Vivace Cantabile

Musique classique - Spectacles vivants - Arts : France & Japon
コンサート 音楽

セドリック・ぺシア バッハ平均律曲集全曲演奏会

リール・ピアノ・フェスティヴァル Lille Piano(s) Festival レポート第二弾。

セドリック・ぺシア Cédric Pescia(日本語ではぺシャと綴られているようです)は1976年ローザンヌ生まれの、スイスを中心に活動するスイスとフランスの国籍を持つピアニスト。ローザンヌとジュネーヴの音楽院に学んだ後ベルリン音楽大学でクラウス・ヘルヴィッヒに師事した。2003年から2006年には、コモ湖国際ピアノアカデミーに選ばれ、ドミトリ・バシキーロフ Dmitri Bashkirov、アンドレアス・シュタイアー Andreas Staier、レオン・フライシャー Leon Fleisher、フー・ツォン Fou T’songなどの教えを受けている。2012年からジュネーヴ高等音楽院の教授として後進の指導にもあたっている。

バッハ、モーツァルト、シューマンなどドイツものを主に、ケージやメシアン、シュトックハウゼンなどまで幅広く手がけているが、彼のレパートリー・リストにはショパンやリストが見当たらない。これは国際的に活躍するピアニストとしてはかなり稀なケースだろう。決して華美な面に走らず、自分の弾きたいものを慎重に選んで深く掘り下げていくタイプで、それはコンサートでの演奏にもはっきりと表れており、いつも好感を持って聞くことができる。

さて、今年のリール・ピアノ・フェスティヴァルでは、そのぺシアがバッハの《平均律クラヴィーア曲集》2日にわたって全曲演奏するという。この音楽祭では、数年前に彼が確か《フーガの技法》(《ゴールドベルグ変奏曲》だったかもしれない)を演奏したのを聞いた。緻密に構築された対位法が厳格でいて生き生きと奏でられる様子に、大変に感銘を受けたのを覚えている。曲目が定かではないのは、演奏そのものの印象があまりにも強かったからだ。

あの時のリサイタルでも楽譜を見ながらの演奏だったが、今回も同様に楽譜つき。

余談だが、最近は若いピアニストでも楽譜を見ながら弾く人が多くなっている。リストの時代に始まり、今まで当然と考えられてきた暗譜演奏への疑問から、楽譜を見ながらでもいいと結論する演奏家が増えているのだ。他の楽器の演奏家は楽譜を見てもいいのに、なぜピアニストだけ暗譜を強要されるのかという疑問である。さらに、暗譜という行為には個人差があるため、自分にとって最良のコンディションで弾きたいと希望し、楽譜を置いて演奏する人があちこちで出てきている。(ちなみに私がまだピアノ学生だった頃、あるコンサートで楽譜を見て弾いてあとで「先輩」にこっぴどくお説教をされた記憶がある。時代は変わったというべきか。)

69日土曜日の朝11時から第1集、翌10日の10時から第2集を、リール音楽院ホールでそれぞれ2時間余りにわたって休憩なしで弾く。ぺシアの演奏はどちらかというとドライで、感情移入よりも音楽の構造を整然と聞かせていくというシフトだ。だからといって冷たいのでは全くなく、リズム感に溢れ、それを強調するかのように鋭く打たれる鍵盤から発する音が鮮烈。時にはまるでポップミュジーックを聞いているような感覚に襲われる。嬰ホ長調BWV876のプレリュードなどのような優雅な曲では一転して音そのものの美しさが光っている。演奏では、一見矛盾するかのようなこれらの性格が微妙に溶け合って、不思議な効果を出している。複雑なフーガも、彼の手にかかると至極明快。それはまるでもつれた糸が難なくほどけていくようなイメージだ。プレリュードは、曲によって変わるさまざまな性格が見事に表現されている。こうやって通して聞くと、ぺシアのアプローチはピアノという楽器上でのアプローチであることがよくわかる。その解釈は、バッハ後に生まれたさまざまな音楽の流れを踏襲した、21世紀の現代的解釈だと感じた。それゆえ、聞く側もポップやロックのような要素を感じ取れるのだ。バッハの時代の通例だったと考えられている演奏法にはとくにこだわらず、しかしながら様式感はしっかりと保ちながらの解釈。そんな彼の演奏を聴きながらなぜか、芯となる何かがすっとまっすぐに伸びているというイメージが何度も思い浮かんだ。

バロック期の作曲家の鍵盤曲をピアノで弾くということの是非については、昨今活発に論じられているが、バッハの作品はどの楽器にもたえられるもので、現代ピアノという楽器の可能性をも存分に引き出せる。そしてそれがバッハの音楽をさらに普遍たるものにしている。だから仮に、あるピアニストがクラヴサンやクラヴィコードでの演奏を全く知らなかったとしても、現代的な解釈だけでも十分に成り立つ。第一、バッハ自身、楽器を特定して作曲するというよりも、音楽のつくりそのものを表現しようした場合が多く、それをどの楽器で演奏するかは演奏者に委ねられる割合が大きい。そういう意味では、純粋に現代のフルコンサートピアノの機能を存分に駆使した《平均律》の演奏は、それだけで美しい。

これまでにもピアノの巨匠たちが多くの名演奏を残している《平均律クラヴィーア曲集》。リールでのぺシアの演奏はそのリストに名を連ねると言っても過言ではない、素晴らしいものだった。

Photo © Ugo Ponte / ONL

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