく人々を純粋に楽しませ心をつなぎ続けてきた音楽は、格別の存在として大切にしていかなければならないと思う。クラシックであれ、ポップであれ、ロックであれ、シャンソンであれ。