カミーユ・サン=サーンス Camille Saint-Saëns 没後100年の催しの一環で昨2021年秋に上演され、数都市を巡回している1幕オペラ《黄色い姫君 La Princesse jaune 》。同じく1幕もののビゼーの《ジャミレー Djamileh 》と合わせた2本立てだ。 リール郊外トゥルコワン市 Tourcoing のレイモン・ドゥヴォス市立劇場 Théâtre Municipal Raymond Devos で、アトリエ・リリック Atelier Lyrique de Tourcoing のプログラムの一環として、フランソワ=グザヴィエ・ロト François-Xavier Roth がレ・シエクル Les Siècles を指揮して5月末に3日にわたって上演された。 ***** 1870年代の上演背景 筆者が干渉したのは、最終日の5月22日。この稿では主に《黄色い姫君》をレビューするが、その前に作品の成立の背景を見ておこう。 二つの作品は、19世紀半ばから絵画などでとくに好んで取り上げられていたオリエンタリズム(東洋主義)の潮流の中で上演された。《黄色い姫君》の初演は1872年6月12日、《ジャミレー》は同年5月22日というから、ほとんど同時期に世に出された双子オペラと言っても良いだろう。サン=サーンスは、その前年に創設された国民音楽協会の共同発起人だが、1880年代半ば、同協会のコンサートで、外国人作曲家の作品を演奏できることが可決されると(それまではフランス人作品に限られていた)、決議に抗議して協会から離れたという経緯がある。このことから保守的な作曲家というイメージが強いが、実際は全く逆で、フランスで最初に交響詩を作曲したり、パイプオルガンを初めて交響曲に取り入れたり(交響曲ハ短調《オルガン付き》作品78、1886年)、近現代における古楽見直しのはしりとなるラモー全集(デュラン社、1895〜1918)の監修を行ったり、さらに晩年には世界で初めて映画音楽を作曲する(《ギーズ公の暗殺》、1908年)など、生涯にわたって新しいものを積極的に取り入れた。 《黄色い姫君》は、彼の好奇心を物語る作品の一つだ。ジャポニズムが徐々にモードとしてパリを席巻しつつある頃に、フランスで初めて日本を題材に作曲されたオペラが、この作品なのだ。初演から40年ほど経って、サン=サーンス自身、回想録で「日本が大流行して皆日本のことしか口にしなくなったので、日本を題材にした作品を書こうというアイデアがわいた」と語っている。初演された1872年は、プッチーニの《蝶々夫人》(1904)の30年以上前、メサジェの《お菊さん》(1893)の20年以上前である。彼の先進の気風がわかる。 当時さかんに見らた1幕もののオペラ・コミック(歌とセリフが交互に出てくるジャンル)というフォーマットの背景には、普仏戦争に敗北し国中が疲弊していたフランスで、制作費が安くてすむ短い作品を提供することで、手軽に文化を取り戻そうという意図があった。オペラ・コミックなので、専門のオペラ歌手を起用せずとも、俳優が歌の部分を歌って上演できるという利点もあった。 《黄色い姫君》 オランダ経由の日本美術 《黄色い姫君》は若いオランダ人のコルネリスと、その従姉妹でコルネリスに恋するレナの話。コルネリスは日本の屏風に描かれた女性に首ったけになり、女性に息を吹き込むことを夢見て、毎日錬金術まがいの実験をしている。その中で、魔法の薬が希望を叶えてくれるということを知る。薬を作って飲んだコルネリスは幻覚症状にとらわれ、室内は日本風に変わり屏風の女性が動き出したと錯覚する。その女性は実はレナだった。屏風の女性に熱烈な愛を告白するコルネリスの言葉を素直に捉えたレナだが、それが屏風の女性ミン…
アレクシ・コッセンコ
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2月の終わり、リール近郊のトゥルコワン Tourcoing で、パーセルの『フェアリークイーン The Faily Queen』(邦題『妖精の女王』)が3回にわたって上演された。昨年プログラムに組まれていたものが、新型コロナウィルスの影響で延期になっていたもの。セミオペラの特性を存分に生かした演出では、演劇部分とオペラ部分を対等に扱い、当時のエスプリを彷彿させる快心の作となった。 ***** シュールな演劇部分 このバージョンの特徴はまず、現代の英国を象徴する人物を登場させたシュールな演劇部分にあるだろう。ボリス・ジョンソン、サッチャー元首相、ダイアナ妃、エリザベス女王が、時代を超えて「共演」しているのだ。客席からだと本人かと見間違うほどそっくりなボリス・ジョンソンに扮するのはアラン・ビュエ Alain Buet。バロックオペラからオッフェンバックまで幅広いレパートリーを誇るベテランのバリトンだ。サッチャー元首相とダイアナ妃は、男性が女装。これは、当時重要な役割を担っていたトラヴェスティを現代に置き換えたようだ。そのジョンソン首相がなんとダイアナ妃に熱烈に求愛するという、シュールな世界が繰り広げられる。かつての仮面劇(マスク)にしたがって、本筋と並行してダンスをふんだんに見せる場をカットせずに上演しているのも特徴。英国のバロックダンサー兼コレグラファーのスティーヴン・プレイヤー Steven Player は、サッチャー役で踊りに踊る。青いスーツに身を包み(アリス・トゥーヴェ Alice Touvet による衣装が楽しい)、ティーカップとティーポットを忍ばせたバッグを離さず(暇があればティータイムになる)、オーケストラが舞曲を演奏するときはそれに合わせてホーンパイプはじめさまざまな踊りを次から次へと披露する。そのスタミナと耐久性には脱帽だ。もしかしたら彼が主役かと思うほどの活躍ぶりだった。女王陛下は帽子とお揃いの派手なピンクのスーツ姿で、そこかしこにお座りになられ、にこやかな笑みをたたえてほとんど無言でことの成り行きを見守っておられる。そんな中、一瞬、チャールズ王子が執拗に太鼓を叩く兵士のおもちゃとして登場。外から見た英国のクリシェをこれでもかと盛り込んでいるのに、全く陳腐に終わらないのは、演出家ジャン=フィリップ・デルソー Jean-Philippe Desrousseaux の力量だろう。 鬼才の演出家デルソー デルソーの鬼才は、このオペラの下敷きであるシェクスピアの『真夏の夜の夢』のセリフを引用し、これを見事に演出に溶け込ませている所にも表れている。コヴェントリー大聖堂の廃墟*(フランソワ=グザヴィエ・ギヌパン François-Xavier Guinnepin のセノグラフィーによる装置。ギヌパンは照明も担当)に、『真夏の夜の夢』の上演の練習にやってきた演劇団が、そこでくつろいでいたオックスフォードの女学生のグループに会い、演劇に参加するよう誘う。そして皆がおとぎの国で物語を繰り広げるという設定だ。劇の練習が次第に劇そのものになってゆくのだが、そのところどころにシェークスピアの箴言を散りばめ、パーセルのセミオペラとの強い関連性を提示している。その上でデルソーならではのアイデアを存分に発揮。彼が得意とするマリオネット劇で、「鉄の女」と渾名されていたサッチャーの人形が「敵」を叩きのめす場面もある。さまざまなアイデアで次から次へと繰り広げられるシーンに息つく暇もないが、動と静のバランスが絶妙で、見ていて全く息苦しくならない。演劇出身でジャンルを問わない、好奇心にあふれた根っからの劇場人間、ジャン=フィリップ・デルソーの面目躍如たる見事な舞台なのだ。 *コヴェントリー大聖堂は、第二次世界大戦でドイツ軍による空襲で破壊され廃墟となった。 役に入り込む歌手たち その舞台では、主に演劇部分は人間模様を、オペラ部分は神話の世界を語っているのだが、オペラを歌う歌手たちの、役に入り込む度合いがすごい。中でもソプラノのレイチェル・レッドモンド Rachel Redmond とバリトンのアラン・ビュエに耳が惹きつけられる。レイチェル・レッドモンドはレ・ザール・フロリサン Les Arts Florissants との共演が多く、このようなオペラへの出演は少々意外に思えたが、いざ蓋を開けてみると、彼女独特のピュアでよく通る声が見事な存在感を出し、他の声との兼ね合いでも素晴らしい効果をあげていた。アラン・ビュエは、最初にも書いた通り、バロックオペラであれオッフェンバックであれ歌曲であれ、幅広いレパートリーを誇り、とくにフランスものを歌わせれば右に出るものがいない大御所。演技も優れており、今回のパーセルでも、観客の期待のままの演奏・演技を披露してくれた。終演後のカーテンコールで指揮者のアレクシ・コッセンコ Alexis Kossenko…