シャンティイー城で行われた室内楽の音楽祭「レ・ク・ド・クール・ア・シャンティイー Les Coups à cœur à Chantilly 」。 最終日10月2日のコンサートは、朝11時から城の絵画ギャラリーで、「若い芽コンサート」。そして17時からは、音楽祭最後のコンサートが大厩舎ドームで行われた。この稿では朝のコンサートを主にレポートする。 ***** 「若い芽のコンサート」 朝のコンサートには、マルタ・アルゲリッチ Martha Argerich の孫ダヴィッド・チェン David Chen(14歳)と、彼とよく舞台を共にしているアリエル・ベック Arielle Beck(13歳)が登場。二人ともすでに昨年、第1回の音楽祭に出演し、ソロや4手連弾で弾いたほか、アルゲリッチとも共演した。 コンサートではまずベックが4曲、ついでチェンが4曲、それぞれ30分ほどのハーフプログラムを演奏し、最後に二人の連弾で締めくくった。 舞台と客席の距離が遠い「大厩舎 Les Grandes Écuries 」のドームで聴いた昨年とは異なり、絵画ギャラリーはコンサート会場としては小さくサロン的な雰囲気で、彼らの演奏を改めて細部までよく聴くことができた。 アリエル・ベック アリエル・ベックは今年、パリ郊外のサン=モール=デ=フォセ Saint-Maure-des-fossés 音楽院に入学。ちなみにここはパリ国立高等音楽院の前院長で作曲家のブリュノ・マントヴァニ Bruno Mantovani が院長を務めており、活発な教育活動が行われている。 ベックは近年はビリー・エイディ Billy Eidi およびイーゴリ・ラスコ Igor…
コンサート
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フランス王家ゆかりのシャンティイー城で、昨年から室内楽の音楽祭が行われている。今年は9月末から10月はじめに、3日間にわたって開催れた。 この音楽祭を2回に分けてレポートする。第1回はシャンティイーについて。 ***** フランス王家ゆかりのシャンティイー城 シャンティイー城をご存知だろうか。パリから北へ車で1時間足らずの所にあるフランス王家ゆかりの城で、最初に建築されたのが14世紀半ば。その後、建築、改装・増築を重ね、現在の形になったのが19世紀終わりだ。 のちにヴェルサイユの庭師として壮大な庭園を建造したル・ノートル Le Nôtre は、ここに大運河やフランス風庭園を造営して確固たる名声を築いた。 18世紀半ばには、城主コンデ公が王ルイ14世を迎えて開催した祝祭で、宴席を取り仕切っていた料理人フランソワ・ヴァテル François Vatel という人物が、仕入れた魚が届かなかった為に自殺したという有名な逸話がある。これはジェラール・ドパルデュー Gérard Depardieu 主演で映画『宮廷料理人ヴァテール』(なぜ名前が「ヴァテール」と長音になっているのか理解に苦しむが)にもなっているので、ご存知の方もいるかもしれない。 また、シャンティイー城内にある美術館には、ルーブルの次に重要な絵画コレクションを擁しており、とくにオマール公爵アンリ・ドルレアン(1822〜1897)のポートレートギャラリーは門外不出のコレクションとして世界に知られている。 レ・ク・ド・クール・ア・シャンティイー Les Coup de cœur à Chantilly そんな歴史あるこの城で、昨年から「レ・ク・ド・クール・ア・シャンティイー Les Coups à cœur à Chantilly 」という室内楽の音楽祭が開かれている。訳せば「シャンティイーのお気に入り」などとなるだろうか。 音楽監督はピアニストのイド・バル=シャイ Iddo Bar-Shaï。2020年に第1回を開催する予定だったが、新コロナウィルス対策に伴う劇場など文化施設の封鎖で叶わなかった。昨年2021年に行われた第1回は、6月に限られた聴衆だけに場を公開しつつ、ネット配信で開催された。昨年はマルタ・アルゲリッチ Martha Argerich が80歳を迎えたことから、これをどうしても祝いたいというバルシャイの思いにより開催された。…
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ドメニコ・スカルラッティは500曲以上にのぼるソナタ* があまりにも有名なため、それ以外の曲はなかなか知る機会がない。サン・ミシェル・アン・ティエラッシュ古楽音楽祭(Festival de Saint-Michel en Thiérache) で、クラヴサン(チェンバロ)の巨匠ピエール・アンタイは、スカルラッティとヘンデルが対決したという有名な伝説をもとにプログラムを組み、一部をその場で曲を選びながら演奏した。 同じくクラヴサン奏者のベルトラン・キュイエは、彼が創設したアンサンブル「ル・キャラヴァンセライユ」を弾き振りして、スカルラッティの《スタバト・マーテル》を演奏。その前に《ミサ・ブレビス》(通称「マドリッドのミサ」)、ソナタK30、二重合唱による《テ・デウム》も披露した。 ***** ピエール・アンタイによるヘンデル・スカルラッティ「対決」プログラム ピエール・アンタイ Pierre Hantaï はすでにヘンデルとスカルラッティを「対決」させたCDを出しているが、このコンサートでは、そのコンセプトをベースに、大筋のプログラムに沿ってその場で弾く曲を決めながら進んでいった。クリアファイルに楽譜を入れて自分だけの曲集を作り(おそらくテーマごとにこのようなファイルがいくつもあるのだろう)、その中から選んでいく。 アンタイはリサイタルで解説を入れるのが常だが、この日のプログラムについて「イギリスで活躍したヨーロッパ人ヘンデルと、スペイン音楽を咀嚼したイタリア人スカルラッティ」を想定したと語った。会場で販売しているプログラムには「スカルラッティ、6つのソナタ;ヘンデル、序曲ニ短調、組曲ニ短調;スカルラッティ、2つのソナタ」としか印刷されておらず、詳細はその場にならないとわからないというわけだ。 まず、非常に対照的なヘンデルの序曲ホ長調とスカルラッティのソナタニ短調。次に、ヘンデルの曲を集めてアンタイが「組曲」に仕立て演奏した。当時の慣習に沿ったやり方だが、アンタイはよくリサイタルでこの方法を用いる。 最初のニ短調の序曲(オペラ Il Pastor Fido のフランス風序曲)に続いて、「組曲」を構成するそれぞれの曲もニ短調だ。全体的にどちらかというとこじんまりとした曲想の作品を並べてしっとりとまとめた。 最後にスカルラッティのソナタを5曲。明るい曲を集めたが、時折挿入される装飾音や、テンポ設定が、楽譜に書かれている以上の微妙な効果を誘う。アンタイはここに奏者としての解釈を明確に残している。英語や仏語の「奏者、演奏家」interpreter / interprèteという語には「解釈する者」という意味もあるのだが、それを体現したような演奏だ。その奏者=解釈者のイマジネーションが無限に広がり、たった数分間のそれぞれの曲が持つ歌うような旋律や軽快なリズムが融合してゆく。この日、アンタイは弾き慣れた楽器をわざわざ搬入してこのリサイタルを開いた。奏者としてのこだわりが垣間見られる、「対決」というにはあまりにも友好的な、あまりにも音楽的な、光に溢れた午後のリサイタルだった。 ベルトラン・キュイエが指揮するドメニコ・スカルラッティの宗教曲 ベルトラン・キュイエ Bertrand Cuiller は、この日のコンサートのメイン曲である《スタバト・マーテル》を最後に置いたが、実はこの曲は1715年頃にローマで作曲されている。つまり、スペインに定住する前の曲で、この日のプログラムで演奏された曲の中でもっとも早期の作品だ。(《テ・デウム》の作曲年が定かでないので、断言はできないが。)最初に演奏された「マドリッドのミサ」は、スペインの王立礼拝堂にある1754年の手稿楽譜に、編曲版があるという。全体的に厳格だが、「クレド」にはとくに作曲の手際の良さが感じられる。《テ・デウム》はドメニコ・スカルラッティの全作品の中で唯一、二重合唱から成る曲。単声の音楽が時折、祈りを強調するかのように、はたと止まるという劇的な効果が施されている。 さて、キュイエが使用した《スタバト・マーテル》の楽譜は、パリの北にあるかつてのロワイヨーモン修道院(現在は文化施設)のフランソワ・ラング音楽図書館所蔵の手稿である。10声と4つの器楽パートがさまざまな形をとって聖母の痛みを表現する。和声的にもポリフォニー的にもヴァラエティに富んだ音楽が次々と表れ、単調さとは対極にある曲だ。宗教曲という形を借りて、作曲技法や表現法、さらには劇作法までもを最大限に試みているようにも感じられるつくりとなっている。 はじめにゆったりと、しかし緊張した旋律で歌われる「Stabat mater dolorosa」が印象的だ。以後、静と動、暗と明、短調と長調などがほとんど交互にあらわれ、また、独唱、二重唱、三重唱、四重唱、合唱がさまざまに取り合わされて変化を生んでいる。最後の2曲を構成するフーガ、とくに「アーメン」はヴォカリーズのように軽快に進む。10人の歌手は、時には天から降りてくるように、また時には天に昇るように伸びる、空気と一体化するかのような透き通った声を調和させる。慎ましさと豪華さを同時に兼ね備えた見事なハーモニーだ。密につめていったかと思うと急に休止が入り、再びゆっくりと苦悩を表現したりする。キュイエは、そのようなコントラストを見事に創り出し、曲に深いドラマ性を与えている。 器楽パートは決して派手ではないが、単なる伴奏に終わっているわけでは決してなく、声楽パートと同じくらい存在感がある。ポジティフオルガンを演奏しながらル・キャラヴァンセライユ Le Caravansérail を指揮するキュイエは、まさに楽譜を隅から隅まで知り尽くしており、一つの音符もおろそかにしない。このような指揮者の行き届いた注意と、それを存分に表現しようとする歌手やミュージシャンたちの真摯なアプローチが相まって、会場の教会の空間いっぱいに美しい音楽が響き渡った。 最近アルモニア・ムンディから同曲を含むCDをリリースしている。録音も素晴らしいのでぜひ一聴をお勧めする。 * フランスでは、2018年のラジオ・フランス・モンペリエ=オクシタニー音楽祭で30人のクラヴサン奏者が555曲のソナタを演奏して話題になった。(全コンサートはラジオフランスのサイトで聴くことができる)
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サン・ミシェル・アン・ティエラッシュ古楽音楽祭 (Festival de Saint-Michel en Thiérache) のリポートの第一弾として、セバスティアン・ドゥロンの宗教音楽を集めたコンサートのレビューを、NOTEにアップしました。 6月19日、「ローマとスペインのヴィジョン ドメニコ・スカルラッティの世界 Visions romaines et espagnoles L’univers de Domenico Scarlatti」の総合テーマのもとに開催された3つのコンサートの一つ目で、朝11時から、スペインのアンサンブル、ラ・グランデ・チャページェ(ラ・グランド・シャペル La Grande Chapelle)によって行われた演奏会の模様です。 写真 © Robert Lefevre
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昨4月28日、フランス、レンヌ市で、英国在住の作曲家 藤倉大の尺八協奏曲が初演された。尺八は藤原道山。オーケストラはレミ・デュリュ指揮国立ブルターニュ管弦楽団。 ***** 海と航海にちなんだプログラム 今回の尺八協奏曲は、ブルターニュ出身の写真家で海中の植生などを撮影し続けているニコラ・フロック Nicolas Floc’h の写真を見たフェルドマンが、これらにしっくりくる音楽を探す中で、藤倉大に作曲を依頼したことが始まり。そして、「航海日誌 Journal de bord」と題して、海と航海にちなんだ作品を集めたプログラムを構成した。プログラムでは、藤倉の新作の他に、メンデルスゾーンの『静かな海と楽しい航海』、そのあと休憩を挟んでグレース・メアリー・ウィリアムス Grace Mary Williams (1906-1977) の『シースケッチ Sea sketches』と、ブルターニュ出身で海軍士官でもあったジャン・クラ Jean Cras (1879-1932) の『航海日誌 Journal de bord』。世界初演の尺八協奏曲はもとより、メンデルスゾーン以外はほとんど聴くことがない作品ばかりだ。 今回のコンサートテーマは海です Nicolas Floc’h氏の美しい海中写真とともにお楽しみください😊 Le thème de ce concert est « La mer » ! Ce « concerto de Shakuhachi »…
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遅ればせながらNoteを始めました。 まずは、昨2月13日、ラ・スカラ・パリで行われた、タナ弦楽四重奏団 Quautor Tana によるフィリップ・グラス Philip Glass の新しい作品の初演 に関する記事を出しました。 日本語の記事は原則としてNoteに出すようにし、ここにはリンクを貼っていきます。
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チェロのヴィクトル・ジュリアン=ラフェリエール Victor Julien-Lafférièreとピアノのアレクサンドル・カントロフ Alexandre Kantorow の初めてのデュオリサイタルは、二人の演奏家の類稀なる才能がとけ合って、「これぞ音楽だ」と叫びたくなるような、新しい年の幕開けにふさわしい素晴らしいコンサートとなった。 ***** シャンゼリゼ劇場で日曜日の朝11時から随時行われているシリーズ、Concerts du dimanche matin は、その名も「日曜朝のコンサート」。教会でのミサの時間であるこの時間帯にコンサートを定着させた立役者でもあるシリーズで、30年以上続いている。このデュオコンサートはもともと今年のシーズンプログラムにはなかったもので、急遽開催が決まった。その上、衛生パス(ワクチン接種、抗体検査陰性などの証明)が「ワクチン証明パス」(抗体検査陰性証明は無効)となり、一般に観客数の減少が予想されていたにも関わらず、会場は満員。人気のほどが伺える プログラムはサン=サーンスのチェロソナタ第2番と、フランスのヴァイオリンソナタのチェロ版。 サン=サーンスのチェロソナタは未完の第3番を含めて3曲あるが、どれもあまり知られていない。2番は1905年つまり70歳の時の作曲・出版で、高度な技巧が散りばめられた大曲だ。 ヴィクトル・ジュリアン=ラフェリエール は、一つ一つの音を丁寧に扱いつつ、スケールの大きな演奏でぐいぐいと引き込んでゆく。第一楽章でチェロが奏でた一音がピアノに引き継がれ伸びていく様子は、二人の音楽性がどれだけ近いものかを物語っているだけでなく、擦弦と打弦という全く異なる音の出し方がこんなにも融和するものだったのだと感じさせる力を持っている。第二楽章のスケルツォ変奏曲は有名なパガニーニの変奏曲がちらちらと顔を出すが、二人の演奏では深いドラマ性を引き出しているのが特徴。そのドラマ性は第三楽章「ロマンツァ」の中間部に引き継がれ、はじめに現れるふくよかな夢見るようなチェロのテーマと深い対照をなしている。第四楽章は演奏家のヴィルトゥオーソ性が光る。 続くフランクのソナタでは、第二楽章で急と緩の対比の幅が思いがけないほど非常に広く、軽いショックを受けた。しかしゆったりとした部分でも速い部分でも、見事な伸びがあり、一つ一つの音に生命が躍動している。つまり一音ともおろそかにされていないのだ。全体的に彼らのフランクには、ある意味で後期ロマン派的な濃厚さがあり、マーラーの響きを想起させる。そして、19世紀終わりの交響曲などによく見られるクロマティズムが明快に聴き取れるのだ。フランクの音楽が重厚なのは誰もが感じることであろうが、一作曲家の様式に止まらず、この時代の音楽に貫かれる雰囲気をこれだけよく表現しているのには感心する。 アンコールは2曲で、フォーレのソナタから緩徐楽章と、サン=サーンスのソナタ第2番のスケルツォ楽章を再演。これらも、もっと聴きたいと思わせる快演だった。 ジュリアン=ラフェリエールは懐の深い音色と常に上へ上へと伸びる柔軟性が魅力だ。アレクサンドル・カントロフのピアノは、ピアノパートだけを聴いても完結しているほど優れているが、チェロの音を十分に活かしつつもピアノを存分に聴かせる技は、故意に習得しようと思ってもできるものではないだろう。彼らそれぞれの演奏には明確な意志がある。これほどの才能が共演すると、ぶつかり合いの方が目立ってしまう場合も多々あるが、二人のアンサンブルは一糸乱れることがなく、これが初めての共演とは信じがたい(だた、デュオは初めてだが室内楽ではすでに共演している)。まだ若いこの二人の演奏家が、伝説的な巨匠と肩を並べる一流の演奏家であり、デュオでその才能を相殺するどころか増幅させているのを目の当たりにしたひと時だった。 「これぞ音楽だ。」その言葉以外何もなかった。 ***** 2022年1月9日11時 パリ、シャンゼリゼ劇場 カミーユ・サン=サーンス チェロとピアノのためのソナタ第2番へ長調作品123 セザール・フランク ヴァイオリンとピアノのためのソナタイ長調FWV8(チェロ編曲版) ヴィクトル・ジュリアン=ラフェリエール(チェロ) アレクサンドル・カントロフ(ピアノ) ルノー・キャプソン(vn)とのトリオ。2021年2月のグシュタード音楽祭にて。
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アンソン弦楽四重奏団 Quatuor Hanson の新しいCDが10月末に発売となり、11月10日、サル・コルトーでリリース記念演奏会が行われた。会場は彼らの友人、プロダクション・音楽関係者を含め、若い年齢層の聴衆で埋まった。 ***** 「全ての猫は灰色というわけではない」 最近、世界最高峰級の若い室内楽グループが続々と誕生しているフランス。その25〜35歳の一番若い世代でも、しっかりとした技術とオリジナリティとを兼ね備え、最も注目を引くのがアンソン弦楽四重奏団だ。2019年リリースの初CDであるハイドン弦楽四重奏傑作集は、年間のディアパゾン・ドール Diapason d’or 賞(音楽雑誌 Diapason 誌の年間最優秀CD賞)を獲得し、その名と実力が一気に広く知れ渡るようになった。 2番目のCDの題はNot all cats are grey。直訳すると「全ての猫は灰色というわけではない」。かなり変わったタイトルだが、これは夜をテーマにしたプログラムに関係がある。夜の暗闇の中では猫は皆灰色に見えてもともとの色を見分けられにくいのと同様に、近現代の音楽も同じ色で扱ってしまう傾向があることをほのめかしている。しかし「全ての猫は灰色というわけではない」。それぞれの音楽には固有のキャラクターがありますよ、それをお聴かせしましょう、と言っているのだ。では灰色一色ではないプログラムとは? ジェルジュ・リゲティの弦楽四重奏曲第1番「夜の変容」、ベラ・バルトークの弦楽四重奏曲第2番op. 17, Sz 67、そしてアンリ・デュティユーの弦楽四重奏曲「夜はかくの如し」。どれも20世紀の傑作だ。初録音にハイドンというのもかなり度胸が強いが、このような曲をハイドンの後に録音するというのも、このグループの独自性と視野の広さを物語っているといえよう。 和気あいあいとしたリリース記念演奏会 この夜の演奏会では、デュディユーの代わりにドビュッシーの弦楽四重奏曲を披露した。曲の順番も、まずバルトークから入って、リゲティの後に短い休憩を挟んでドビュッシー。 コンサートが始まって4人が出て来ただけで拍手がしばし鳴り止まず、一旦座った彼らが、再び立ってお辞儀をしたほどだ。観客の中にはパリ音楽院の同級生や、同じ世代の音楽家などが多く見受けられる。拍手と掛け声で同僚を応援しようというかのような、和気あいあいとした雰囲気の中で第1ヴァイオリンのアントン・アンソンが簡単な挨拶し、コンサートが始まった。 練達の室内楽団 いったん音が鳴り始めると、会場は水を打ったように静かになり、皆、音楽に吸い込まれるように聴き入っている。 彼らの演奏の特徴は、ダイナミックでコントラストが強いこと。加えて、どの音にも意思が感じられ、優柔不断なところがない。バルトークやリゲティのように高いリズム感が要求される音楽では、どこかで気が抜ける部分がありそうだが、彼らは終始神経を研ぎ澄まし、一音ともおろそかにしない。万華鏡のようにめくるめく変化するフレーズやモチーフが、そのまま万華鏡のように奏でられる。息つく暇がない演奏だ。 もう一つの特徴は、休符が驚くほど効果的に扱われていることだ。楽譜上は同じ八分休符でも、時にはかなり長く、別の場所ではさらっと流すようにと、表情豊か。とくに、休符を長めにとって、息を呑み、次に何が出てくるのだろうかと聴衆を待たせる音楽性は、見事というほかはない。 音質は相対的に明るく、曇りがない。それをベースに、陰を含めたり、柔らかさを加えたり、輝きを持たせたりと、色彩の幅が非常に大きい。弱音器の使い方も効果的。弱音器をつけたまま ff で弾くなど、音色の探求が伺える。 例えばドビュッシーの第一楽章の密で濃い音と、断固とした弓さばきは、ドビュッシーはパステル色の音で柔らかい音楽だと思っている人には(そういう演奏をする音楽家は今でも大勢いる)、ある意味でショッキングかもしれない。かと言って、その音はアグレッシヴでは全くない。そのあたりは紙一重で、どちらにも倒れそうな、それでいて倒れない微妙なバランスが自在に保垂れている。これにはかなりな熟練が必要だと想像するに難くないが、ともに音楽を創り出して8年たち、それぞれがお互いの音楽を知り尽くしているのだろう。メンバーはまだ若いもの、室内楽団としては練達し、4つの楽器が理想的に溶け合っている。 同じくドビュッシーの第3楽章や、バルトークとリゲティの緩徐楽章では、他の楽章との曲想の対比が見事で、全く異なった音を聴かせる。とくにドビュッシーで聴かせる音の柔らかさは現実離れしていて聴き入ってしまう。その音色の「柔らかさ」は「軟かさ」ではなく、浮いたものではなく、あくまで芯が通っている。その音色はフランス音楽に特有で、その捉え方も、フランス人ならではかもしれない。かつて指揮者のパーヴォ・ヤルヴィがパリ管の音楽監督に就任したての頃、インタビューでフランス音楽について質問した時に、「パリ管は多くのドイツ人指揮者のもとで演奏してきたので素晴らしくドイツ的な音を出すが、いったんフランスものを演奏し出すと、音色が全く変わってフランス特有の音色になる。これは他の国のオーケストラには真似できない」という旨の答えが返ってきたが、「フランス特有の音色」は今夜のコンサートでも聴くことができた。 Video : Romain…
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パリのフィルハーモニーホールは9月1日、アンドリス・ネルソンス Andris Nelsons 指揮バイロイト祝祭管弦楽団 Bayreuther Festspielorchesterとともに2021〜22年シーズンが開幕した。ソリストはまず第一部でテノールのクラウス・フロリアン・フォークト Klaus Florian Vogt が、休憩を挟んだ第二部ではソプラノのクリスティーン・ゴーキー Christine Goerke が、ワグナーの『ローエングリン』『パルジファル』『ヴァルキューレ』『神々の黄昏』からの抜粋を演奏した。 ***** コンサート前の衛生パスチェック この日、フィルハーモニーの大ホール、ピエール・ブーレーズ・ホールは、ほとんど満席だった。建物に入る前に、7月下旬から50人以上が集まる文化芸術施設の利用に義務付けられた衛生パス*のQRコードのチェックがあり、これを通過しないと会場に入れない。入り口を入ると、通常の荷物検査(バッグの中のヴィジュアルコントロールとスキャナーによる金属検査)。これを終えてチケットコントロールを経てようやくホール内に。開演時間間近になると、ホールはほとんど満席となった。衛生パスが義務付けられたため、これまでの規制にあった、観客同士の間を1席開けるなどのフィジカルディスタンスはなくなった。会場内ではマスク着用が義務とされているが、バーは開いており、飲食時はもちろんマスクを外す。 * 衛生パスは、フランスの場合、ワクチン2回接種済みか、72時間以内に行ったPCRまたは抗体検査で陰性を証明するもの。スマートフォンのアプリケーションか、第二回目の接種後発行される証明書類上のQRコードを提示。はじめ1000人以上の集会・催しに義務付けられていたが、7月下旬から50人以上の集会が対象となり、8月時下旬からはレストランなどにも適用されている。 現ディレクター最後のシーズンの開幕 新コロナウィルス下でまだまだ国際移動の規制が厳しい中、あえて総勢100人超ものバイロイト祝祭管弦楽団を招聘したフィルハーモニー。これには、今年限りで長年ディレクターを努めてきたローラン・ベル Laurent Bayle 氏最後のシーズンにふさわしい開幕を、という意図があるのだろうか。4日と5日にはキリル・ペトレンコ Kyrill Petrenko 指揮ベルリンフィルが登場、さらに8日と9日のパリ管(パリ管は数年前からフィルハーモニーの一機構となっている)の定期にはリッカルド・シャイイー Riccardo Chailly がオール・ラヴェル・プログラムを指揮する**。これだけ豪華な開幕は過去にあまり例を見ない。 ** 追記。9月3日午後、シャイイーは来仏ができず、トロント交響楽団とリュクサンブールフィルハーモニー管弦楽団音楽監督のグスタヴォ・ジメノ Gustavo Gimeno が代役を務めるというプレスリリースが届いていた。 K.F. フォークトの限りなく伸びる柔軟な声 コンサートの第一部は、クラウス・フロリアン・フォークト…
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*この記事は2ページ 日本ではまだほとんど知られていなくても、フランスでは古参として名声を誇る音楽祭は多い。サン・ミシェル・アン・ティエラッシュ古楽音楽祭もその一つ。オルガニストのジャン=ミシェル・ヴェルネイジュ氏が音楽監督を務めるバロック・古楽音楽祭で、今年で35回目を数える。最終日となる7月4日、ラ=フォンテーヌ生誕400年をテーマにした、レ・ザール・フロリサンのコンサートを聴いた。 ***** フランス王ゆかりのサン・ミシェル・アン・ティエラッシュ修道院 場所となるサン・ミシェル・アン・ティエラッシュ Saint-Michel en Thiérache は、フランス北部の、ベルギー国境に近い場所に位置するかつての修道院。ここに最初の礼拝堂が建設されたのは693年というから、約1400年の歴史を誇る。現在残っている修道院の建物は教会と回廊で、12世紀に遡る。その後17世紀はじめに、ヴェネツィア出身の修道士ジャン=バテイスト・ド=モルナが、修道院を改修した。ド=モルナは、マリー・ド・メディシス(メディチ)がフランス王アンリ4世と結婚しフランスにやってきたとき、その宮廷の一員として王女に同行し、アンリ4世と後継のルイ13世の相談役となった人物。この改修の際、教会に古典様式のファサードと身廊が加えられ、現在に至っている。 教会の内部は響きが良いことで知られており、バロック音楽の録音も度々行われている。 選りすぐりの音楽家を迎えて質の高い演奏会を提供 さて、サン=ミシェル音楽祭では、毎年6月から7月にかけての土曜と日曜に、午前と午後に2つないし3つのコンサートが行われる。昨年は新コロナウィルスで一部のコンサートのみ無観客配信となったが、今年は6月6日から7月4日まで、日曜日のみ2つのコンサートを、時間帯を若干変更して開催された。 音楽監督のジャン=ミシェル・ヴェルネイジュ Jean-Michel Verneiges 氏は6月、筆者のインタビュー(仏語)に答えて、今年は長く中止されていたコンサートがやっと再開できるようになったばかりで、プログラミングは政府が提示してくると考えられるコンディションに基づいて、いくつかのヴァージョンを想定。35回目となる今年の音楽祭では、無観客となった去年の分も取り戻すべく、選りすぐりの演奏家を迎えて、質の高い演奏会を提供することに心を砕いた、と語っている。メゾソプラノともコントラ・アルトともいえる独特の深い声をもつリュシール・リシャルド Lucile Richardot、日本でも人気のフィリップ・ジャルスキー Philippe Jaroussky、ハンガリーの実力派ソプラノでヨーロッパでは人気を誇るエモケ・バラット Emőke Baráth とアンサンブル・イル・ポモドーロ Ensemble Il Pomo d’Oro、実力派のソプラノ、サンドリーヌ・ピオー Sandrine Piau とヴェロニク・ジャンス Véronique Gens の「対決」、ヴァンサン・デュメストル Vincent Dumestre 指揮ル・ポエム・アルモニーク Le Poème Harmonique によるヴェネツィアの音楽と歌。そしてフランス学士院会員の作家エリック・オルセナ…
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フランスでコンサートホールが再開してまもない6月14日、アルカディ・ヴォロドス Arcadi Volodos が待望のリサイタルを行った。主催はPiano ****。プログラムはシューベルトのソナタト長調op. 78 D 894 とブラームスの『ピアノのための6つの小品』op. 118。今回もヴォロドス特有の染み入るようなピアニシモが心に残る名演だった。 独特の世界 シューベルトとブラームスはヴォロドスが最も得意とする作曲家。音楽の美しさもさることながら、彼のリサイタルに足を運ぶ人々は、詩情と音の暖かさに包まれた、日常を離れた美に浸ることを望んでいるのではないだろうか。回を重ねるごとにその度は増し、ヴィルトゥオーソとして鳴らしたデビュー当時とは全く異なった、独特の世界をつくりあげている。 ヴォロドスがロマン派とその前後以外のレパートリーを弾くのは稀だ。彼のプログラムは、クラシックファン、ピアノファンなら誰でも知っている曲で構成されている。それはある意味で大きなリスクを伴う。過去・現在の巨匠たちによる名演がいくつもあり、どうしても比較される運命にあるからだ。 そういうリスクを負いながらも、あえてこれらの曲を弾く。そして、彼の演奏をその場で聴いた人々は、今まで知っていた曲が思いがけない新しい面を持っていることに気づき、驚く。ここはこんな響きを持っていたのか、あのパッセージはこんな風に弾くこともできるのか、このメロディはこんなにも叙情的だったのか…… そんな「再発見」が次から次へと繰り広げられ、リサイタルが終わる頃には、今度は彼の視点に感服している自分を「再発見」するのだ。 内面性が心に残るシューベルトのソナタ この日もそうだった。まず、内面性が心に残るシューベルトのソナタ。第1楽章は、遅いテンポで、まるで何もない和室のような質素さで進む。質素ではあるが、つくりはしっかりとしている。その縁側から清楚な庭を見つめながら、胸の中で深い思いに浸るような音を重ねてゆく。そこにあるのは静寂。限りないピアニシモが心に染みる。時おり動きがあっても、その動きが一種のヴァイオレンスを漂わせていても、それはその後にくる静寂をさらに強調するためであって、決して動き自体が主体ではない。第2楽章でもその印象は変わらないが、動的で外に向けられた要素が加わっている。その度合いの微妙さはヴォロドスならでは。続く第3楽章は、「メヌエット」と題されているものの、苦悩と喜びを交互に表現するような、やはり内面的なものを感じさせる演奏だ。フォルテでも決して強くなりすぎず、繊細さを保っている。トリオには束の間のやすらぎのような、また天上にいるかのような、なんとも言えない安心感が漂っている。そして終楽章。左手の連打和音と、何度も繰り返されるモチーフが、一度もマンネリに陥ることなく、常に新鮮に次から次へと湧いてでる。内面的な性格は失われてはいないが、光を浴びて喜ぶ子供のような、純真な喜びが溢れている。それとも、子供時代の幸せな思い出に浸っているのだろうか? 中間部の抑揚を聞くと、人生を回顧しているようにも感じ取れる。ゆっくりしたコーダはその人生に満足しきった雰囲気がある。繰り返しが多く、一律的になりがちなこの長大なソナタで、常にこのような感覚を抱かせるヴォロドスの力量には、全く驚かされるばかりだ。 1曲ごとに物語を感じさせるブラームス 続いてのブラームスの「ピアノのための小品」は、重厚な音が印象的。ブラームスの重層的な書法ももちろんだが、決して重くならず、重なる音の精髄をダイレクトに聴かせる。柔さ、優しさ、愛おしさと同時に、絶妙の加減でふと感じられる深刻さや陰もあり、その感性の深さと細やかさに脱帽するばかりだ。ここでもピアニシモが雄弁だ。それは6曲の一つ一つで異なった顔を見せている。シューベルトがそうであったように、彼のブラームスには、1曲ごとに物語を感じさせるのだ。その物語は、一方的に語られるものではなく、ともに分かち合おうと提案されるものだ。物語がどのようなものであれ、その語りぶりがあまりにも美しいので、聞く人は納得せざるを得ないのだ。 4曲のアンコール プログラムが終わった後、ピアノによる語りに納得した聴衆は、最大に温かい拍手でアーティストに敬意を示した。その敬意に、4曲のアンコールで答えるヴォロドス。最初の3曲はリサイタルの延長で、ブラームスの間奏曲op. 117から変ホ長調、シューベルトのソナタ イ長調D959から第2楽章、同じくシューベルトのソナタ イ長調D334からメヌエット。そして最後に、モンポウのピアノ曲集『風景』から「湖」。半ばはにかむような優しい表現が印象的。ここでヴォロドスが聴かせたピアニシモと繊細な音は、この世とも思えない美しさだった。 2021年6月14日20時 パリ、フィルハーモニー ピエール・ブーレーズ大ホール
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フランスでは、昨年3月以降一般に閉鎖されていた(昨秋に大幅な観客数制限で一時オープン)コンサートホール、映画館、劇場、美術館などが、今日5月19日、一斉に再オープンした。パリのフィルハーモニーでは19時からアレクサンドル・タローのピアノリサイタルが行われた。 パリのフィルハーモニー、一般観客を交えての活動を再開。初コンサートはアレクサンドル・タローのピアノリサイタル 5月19日、パリのフィルハーモニーも一般観客を交えての活動を再開した。オペラ座や劇場などは、出演者のスケジュール調整やリハーサルなどとの兼ね合いから、今日ではなく、5月末から6月いっぱいにかけて再オープンするところも多いが、コンサートホールは、閉鎖期間中に開催できなかった公演を再調整しているところが多いようだ。アレクサンドル・タロー Alexandre Tharaud のピアノリサイタルも、昨年11月4日に行われるはずのものを何度も日程を変更して、今日やっと実現となった。通常は20時30分開演のところを、21時からの外出制限に合わせて、19時開演となっている。 プログラムでは、彼がとくに好んでいる作曲家3人の作品が取り上げられた。まずマーラーの交響曲第5番嬰ハ短調の有名な第2楽章をタロー自身がピアノ用に編曲したもの。次にラフマニノフの『幻想的小曲集』op. 3。そして最後はラヴェルの『鏡』。彼が舞台に現れるなり、大きな拍手。「暖かい拍手」という言葉が深い真実味を持って迫ってくる。観客もコンサートホールで生の演奏を聴けることを待ちわびていたのだ。 写真はクリックで拡大 音の層が畳み掛けるマーラー『アダージェット』のピアノ編曲版 最初の、マーラーの『アダージェット』は、ピアノという楽器の特性を存分に駆使した秀作で非常に興味深い編曲。さまざまな楽器(声部)とその音色が妖艶に絡み合い、オーケストラがふくよかさを増して幻想的な、もっと言えば偏執的な雰囲気を醸し出す様子を、独特のテンポの揺れとともに紡いでゆく。音の層があちこちから畳み掛け、異なる楽器を彷彿とさせる点、タローの感受性がよく発揮されている。しかしこの日の演奏ではそれらの層が平行線で終わっているような感が否めなかった。全体的なヴィジョンの上に立って細部を構築して弾くというよりは、細部を積み重ねて形にするというように感じられた。それはもしかしたら聴いていた場所と、ホールの観客数にも関係しているのかもしれない。 というのも、文化施設再オープン後の当面の観客数は収容人数の35%という規定にしたがって、この日の聴衆の数は最大でも700人程度。人がまばらなホールは、満席の場合と比べると格段に響く。だからピアノという楽器はよく鳴っている(ように聞こえる)。その影響だろうか、音が一つ一つ鳴り響き、それだけで完結してしまい、他の音符との関連性において共鳴(音響的な意味ではなく、音楽として)していないというのが、全体を通してずっと抱いた印象だった。 タローのピアノは、テクニック的には全く非がないが、音は硬質でどこか大理石のような冷たさがある。音楽のつくりも非常に理知的で、私には理論で押し切るような印象を強く感じる。そのためかどうかはわからないが、マーラー特有の大編成オーケストラの懐の深さは、硬質なピアノの音ではなかなか出てこなかった。 次のラフマニノフも、最後のラヴェルも同様の印象を持った。この上なく安定した技術を強みに、音の作り方に表情がないわけではない。ホールのコンディションに加え、音に対するタロー自身のコンセプトも、あのような音色を生み出しているのだろう。 さらにラヴェルでは、数ヶ月ぶりに再び聴衆の前で演奏できる興奮に突き動かされて、急ぎ気味になり、余裕を持った呼吸が取れていない感も残した。 「観客のいないアーティストは、小さな火に焼かれて少しずつ死んでいくようなもの」 タローはラフマニノフの前にマイクをとり、感慨深げに、聴衆の前で演奏できることがどれだけ幸せなことかと語りかけた。「皆さんも幸せだと思います」との言葉に、会場全体から大きな拍手と賛同の声が上がった。そしてこの1年間、何度かカメラを前に空のホールで演奏したが、「観客のいないアーティストは、小さな火に焼かれて少しずつ死んでいくようなものです」と、心境を披露。ラヴェルの前には、「芸術家を対象としたフランスのフリーランスシステムは、世界で最も手厚く芸術家を保障するシステム。欧州でも他の国では、かなり有名な音楽家でも生活のために職業を変えたり、音楽を放棄せざるを得ないケースが至る所にあり、最悪では自殺に追い込まれた人もいる。その点、フランスのシステムは大きな援助を実現している。しかし、フランス人アーティストでも、外国での公演が多く、国内での規定活動時間に満たない人(筆者注:法律が定める規定では、契約を結んで公式に芸術活動に費やす時間がフランス国内で年間500時間以上でなければ、フリーランスとしての社会保障などが適用されない)は保障を受けることができず、大変な窮地に立たされている。」と説明。その上で、「とくに、演奏家としての活動を始めたばかりの若い人々を取り巻く状況は非常に厳しいので、ぜひ彼らのコンサートに行ってください。パリだけでなく、郊外や地方の、小さなホールで行われているコンサートにもどんどん出かけてください。すでにCDを出しているのであれば、ストリーミングで聴くだけではなく、現物を買ってください。それも大型オンラインショップではなく、街の個人経営などの販売店で。小さなレーベルから出ているCDも買ってください。そうすることで業界全体が活性化し、アーティストは支援されていると肌で感じることができるのです。」と訴えた。 アンコールは2曲。まずバッハの『コンチェルト』ニ短調BWV974からアダージョ楽章を、やはりタロー自身が編曲したもの。右手で演奏される旋律の随所に装飾音を挿入している。タローはこれまでにもラモーやクープランをピアノで演奏し録音も出しているが、バロック音楽の特性をモダンピアノに生かした演奏だった。 その後再びマイクを取り、「自分自身で感染対策をきちんとして、ワクチン接種をしてください」と訴えた後、ジャズの定番となったガーシュインの 『The man I love』を演奏。最初の音符が鳴り響くと、ジャズクラブのように、あちこちから拍手があがった。しかしそれを制止する人も多かったのが残念。クラシックも、もっと自由に聴けるようになればいい。 余談ではあるが、本日5月19日にはシャンゼリゼ劇場でプリティ・イェンデ(ソプラノ)とバンジャマン・ベルネイム(テノール)のデュオリサイタルが開かれ、大盛況だったようだ。 ********** アレクサンドル・タロー ピアノリサイタル 2021年5月19日 水曜日 19時 於 パリ、フィルハーモニー ピエール・ブーレーズ大ホール プログラム グスタフ・マーラー アダージェット 交響曲第5番嬰ハ短調 第2楽章、アレクサンドル・タロー編曲 セルゲイ・ラフマニノフ 幻想的小曲集 op.3 I. 悲歌(エレジー)変ホ短調 II. 前奏曲 嬰ハ短調 III. メロディ ホ長調…