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ラン・ランのゴールドベルグ変奏曲

par Victoria Okada

ラン・ランがドイチュ・グラモフォンからゴルトベルグ変奏曲のCDを出したのは今年の9月。発売と同時に絶賛されたものの、奇をてらわなくとも一癖ある解釈に一言を呈する批評家も多かった。
私はとくにラン・ランのファンでもないので、発売後すぐに全曲聴いたわけではなく(CDを取り寄せることもしなかった)、ラジオでかかる抜粋を耳にして、演奏にさらに磨きがかかったなと思っていたくらいだった。

先日、フランスのユニヴァーサル社から、彼がライプツィヒの聖トーマス教会(つまりバッハがカントルを務めていた場所)で行ったリサイタルが、グラモフォン社のビデオサイトDG Stageにてヨーロッパ時間で11月19日20時からストリーミング配信されるというお知らせメールがきたので、早速アクセスコードをもらって視聴した。ちなみに配信は有料で9,90ユーロ。11月22日の20時(欧州時間)までの限定版。
ストリーミングというので生だと思っていたら、クレジットには3月収録とある。そういえばツイッターあたりでコンサート情報を流している人がいたのをぼんやりと思い出した。

DGサイトのキャプチャ

演奏は、全体が堅実なテクニックと豊かなニュアンスにあふれていた。ラン・ランはそのメディア性と露出度の高さ、スポンサーとのからみなどから、演奏を二の次にして語られることも多い。しかし彼は紛れもなく現在のピアニストの中でもトップクラスにいる。その面目躍如たる見事なリサイタルだ。消え入るような、しかし芯のあるピアニシモや、速いパッセージの軽快さなどは特筆すべきだと思う。

しかし私が「あれ?」と思ったのは、時折出てくる過度なニュアンス。アリアは叙情性に富んでいてロマン派の曲を聴いているようだ。とくに最後に再び戻ってくるアリアには、テンポの動き、ピアニシモのグラデーションなどに初めのものよりもさらにニュアンスがついている。短調の変奏曲もその傾向が強い。それ自体曲想としては美しいが、練り過ぎかと思われる箇所もある。フランス風序曲スタイルの第16変奏は、その序曲の付点リズムが極度に誇張され、エレガンスを兼ね揃えた重厚な厳かさ(これは美学的に重視される)よりも、リズミックな要素に重点が置かれている。次の速い部分はあくまで速い。そのため、前半と後半の関連性が薄れ、ともすれば全く異なる二つの曲を並べたようになっているのは残念。他にも、和音が岩塊のようだったり、コントラストが極端だったり、フレーズ内のアクセントの位置が通常からずれていたりと、細かいところに超解釈とも取れる部分が多々あり、個々の変奏曲をつぶさに見ていくと指摘できる点は膨大だ。だからと言ってグレン・グールドほど強烈でもなく、違和感がありつつも感服されられるというものではない。しかしながら、上にも書いたように、そういう細部の解釈を俯瞰しつつ、全体を壮大な旅としてまとめ上げているのは、彼の個性と音楽性のなせる技だろう。

ラン・ランのモダンピアノでの演奏は、バロックの精神とはかけ離れた非常にロマン的なものだが(ピアノでもバロックの音や解釈を意識した演奏はたくさんある)、楽器を指定しなかったバッハの意図を汲めば、こういう解釈もかまわないだろうし、バッハも興味を持って聴くに違いないと思うのは私だけだろうか。

ピアノ側面に注目(クリックで拡大)

画面を見ていて気づいたのだが、彼が弾くピアノには、普通舞台側に見える 「Steinway & sons」 のロゴが、反対側、つまり鍵盤に向かって左側の側面にもついている。世界中で花盛りの360度の観客配置を考慮した新しい外観仕様なのだろうか。

追記:この記事を書くにあたって曲について再度調べたが、現在日本語表記は「ゴールドベルグ」ではなく「ゴルトベルグ」変奏曲になっているらしい。いつから変わったのだろう?

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